2021年欧州リーグ優勝で注目を集めたビジャレアルCF。選手の人格形成を重視した「教えずして人を伸ばす」育成術で世界的な評価を集めているチームです。
「教えずして」といわれると、「ほったらかし」なイメージを持たれるかもしれませんね。では、「教えずして人を伸ばす」とは、実際にはどのようなものなのでしょうか。
現Jリーグ常勤理事の佐伯夕利子さんは、ビジャレアルCFにおける育成組織の改革を進めた120人のコーチの一員。今回は、佐伯さんがチームでのご経験から見出した「教えずして人を伸ばす」育成術のノウハウをご紹介します。
目次
日本人女性監督がビジャレアルで得た 「選手ではなく人を育てる」スタンス
現Jリーグ常勤理事であり、2003年にスペインの男子リーグ3部で女性初の監督に就任したことでも知られる佐伯夕利子さん。アトレティコ・マドリード女子チーム監督や普及育成副部長なども務め、2008年にビジャレアルCFと契約を結びました。
10人の心理学者と120人のコーチによる育成改革
3歳から成人選手までの子どもや若者800名が在籍するビジャレアルCFでは、2014年以降、ただ「選手を育てる」のではなく「人を育てる」ことに軸足を置いた「ビジャレアルCF人格形成プロジェクト」を発足。10人の心理学者と120人のコーチの知見を取り入れた改革の中、佐伯さんも共に試行錯誤をしながら、その育成部でスペイン代表を育てる重要なポストを担います。
育てる側が育つための5つの気づき
「教えずして人を伸ばす」の「教えずして」とは、決してほったらかしではなく「指導者が『教える』ことよりも、選手が『学ぶ』こと」を重んじた、ビジャレアルCFのスタンスを言い表したもの。ビジャレアルCFの育成術では、あくまでも学ぶ側が主体です。
その詳細が綴られた佐伯さんの著書『教えないスキル ~ビジャレアルに学ぶ7つの人材育成術(小学館)』には、育てる側が育つための気づきも満載。育児中のママさんやパパさんにもぜひ知ってほしいポイントを、佐伯さんが経験したエピソードを交えてお伝えします。
「とにかく一周してくる」
自分のスタイルや理論への確信は、強ければ強いほど、他者の意見を受け入れられなくなる要因になりがち。
ビジャレアルCFのコーチ陣は、自身の固執を発見するたび「とにかく一周してくる」、つまり一度まったく違うものを見聞きしてくることで、古くからの慣習を学び壊してきました。
仮に、自分が長年持ち続けている信念があったとしても、ひとまずは一度ぐるっと一周まわって、いつもとは違う角度から物事を観察してみてはいかがでしょうか。
「感情丸」に乗るか、見送るか
流れる河を、河岸から見ている自分をイメージしてみてください。
上流から「感情丸」という小舟が流れてきました。あなたなら、その「感情丸」をどう扱いますか?
1:「感情丸」に飛び乗って自分も一緒に流れていく
2:「感情丸」が下流に流れていくのを、そのまま岸から眺める
上記の質問は、佐伯さんがメンタルコーチから受けたというもの。
この質問を経て、佐伯さんはそれまでの自分が「1」だったと振り返り、感情に執着して本質を見失っていたことに気づいたそうです。
人を育てる際の本質的なものを取り違えないために大切なのは、「感情と一緒に流れる」のではなく「岸から眺める=自分の感情と距離をとる」こと。佐伯さんは、自分の感情と距離をとるために「感情のメカニズム」を意識しはじめたことで、ストレスフルな指導をしていた自分から解放されたそうです。
自分の言動に意識的か
ビジャレアルCFの指導改革では、選手にではなく、コーチのほうにカメラとピンマイクを装着することによってその指導を記録。その記録をもとにメンタルコーチをまじえたフィードバックを重ねて、指導の改善を試みました。
そのなかで、佐伯さんがとりわけ重要に感じたのは「自分の言動に意識的かどうか」のふり返りです。
現場で発される「右!」や「ビエン(=スペイン語で「グッド」の意)」など、なにげない声がけの意図はなにか。選手とコーチがその言葉に共通認識を持てているか。より伝わりやすく快い言い回しはないか。自問自答しながら言葉の仕分けを習慣づけたことで、選手とのコミュニケーションに限らず、その他の仕事や人間関係さえもがスムーズになったと綴ります。
