羽生善治永世七冠ロングインタビュー「はじめて将棋をさしたのは?」カープの帽子をかぶっていた理由も

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藤井聡太八段の活躍もあり、子どもたちの間でも「将棋が強いとかっこいい!」という声が聞かれるほど、将棋人気は継続中です。その将棋界に君臨する史上最強のプロ棋士といえば、羽生善治永世七冠です。

小学館 学習まんがスペシャル『羽生善治』は、羽生善治永世七冠を現代に生きる偉人としてその半生を描き、発売直後から話題になりました。

今回はHugKum読者へ、偉人伝の中に収録された羽生永世七冠のロングインタビューを2回にわたってお届けします!子育てに参考にしたいヒントや、お子さんへ勇気を与える名言が満載です。また特別公開の本編まんがの一部もあわせてお楽しみください。

羽生善治ロングインタビュー前編

はじめて将棋を指したころのことについて教えてください

最初に「将棋 」というものを知 ったのは、小学1年生のころです。「まわり将棋 」*1「はさみ将棋 」*2などで友達と遊んでいたので「こういうゲームもあるんだなぁ」という程度の感想でした。
遊んですぐに「感動した」「魅力に気づいた」というわけではなくて、友達と遊ぶうちに、少しずつ面白くなっていきましたね。

全部の駒がそろった「本将棋」、いわゆる「将棋」を遊ぶようになってからは、始めのうちはルールがよくわからず、駒の動きも友達から教えてもらいながら指していました。

友達から「これで終わり( 負け)だよ」と言われても、「なんで終わりなのかな?」という感じでした。「これで終わっちゃったのか…」みたいな(笑)。

最初に将棋を知った7歳の羽生少年(小学館 学習まんがスペシャル『羽生善治』より)

「負けて悔しい」という思いはありましたか?

悔しいという思いは、かなり後になってからです。小学4年生くらいのころからでしょうか。

友達と遊ぶ将棋は、数ある遊びの中のひとつだったので、まだ「負けて悔しい」というところまではいかなかったです。トランプをやったり、ダイヤモンドゲーム*3をやったり… そういう遊びのうちのひとつだったので、負けても「じゃあ、もう1回やろう」「次の遊びをやろう」という感じでした。

2年生で将棋道場(八王子将棋クラブ)に通いだしてからもずっと負けっぱなしでしたが、悔しさよりもたくさん将棋を指せる楽しさのほうが大きかったですよ。

4年生になると、道場や将棋大会では高学年の部での対局になるんですが、なかなか6年生には勝つことができないので、そこでようやく悔しいという思いをしました。

その悔しい思いを、はねのけるために強くなられたのですね

それもありますね。でも、ある程度ルールを理解してからは、何かで失敗して「失敗した自分に対して悔しい」という思いも結構ありました

でも「悔しがっているヒマがあったら、次の対局をしたい! 」という思いも強かったですね。

常に前向きだったんですね。羽生先生は、そういう前向きな考え方のおかげで将棋が強くなれたんだと思いますか

そうですね… そういう、「もっとたくさん対局したい」「とにかく前に進みたい」という考え方や僕の発想の仕方なんかと、将棋の相性がよかったんでしょうか。それで強くなれたのかなと自分では思っています。

将棋が強くなるために、最初に意識してやったことは何でしょうか

将棋盤の上で実際に駒を動ごかしてみることでしたね。

本を読んだりして、例えば「四間飛車」4が出てきたら実際に駒を動ごかして「四間飛車」にしてみるとか、「矢倉囲い」5で実際に囲ってみるとか…

いきなり詰将棋6とかをやろうと思っても、なかなか難しいので… 繰返し盤上で駒を動ごかしてみたことで、かなり駒に慣れることができたと思います。

プロへの道の第一歩を教えていただけますか

僕のプロ棋士への第一歩は「奨励会」に入ったことですね。

将棋を指すのが楽しくて、もっともっと色んな人と将棋を指したいと思っていました。それで、ずっと将棋を指すにはどうしたらいいかを考えて、奨励会に入ることにしたんです。

そうして、5年生の秋に将棋道場の顧問だった二上達也九段に推薦してもらえるようにお願いに行き、6年生の10月に奨励会に合格しました。

12歳でプロになるための研修機関である奨励会へ(撮影/炬口勝弘、小学館 学習まんがスペシャル『羽生善治』より)

