思いやりのある子どもに育ってほしい、我慢強くなってほしい、お手伝いをしてほしい、と親はたくさんの願いを子どもに持っています。「その願い、子どもに要求しすぎではありませんか?」、そう話されるのは、保育者として46年もの間、子どもに寄り添ってきた柴田愛子さん。今回は、子どもの思いやりと我慢、お手伝い、子どものマナーと自主性について、柴田さんにアドバイスをいただきました。子育てのヒントにしてみてはいかがでしょうか。
目次
子どもの「思いやり」と「我慢」│保育歴46年の柴田愛子さんが教える子育てのヒント
子どもの思いやりが育っていくステップ
思いやりとは、人を思いやる心、ということ。確かに人を思いやれる人は魅力的で、素敵です。しかし、これは一生かけて心がけていくものなのではないでしょうか。親はそんな大きな望みを、3歳のころから子どもに託し、意識して育てようとしています。しかし、性急に思いやりを要求しすぎはありませんか?
3歳児は自己主張まっさかり。自分中心に地球が回っているから、人に気持ちがあるなんてあんまり気づいていないんです。思いやりが育っていくのは、だいたいは次のような順序です。
・自分以外の人にも気持ちがあるということに気づく。
・その人がどんな気持ちなのかを想像することができる。
・なぐさめてあげたいとか、喜ばせてあげたい、傷つけたくない、などの心が芽生える。
・そうすると、自分もうれしくなり、喜びになる。
ひとつひとつのステップには、山ほどたくさんの体験を通しての成長が必要となります。ここで注意したいのは、この場合の人(相手)というのは関係の近い人のことです。相手に気持ちがあることとか、相手が泣くと心が痛むとか、相手が喜ぶとうれしいという感情は、「相手」がかなり関係の近い人でなければ起こりにくいものです。では、やさしい子になってほしいけれど、今は放っとくよりしかたがないのかというと、そうでもありません。種蒔きには周囲の大人の手助けも必要です。
思いやりの第一歩は、子どもが親の気持ちを想像すること
関りのいちばん強い親との関係の中で考えてみましょう。
たとえば、子どもが留守番をしていたときに、雨が降ってきた。子どもは洗濯物に気づいて、部屋の中に取り込んでくれたとする。帰ってきたお母さんは、「ありがとうね。でも、今度は、たたんでおいてくれると、もっとうれしいな」と、くるわけです。これでは、子どもはあんまりうれしくない。お母さんが、喜んでくれたとも思えない。今度は「取り込んでたたむ:というのを義務のように感じてしまいます。取り込んだだけだって立派なんだから、「わあー、うれしい。よく、気がついたね。あんたは、すばらしい!」と、喜びを見せましょう。子どもは、「よかった、お母さんあんなにうれしそう。いいことしちゃった!」といい気分になります。
まずは、いちばん身近な親の気持ちをわかるということ、親の価値観が伝わるということが、子どもが「お母さんだったら」「お父さんだったら」と想像することができる、つまり、自分以外の人を思いやる第一歩という気がします。
親自身がモデルとなって思いやりの態度を見せるのが第二歩
二歩目は、親自身が思いやりのある態度を見せること。これは難しいことです。
あなたは、買い物の紙袋が破れて困ってる人に手助けしてあげられますか。駅の階段で、車いすの人に力を貸せますか。もっと難しいのが、自分の子どもに思いやりの態度を見せることです。他人の子どもにやさしくすることのほうが、簡単なんですよね。自分自身も心がけなければならないし、さらに、子どもをよく見て、反応してあげなくてはなりません。やがて子どもは、大好きな人が親だけでなく、先生や友だちにと広がっていきます。そして、ほめられてうれしいとか、やさしくして喜んでもらえた、ということだけでなく、その人にとってはどうなのかということにまで、気持ちや考えが及んでいくことでしょう。
子どもの我慢には2種類ある
