三池祟史監督インタビュー「実は映画監督になろうと思ったことは一度もない」

第一線で活躍している人は、どんな〝小学1年生〟時代を過ごしていたのだろうか? 当時憧れていたもの、夢中だったものとは。 HugKumでは、俳優、声優、アーティスト、作家など、子どもたちが憧れる職業で活躍する方々にインタビュー連載を行なっています。 今回のゲストは、『土竜の唄』シリーズや『妖怪大戦争』など、数々の名作を生み出している映画監督、三池祟史さん。 日本を代表する映画監督ではありますが、実は「一度も映画監督になりたいと思ったことはない」んだとか!そんな三池監督が、どんな小学生だったのか、お話を聞いてきました。

三池監督が小学1年生だったころ

溶接工の父親の姿はなによりもカッコよかった

──三池監督は、小学1年生の頃を覚えていますか?

よく覚えていますよ。僕は小学生時代、1度も掃除をしたことがないんですよ。

──そうなんですか⁉

はい。僕らの時代は、給食の後に、掃除の時間があったんです。当時の僕は、ごはんを少しずつしか食べることができなくて、掃除の時間もずっと食べていたんです。でも、途中で切り上げることが許されず、全部食べなくちゃいけない時代だったので、5時間目の開始のチャイムがなるまで食べていたんです。

──その間、みんなは掃除をしているんですね。

僕だけうしろに寄せられた机でゆっくりご飯を食べていました。あるとき、5時間目から授業参観があったんです。僕の母親が少し早めに来たときに、そんな様子を見てしまったものだから、窓の外からジェスチャーで「早く食べろ!」とやっているんですよ(笑)。でも、結局間に合わないと思ったのか、ランドセルを開けるジェスチャーをして、「パンを入れろ!」って指示を送ってきたんです。それからは、食べきれないパンはランドセルに入れて持ち帰るようになりました。

──毎日夕飯で食べていたんですか?

いやいや、当時の僕は持ち帰ったことをすっかり忘れてしまうんです(笑)。しかも、そのパンが底にある状態でどんどん上から教科書を詰め込むので、教科書はパンの油だらけ。さらにその上からまた次の日のパンが重なるので、10日も経つと立派なミルフィーユが完成していました(笑)。

小さな頃は消極的な子どもでした

──映画監督は、ご飯を早くたべるのも仕事のうちと言われますが、いつごろ克服ができたのでしょうか。

克服したつもりはないですね(笑)。どちらかというと、流されて少し早くなったくらいで(笑)。それに僕、ものすごく引っ込み思案だったんです。なので、助監督をやり始めた頃も、「おはようございます」だけは言えるんですが、積極的に何ができるタイプでもなかったんです。

──ものすごく意外なお話で驚きました。

ただ、一度だけ、小6の時に生徒会長に立候補したことがあったんです。自分でポスターを書き、立ち合い演説会をして、かなり盛り上がったんですよ。簡単に言えば、ウケるような、ネタ話をしたんですよね。それで当選しちゃったんです(笑)。その翌年から、ネタ話が禁止になりました(笑)。自分の中で、そこで生徒会長をやったことは、いい経験になりました。

──当時から映画に興味はあったのでしょうか。

全然ないです(笑)。僕の父親が、溶接工をしていたので、よく工場に遊びに行っていたんです。そこでのマスクをつけて、溶接をしている父親の姿がカッコよくて、いつか溶接工になりたいと思っていました。

──となると、映画に興味を持ちだしたのはいつ頃だったのでしょうか。

ブルース・リーのことは好きで、よく見ていましたね。でも、それ以外は全然見なかったですね。今でも映画はあまり見ないんですよ。年に1〜2本くらいしか観ないんです。なので、人に「僕の映画を観て」って言いづらいんですよね(笑)。

──あはは。となると、お仕事として、映画監督を選んだのはどうしてなのでしょうか。

中学ではラグビーに、高校ではレーサーに興味をもってみたんですが、とくにハマることもなく、卒業したら何をしようと思っていたんです。そんな時に、横浜放送映画専門学院のラジオCMを耳にしたんです。そのキャッチコピーが、「大学落ちたら横浜放送専門学院」というものだったんですよね(笑)。「おもしろいかも」と思い、軽い気持ちで通うことにしたんです。

──お話を聞いていると、興味をもったのなら動くことが大事だということが伝わってきます。

そう言うとカッコよくなりますが、僕自身は、映画学校に行ったのは、働く前の時間稼ぎくらいの気持ちだったんです(笑)。なので、周りの人も「なんで映画学校?」と思っていたはずですよ(笑)。