「見ているつもり」「聞いているつもり」になっていないか
改革のプロセスの中で、選手との一対一での面談を増やしてみると、佐伯さんたちコーチ陣は、普段の集団生活の中では気づけなかったあることを発見しました。
それは、集団の中では発言の少ない選手が、実はさまざまな意見や考え、知識を持っていたことなど、選手の「意外な一面」。そして、いかにそれまでの自分たちが「見ているつもり」「聞いているつもり」だったかという気づきでした。
「沈黙は思考ゼロではない」ことを痛感し、それまでは会議のメインだったチームミーティングを、一対一での面談にシフトチェンジ。選手たちそれぞれの「個」へのアプローチに一歩前進したといいます。
「主語」は誰かという発想の転換
「教える人」と「学ぶ人」という立場に置かれてしまうと、指導者は「(自分が)教える」ことに重きを置いてしまいがち。対等な関係を築くことができず、いつの間にか「支配」が生まれてしまうパターンも珍しくありません。
しかし、本来、学びの機会を享受する活動の主体は「学ぶ人」ですよね。
「主語=主体」は誰なのか、今一度よく考えるよう佐伯さんは提案します。
主体が「学ぶ人」であることを念頭におけば、「教える人」は「学びの機会を創出するファシリテーター(潤滑油)」として、自然と発想を転換し動けるはず。また、「教える人」が主体を意識して働きかけることによって、「学ぶ人」も主体的に動きやすくなります。
子育てに活かせる5つのスキル
ビジャレアルCFの育成術には、選手の育成だけでなく育児にも活かせるアイデアが満載です。佐伯さんが著書『教えないスキル ~ビジャレアルに学ぶ7つの人材育成術(小学館)』で語る、子どもたちの「考える力」や「主体性」を育むアイデアをお伝えします。
「オープンクエスチョン」
問いかけの基本ルールは、どうして? どのように? といった「オープンクエスチョン」を心がけること。YESかNOで答えさせる「クローズドクエスチョン」は、質問者の中にすでに存在している「答え」の押し付けになりかねません。
子どもに「考える癖」をつけるためには、質問する側も、子どもが考える余地のある問いかけを習慣づけましょう。
ゴネていたら、感情に耳を傾ける
子どもがゴネているとき、どのように対応していますか?
「子どもは意味もなくゴネたりしない」と、佐伯さんは釘を刺します。やるべきことをやらずにゴネていたり、異常が見られる場合、そこにはなにか理由があるはず……。
しかし、子どもは幼ければ幼いほど、自分の感情をうまく表現できません。子どもの感情をどうしてもうまく汲み取れない場合は、たとえば、にこにこの顔、泣き顔、悔しい顔などのイラストを描いたカードを使って、いまの気持ちを教えてもらいましょう。そして、その感情と派生する行動の「ありのまま」を、まずは受け入れてあげましょう。
「サンドイッチ話法」
もしも、子どもに改善点や注意を投げかける際は、怒った口調は一旦おさえて、ビジャレアルCFでも使われていたという「サンドイッチ話法」を用いてみましょう。
サンドイッチ話法とは、本題の前後をポジティブなフレーズで挟むというもの。
たとえば、
「相手の良いところを伝える」
↓
「相手が聞きたくないかもしれない改善点(本題)などを伝える」
↓
「それに対する期待を伝える」
といったように。
シンプルで基本的なコミュニケーション術ながら、これが自然にできると「叱られた」「怒られた」というネガティブな感情で壁をつくることもなく、スムーズに本題を伝えることができます。
「丸テーブル」という関係性
佐伯さんは「四角いテーブル」→「丸いテーブル」への代替えを提案します。
なぜなら、テーブルが四角いと「あなたはあちら側」「わたしはこちら側」というヒエラルキーを感じさせてしまう。丸テーブルにすれば、お互いの立場が地続きになり、上も下もなくなるからです。
実際に、ビジャレアルCFでは、丸テーブルを導入してから、選手の話に耳を傾ける場面がさらに増えたそう。物理的には丸テーブルを導入しなくても、頭の中ではこの「丸テーブル」のフォーメーションをつねに意識していたいですね。
子どもの興味をからめる
多くの子どもたちは、自分の興味や関心に、つねに一定の熱量を向け続けてはいられません。ふだんはトレーニングに熱心な子でも、アタマの中に唐突に恐竜ブームが到来してしまい、練習に身が入らない日だってあります。