今、子どもたちが我慢をしなくなった、我慢ができないという声が聞かれます。「我慢できない」という中身には、2種類あると思います。物欲に対しての我慢ができない。もうひとつは、「すぐキレる」とか「わがままな振る舞い」といった、こらえること、辛抱することができないといったことです。
こらえること、辛抱することができない方に視点をあてて考えてみます。
3歳ぐらいの子どもだと、もう、ちゃんと「我慢する」姿を見ることができます。4、5歳児だと、意識的に我慢することが多くなります。自己コントロールができるようになってきたということでしょうか。一日の生活の中で、子どももずいぶん我慢をしているし、我慢する力がどんどんついていっています。
大人だって「本当はこうしたいのに」「こうしてほしいのに」と、我慢していることが山ほどあります。それに加えて、法律上許されていないからとか、自分の目標があるからとか、こういう人間になりたいという思いとかで、我慢を通して人生の流れを作っているということもあるのではないでしょうか。
我慢の芽生えは、自我が出てくる3歳前後
子どもたちが、どうして我慢をするのか考えてみると、ふたつに分けられるような気がします。
ひとつは、怖いから我慢する。これは、権威とか、権力といったたぐいのものに従う我慢です。もうひとつは、人との関係。その人の心の動きがわかるから、我慢する。これは、人とのかかわりの中から、自分の心と人の心の動きの関連性が想像できるから、我慢ができるようになるんじゃないでしょうか。
ですから、自我が出てきたころ、3歳前後には、自分の気持ちに気づくと同時に、我慢の芽が出てくるのではないでしょうか。やがて、大好きな子にも気持ちがあることに気づくと、さらに、芽はのびてくる。こう考えると、「我慢」と「思いやり」は、隣り合わせという気がします。
今の子は我慢ができないということを考えてみると、つまり、権威ある怖い存在が少なくなったということと、簡単な言葉で言ってしまうと、人間関係が希薄であるということに関係があるような気がします。いやいやする「我慢」はストレスになりますが、好意的な人間関係があっての我慢は、まあいいかと思えるんじゃないでしょうか。さらに、我慢することで喜ばれたり、お互いの関係が近くなったりすれば、うれしい「我慢」です。
こんなふうに、日々の心の揺れ動きが、人の気持ちを察したり、自分の気持ちをがまんしたりすることにつながっていくのではないでしょうか。
子どもの「お手伝い」と「マナー」│保育歴46年の柴田愛子さんが教える子育てのヒント
子どもが自分から手伝いたくなるときは?
そもそも「手伝う」ということは、どういう状態をいうのでしょうか。辞書をひいてみると『手を貸す』『手助けをする』『助ける』などとあります。そう、手伝うというときの主体は、手伝う側の人間にあるのです。幼児を想定すると、手伝いたくなる要素は3つあるような気がします。
1 . お母さんが忙しそうに働いているのを見て、手伝ってあげたいという気持ちがわいてきて、手伝う。
2. お父さんやお母さんを喜ばせたいという思いからする、手伝い。
3. お母さんやお父さんのやっていること自体に魅力を感じ、「お手伝い」を称してやらせてもらう。
1は、親が子どもを見て指示している時間のほうが多いのですから、子どもから自主的に動く余裕と発想が出てきません。2は、今の子どもたちにも頻繁に起こる気持ちでしょう。ところが、親にとってはありがた迷惑なことが多い。そこで、子どもの主体的お手伝い気分はさておいて、「やるならこれにして」と親側から提供することになります。3は、手伝いとは名ばかりのことも多く、親にしてみるとよけいな時間がかかります。このように「手伝い」を考えていると、対するものとして「仕事」が出てきます。
「仕事」と「お手伝い」は違います
手伝いはあくまで子どもの主体的行為です。よって、やるときがあってもやらないときがあってもいいのです。私は「お手伝い」をすることで育つものがあるとすれば、それは、親を思う子どもの気持ちを親が受け止めることで、また、子どもの成長していく姿を喜んで受け止めていくことで、お互いの関係が温かくなるということだと考えています。