その時点ですでに、将棋を仕事にしようと思っていたのですか

いえいえ。奨励会に入ろうと思ったときは、まだ11歳になったばかりの子どもだったので、これを「将来の職業」とか「一生の仕事」にしようという考えは全然ありませんでした。

僕の両親も、まだ僕が小学生だったこともあって、将棋の道があまり上手くいかなくても、別の道に進むのも遅くないし、難しくはないだろうと考えていたようです今と違ってインターネットなどもなく、プロの世界のことは右も左もまったくわからなかったですが、特に心配されることはなかったです。

先生が将棋に出会わなければ、どんな大人になっていたのでしょうか

そうですね。僕は「将棋」という自分の好きなことを仕事にしています。

なかなか好きなことを仕事にできる人は少ないので、幸運だと思っています。もし将棋がなかったら、普通に会社などに勤めていたと思いますね。特別何かで目立つこともない、普 通の子どもでしたので。

奨励会に入会して、何か自分が変わったことはありましたか。

奨励会に入ってみてわかったことは、奨励会はプロを目指している人たちの真剣勝負の場なので、道場とくらべると空気が全然違っていました。

一局一局にかける思いが子ども心にも伝わってきて、ちゃんとやらなきゃいけないな、ということは自然に思うようになりました。

プロの将棋界というのはどんなところですか?

人の出で入りが極端に少ない特殊な世界です。子どものころに将棋界に入り、関係者が全員知り合いで、その関係が何十年も続くというのは、かなり珍しい世界だと思います。人事異動とかありませんしね。プロ棋士の人数の調整や昇級、降格はありますが…

そういう世界なので、師 匠やライバルというのがとても大事な存在になってきます。何か悩んだり、困ったことが起きたときに頼りにするというか。ライバルであっても仲間だし、それに師匠であっても対局するのでライバルですしね。

注釈

*1 まわり将棋…将棋の盤と駒を使ったすごろくの一種。金将4枚をさいころの代わりに振り、駒の出方(表、裏、駒が立つなど)によって、駒が盤の4辺を進む。

*2 はさみ将棋…将棋の盤と歩兵駒を使かうゲーム。自分の駒を動ごかして相手の駒をはさんで取る。

*3 ダイヤモンドゲーム… 六芒星(頂点が6つある星) 型の盤を使ったボードゲーム。

*4 四間飛車…勝負の序盤から、飛車を盤に向かって左側に動ごかす「振り飛車」という戦法の一種 。四間飛車は左端から数えて4つめのマスに飛車を置く。

*5 矢倉囲い… 自分の駒で玉を囲んで敵の攻撃を防ぐ、玉の守り方の一種。

*6 詰将棋…将棋パズルの一種で、相手の玉の逃げ場をなくす問題。

2018年9月小学館にて インタビュアー/ 武藤心平(小学館)

◆ロングインタビュー後編へ続く

【本編まんが特別公開】羽生少年が赤いカープ帽をかぶっていた理由とは?

学習まんがスペシャル『羽生善治』では、カープの赤い帽子で将棋を指す羽生少年の写真も公開されています。いったいなぜ赤い帽子をかぶって将棋を指していたのでしょうか。羽生少年がプロを意識するきっかけとなったエピソードとあわせて、真相をチェックしてみましょう。

 

 

カープの帽子をかぶっていた理由…正解は「羽生喜治さんのお母さんが大会会場で我が子を見失わないため」でした!

つづきは、小学館版学習まんがスペシャル『羽生善治』で読む>>

 

◆ロングインタビュー後編では、ライバルの存在や将棋の面白さ、これからの将棋界について詳しくお伺いします。後編もお楽しみに!

 

小学館版 学習まんがスペシャル『羽生善治』

まんが/金田達也 原作/三条和都 監修/羽生善治

2017年の12月、「永世七冠」を達成し、2018年には将棋界初の国民栄誉賞を受賞! 「学習まんが人物館」の人気シリーズの64巻目として、羽生善治永世七冠の半生を描いた偉人伝。日本の伝統文化である将棋の頂点に立つ羽生善治永世七冠を、現代に生きる「偉人」として、詳しく、面白く、ドラマチックに描きます。羽生永世七冠の軌跡や業績はもとより、その驚異的な強さの秘密や日々のたゆまぬ努力を綿密に描きました。お子様の成長に役立ち、現代社会を生き抜くための知恵をふんだんに盛り込んだ学習まんがです。もちろん大人も楽しめる本格的な内容です。巻末には羽生永世七冠のロングインタビューも収録。撮り下ろし写真も満載!

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