そんなとき、ビジャレアルCFのコーチたちは、トレーニングに恐竜を取り込んでしまいます。たとえば、コーチがティラノサウルスになって「ティラノサウルスをドリブルで追いかける」ゲームをしたり。子どもがいかにたのしく取り組んでくれるか、知恵を絞ります。
ただ「やりなさい」と叱っても、子どもたちの「心地よい学びの環境」は作れません。子どもがなにかを継続できなかったり、すぐにやめてしまって「根性がない」と否定したくなったときは、大人はその子の学びのためにどんな工夫ができたか、今一度振り返ってみましょう。
親でも「ジャッジをしない」
ここまで、ビジャレアルCFの人材育成術から子育てにも応用できるスキルを挙げてみました。さらに、佐伯さんはこう語ります。
「先ほど”心地よい学びの環境”というお話をしました。ここで言う“学びの環境”は、学習者がより有益な学びを得るために、指導者・大人・先生・親などが意志を持って整備してあげるべき空間や風土を指します。例えば、私が学んだことのひとつに、『攻撃しない』『ジャッジしない』という人間関係において大切な基本ルールがありました。これは、学習者との関係性がたとえ『教える人vs.学ぶ人』『大人vs.子ども』『先生vs.生徒』であってもです。
また、ビジャレアルの指導改革のプロセスにおいては、私たちの指導方法がどこに起因しているのか?を探りました。つまり、自らの生い立ち、育った環境、文化、そして母国の歴史を辿りながら読み解くという作業を行ったのです。
そこでは、スペインの歴史や社会的背景を学び直し、内戦という痛ましい歴史があったこと、独裁政権に苦しみ、いくつかの戦争を経てようやく民主主義と自由を獲得したこと、そうした時代を経て、国の団結や復興のため、即効性があり効果的な立て直しを優先にしてきた背景があります。そうした現場では、与えられた指示・命令・タスクを確実にこなすことが求められ、それを管理・監督する人間が必要でした。これが古くからの指導です。
一方で、近代に入りヨーロッパの統合が行われ、スペイン人から、ヨーロッパ人としての自覚、更に世界人へと人々の意識が変わりつつあるグロバリゼーションの渦中に私たちはいます。
いまこの時代に求められるのは、多様性、柔軟性、適応性、異なるものを受け入れる許容力などであり、より良い人生、より良い社会のため、そして人々が”自由”を得るために必要となるのは、『自ら考え(判断)』⇒『自分で決める(決断)』力です。それなのに私たちは、疑うこともなく、戦時中や戦後の学びの環境を、そのままずっと継続してきました。
当然ですが、時代の変化と共に、求められる人材も変わります。ですので、そうした時代に適した人材を育てる環境の整備を意識的に推進していければいいなと思っています」
著者:佐伯夕利子
1973年、イランのテヘラン生まれ。
2003年にスペインの男子リーグ3部で女性初の監督に就任。翌年からはマドリード女子チーム監督や普及育成副部長などを務め、2008年にはビジャレアルCFと契約を結ぶ。2014年以降、ビジャレアルCFにて発足された「ビジャレアルCF人格形成プロジェクト」の一員であり、スペイン代表を育てる重要なポストを担う。現・Jリーグ常勤理事。
育児にひとつずつ取り入れたい「教えないスキル」
教えるのではなく、学びを支える・創出するといった「教えないスキル」を重んじるビジャレアルCFの育成術。育児に置き換えてみると、子どもの「自分で考える力」や「主体性」を育むためには、大人の意識と努力、そして工夫が必要不可欠であることを痛感させられますね。
今回ご紹介したビジャレアルCF流の育成術は、今日から実践できる身近なものも多かったはず。気づいたものからひとつずつ、ぜひ取り入れてみてくださいね。
欧州リーグ優勝で話題となったビジャレアルCFは、選手の人格形成を重視した「教えずして人を伸ばす」育成術で評価を集めるスペインのサッカークラブチーム。その育成組織の改革を進めた120人のコーチの一員であり、現Jリーグ常勤理事である佐伯夕利子さんが、ビジャレアルCF流・主体的に考えられる人間を育てるノウハウや指導者たちの姿勢を語ります。
構成・文/羽吹理美