けれど、仕事は違います。気まぐれは困るのです。「子どもにお手伝いをさせることで何が育つのか」という考え方は、むしろ仕事に近いのではないでしょうか。仕事だと、やりたいだけではなく、やらなければいけないという要素も含まれますし、ちゃんと継続してやらなければなりませんから、育つものは多くあるでしょう。ただし、これは、「家族なんだから、家族としての仕事を分担するのがあたりまえ」という考えをもつ人がしたらいいと思います。簡単な仕事であっても、まだ幼い子どもたちがはじめから上手にできるわけはありません。でも、一生懸命やろうとすることを応援しなければなりません。やったりやらなかったりでは仕事になりませんから、親側も子どもを支えていく覚悟がいります。
子どもの「マナー」と「自主性」
公共の場での子どもの行動と親の対応に関しては、よく問題になります。電車の中で走り回る子。スーパーで、あれこれ手にとってしまう子。レストランで大声を出してふざけている子。これは絶対いやです。小さくても、だめなことは毅然と叱って身につけさせたいと思います。いくら言っても身につかないようならば、そういう場にはなるべく連れていかない工夫をしたらどうでしょうか。スーパーに行く回数を減らすとか、子どもが手にしたくなるような売り場のない店にするとか。電車ならば、迷惑にならない場所、いちばん前とかいちばん後ろの車両がいいように思います。
ここでエピソードをひとつ。熱海の温泉でのことです。朝食は、食堂でバイキング形式。すると、そこには、お盆を危なかしげに持った5歳ぐらいの男の子が、あれこれ迷いながら自分が食べたいものを盛っていました。危なかしくて、ちょっとハラハラしましたが、その子の表情は一人前の顔をし、周囲のハラハラ気分なんて察する気配などまったくありません。このように子どもの意思を尊重していくというのは、ときとして、みなさんにご迷惑をおかけするということでしょうか。
その男の子は自分で考えながらやっていたのであって、並んだ料理をかき回していたわけではありません。自分の食べたいものを自分で食べられそうな量だけ盛ってくることは、子どもにとってもいい練習になるし、そうさせたいと思います。親がそばにいることで、周囲への配慮はできるでしょう。
子どもの自主性を尊重するということと「しつけ」とは、どこを境目にするかは本当に難しいことです。答えは「どちらか一方にかたよってはいけない」「場所によってのメリハリが必要である」ということでしょうか。わが子の気持ちも察し、まわりの人の気持ちも察し、その葛藤の中で親が「自分路線」を見つける以外にないのかもしれません。
参考書籍「あなたが自分らしく生きれば、子どもは幸せに育ちます」
「あなたが自分らしく生きれば、子どもは幸せに育ちます」について
こうなって欲しい、こうあるべき、に縛られている苦しい子育てをしていませんか? 「どう育ってほしいか」の前に「目の前の子どもがどう育っているか」を見てほしい。子どもはちゃんと自分で育つ力を持っていることを確信できるはず。それは、お母さんが本来の自分を取り戻すことにつながっていくから。
保育者として、30年以上子どもたちと関わってきた柴田愛子さんが語る「子どもの心に寄り添うと、子どもの気持ちが見えてくる」を信条にした子育て論は、きっとお母さんの心を元気にします。
あなたが自分らしく生きれば、子どもは幸せに育ちます(著/柴田愛子 定価:本体1200円+税/小学館)
教えてくれたのは
保育者。自主幼稚園「りんごの木」代表。子供の気持ち、保護者の気持ちによりそう保育をつづけて半世紀。小学生ママ向けの講演も人気を博している。ロングセラー絵本『けんかのきもち』(ポプラ社)、『こどものみかた』(福音館書店)、『あなたが自分らしく生きれば、子どもは幸せに育ちます』(小学館)など、多数。親向けの最新刊に『保育歴50年!愛子さんの子育てお悩み相談室』(小学館)がある。
文・構成/HugKum編集部