──そこで映画のことをたくさん勉強されたんですね。

いや、でも、授業を1度受けただけで、向いていないなと思い、学校に行かず、アルバイトばかりしていたんです。

その後、卒業を間際に控えた頃に、学校の先生から「助監督をやってみないか」と声がかかったんです。なぜ僕に声をかけたかというと、他の学生はマジメに卒業制作をしているから、外に出せないと言っていて(笑)。そんな縁から、助監督を経験し、今の映画監督の道が開きました。

──人生何があるかわからないですね。

本当ですよね(笑)。よく「映画監督になるのが夢です」と聞くんですが、僕は子どものころからリアリストだったので、夢は自分が果たせないものだから、夢に見るんだろうと思っていたんです。もし、なれると思っていたり、確信を持っていたとしたら、夢とは思わないですよね。だからこそ、先を考えすぎることなく、やってみることは大事だと思うんです。

──となると、本当に映画監督になろうと思った瞬間は…。

一度もないんですよ(笑)。「監督をやってみる?」と言われるまで、その欲もなかったし、そのために何かやるということもしていなかったんです。ただ、現場で今やることをしっかりとやったり、与えられたことを全部全力で打ち返していたら、映画監督になっていたんです。

──ちなみに、当時一緒に学校で学んでいた生徒さんで、同業の方はいらっしゃるのでしょうか。

それが、いないんですよね。一番勉強していなかった僕がひとり、映画監督になってしまったのは、ちょっとバツが悪いなと思っています(笑)。

──ちなみに、いまでもやってみたいなと思うお仕事はありますか?

それはもちろん、溶接工です。今からでも、機会があれば溶接工の勉強をしたいですね。

 

三池監督の映画をCHECK!

1 :『土竜の唄 FINAL』

Story
今作の舞台は、超豪華客船。禁断の薬物密輸を阻止するために、菊川玲二(生田斗真)が立ち上がる。シリーズ最強で最凶の敵、烈雄(鈴木亮平)も登場し、玲二に過去最大の試練が訪れる。

映画を観て「作ってみたい!」と思うお子さんがいてくれたら、本望なんですよ

昨年公開された、生田斗真さん主演の人気作『土竜の唄 FINAL』。本作の撮影秘話についても教えていただきました。

─昨年公開された映画『土竜の唄』もシリーズ3作目。ずばり、まったく先の読めない展開に引きこまれました。

ありがとうございます。まず、この映画は豪華客船が舞台なんです。でも、コロナ禍のいま、船という設定はいろいろあったからこそ変えたほうが無難ですよね。でも、船でしか、治外法権を描けなかったんです。とはいえ、海外船はコロナ禍の影響で国に戻ってしまっていて、撮影ができなくなっていたんです。そんなときに、イタリアのコスタフィレンッツェという会社が、「おもしろそうじゃん」って言ってくれて、協力をしてくれたんです。内容が内容なので、シャレにならないことに船を使用するんですが、それをエンターテイメントとしておもしろいと言えてしまうのはさすがだなと思いましたね。

──誰も想像できないラストも衝撃的ですよね。

ある意味、なんでもいいんですよ(笑)。見る側も堅苦しくなく、逆にこれならスマホで作れるよね、やってみたいって思ってもらえることも重要なんです。

たとえば、映画を観て「作ってみたい!」と思うお子さんがいてくれたら、本望なんですよ。いま、YouTubeなどでいろんな動画をみていると思うんですが、あえて映画館で、大人が遊ぶような気持ちで作った映画を観て「すごい!」「おもしろそう!」と思ってもらえたら嬉しいですね。

 

2:『ビッ友×戦士 キラメキパワーズ! 』

テレビ東京系にて毎週日曜あさ9時から好評放送中の「ガールズ×戦士シリーズ」の第5弾!主人公キラリの前に、ゲーム機からキラメキ王国のプリンセス「ひめにゃん」が飛び出してきた!ビビ~っときたキラリはひめにゃんとビッ友になり「太陽の勇者・キラパワサニー」にして悪に立ち向かう!


2月13日にはスペシャルイベントもあるのでHPを要チェック!

公式ホームページはこちら!

3:『妖怪大戦争 ガーディアンズ』

1968年からの三部作と、2005年に興行収入20億円の大ヒットを記録した映画『妖怪大戦争』がスケールアップして『妖怪大戦争 ガーディアンズ』として復活。「世界を救う勇者」に選ばれた少年と、妖怪たちの大冒険!誰もが知る有名妖怪や、本作オリジナルの妖怪や世界中のモンスター、さらには怪獣も登場!家族で盛り上がること間違いなしのファンタジー映画です。

 

映画監督
三池祟史

1960年8月24日生まれ。『岸和田少年愚連隊』や『殺し屋1』、『悪の教典』などを手掛け、様々な映画祭で多くの賞を受賞する日本を代表する映画監督。最近では女児向け特撮テレビドラマ『ガールズ×戦士シリーズ』なども総監督も手掛けている。

写真/黒石 あみ 文/吉田可奈

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