曹洞宗とは
曹洞宗は、中国に起源を持つ禅宗です。どのような宗教なのか、概要をチェックしてみましょう。
中国から伝えられた仏教宗派
曹洞宗は、中国・唐代の禅僧・洞山良价(とうざんりょうかい)を開祖とする禅宗です。その正伝の仏法を道元禅師が日本に伝え、現在では臨済宗(りんざいしゅう)・黄檗宗(おうばくしゅう)と並び「三大禅宗」の一つに数えられています。
曹洞宗における教義の根幹は「坐禅」です。僧侶や信者たちは壁に向かって坐禅を組み、悟りへの修行を行います。
曹洞宗の大本山は、福井県の永平寺・神奈川県の總持寺(そうじじ)の二つです。現在日本各地には約1万5,000の寺院があり、一大宗団を形成しています。
曹洞宗の歴史
曹洞宗が日本に伝わったのは、鎌倉時代に入ってからです。日本における曹洞宗の始まりから現在までを紹介します。
鎌倉時代に日本へ伝来
道元禅師が日本に曹洞宗を伝えたのは、鎌倉時代です。道元は14歳で比叡山にて出家の儀式を行い、24歳で中国・宋へと渡っています。そこで「如浄(にょじょう)禅師」と出会って坐禅に励み、28歳で認可を受けて帰国しました。
その後、道元は宇治に最初の僧堂を開設して人々の教化・修行僧の養成を行っています。1244年には大本山・永平寺を建立し、曹洞宗の発展に尽力しました。
曹洞宗がさらなる発展を遂げたのは、第四代・瑩山(けいざん)禅師の代です。彼の門下には優秀な才能が集まり、曹洞宗は日本全国へと広まっていくこととなります。
鎌倉時代末期から室町時代にかけて発展
鎌倉時代は、禅宗そのものが大きく発展した時代です。地方から成り上がった武士たちは、精神的な拠りどころを必要としていました。禅宗の教え・修行は武士社会の支持を集め、政治と関わり合いながら勢力を強めていきます。
鎌倉時代後期になると、中国の南宋に倣った「五山十刹(ござんじっせつ)」制度が導入されました。これは政府が禅宗の寺を格付けし、庇護・管理する制度です。寺の格式は入れ替わりつつ、室町時代以降も続きます。
ただし、時の政権に庇護されたのは臨済宗でした。曹洞宗はむしろ中央とは距離を置き、地方での布教に努めました。曹洞宗の寺院は格付けには入らなかったものの、裾野は地方武士から一般民衆まで広範囲に広がっていくこととなります。
徳川幕府による「寺檀制度」の確立
江戸時代に入ると、宗教統制のため、徳川幕府は「寺檀(じだん)制度」を導入しました。各家庭は、必ず一つの檀那寺(だんなでら)を持たなければならないとする制度です。
それにより、寺院はお布施等で安定的な収入を得られるようになりました。寺院の組織化・統制化が進み、仏教の学問も大いに発展していきます。
当時の曹洞宗は広く民間に受け入れられていましたが、高祖・道元の教えから離れてしまっていた部分がありました。この時期、道元の精神に帰るべきとする「宗統復古(しゅうとうふっこ)の運動」が起こったり、宗典(しゅうてん)の研究・校訂などが盛んに行われたりしています。
800万の信者を抱える大宗団に
明治維新が起こり新たな時代が始まると、寺檀制度は廃止されました。明治政府は仏教の廃止を目論み、「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」が断行されます。日本人の生活と深く関わってきた仏教の習慣・文化・芸術は排除の対象となり、曹洞宗はもちろん、仏教全体が弾圧を受けました。
そのような中、曹洞宗では大内青巒(おおうち せいらん)が仏教の興隆に貢献しました。彼は民衆の啓蒙運動に努めたり、宗門の扶助・護持を目的とした「曹洞扶宗会」を設置したりしたのです。
厳しい時代を乗り越え、曹洞宗は日本三大禅宗の一つとして大きく発展しました。現在の信者の数は、全国で800万人にも上ります。
曹洞宗の教え
曹洞宗の教えとは、どのようなものだったのでしょうか? 教義について詳しく見ていきましょう。
教えの根幹は坐禅
曹洞宗の教義の核となるのは「坐禅」です。これは、本尊である釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ:お釈迦様)が坐禅の修行を極めて悟りを開いたことに由来しています。
そもそも禅とは、物事本来の姿を見極め、心の働きを整えることです。安定した座姿勢で行うことで集中力が増し、身・息・心がバランスよく整うと考えられています。
曹洞宗の坐禅のスタイルは、「只管打坐(しかんたざ)」と呼ばれるものです。坐禅をすることそのものが悟りの姿につながるという考え方で、悟りを開くために坐禅をするという考え方とは一線を画しています。
日常の全てが修行に
曹洞宗の道元禅師は、日常生活における全ての行為を修行と考えるべきと説いています。
普通に生活していると、物事の上辺だけを見て心が惑わされたり、自分勝手な思い込み・欲望で言葉を発したり行動したりするものです。そのため、常に坐禅の心を持ち続け、安定した心で過ごすことが必要とされます。
「日常の全て」とは、文字通り朝起きてから就寝するまでの行動全てです。食べているときも働いているときも、身・息・心の調和を目指さなくてはなりません。
道元禅師と瑩山禅師の教え
曹洞宗は、道元禅師と瑩山禅師の教えがまとめられた経本を基本経典としています。
「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」は、道元が正しい教法を網羅して収容することを目的とした書物です。23年という長きにわたって編さんされましたが、道元禅師は志半ばで亡くなってしまいます。残りは弟子が引き継ぎ、95巻で完成しました。
「伝光録(でんこうろく)」は、瑩山が修行僧たちに行った説法をまとめた経典です。経典では、曹洞宗のさまざまな祖師たちの逸話が、瑩山の解説や激励付きでまとめられています。
この他、正法眼蔵から道元の言葉を抜き出した「修証義(しゅしょうぎ)」なども、日用経典として使用されます。
曹洞宗の葬儀の流れやマナー
曹洞宗の葬儀は、鳴り物が登場する・儀式が多いといったことが特徴です。葬儀の流れやマナーを見ていきましょう。
葬儀の流れ
曹洞宗の葬儀は、以下の流れで行われます。
1.導師入場
2.剃髪(ていはつ):故人を仏弟子とするための儀式
3.授戒(じゅかい):個人が安らかに仏の国へ行くための儀式
4.鼓鈸(くはつ):仏具を打ち鳴らす
5.入棺諷経(にゅうかんふぎん):入棺の儀式
6.龕前念誦(がんぜんねんじゅ)・挙龕念誦(こがんねんじゅ):読経
7.引導法語:導師が故人の生涯を漢詩で示す
8.山頭念誦(さんとうねんじゅ):読経
9.導師退場
鼓鈸では、3人の僧侶が一つずつ仏具を持ち、それぞれを打ち鳴らして音を出します。これは、音で悪しき物を払う意味があるそうです。
入棺諷経は元々入棺の儀式でしたが、現在ではほとんど行われません。一般的な葬儀では、このタイミングで焼香の声掛けが行われるでしょう。
引導法語は、曹洞宗ならではの儀式です。松明の代わりとなる仏具や線香が使われ、導師が大きな声を上げるケースもあります。
ただし、葬儀の詳細やしきたりは地域によっても異なります。不明な点は、葬儀社や知人・友人に確認しておくのがベターでしょう。
葬儀のマナー
曹洞宗のマナーは、仏葬のマナーに準じます。特に大きな違いはありませんが、「焼香」「数珠の持ち方」については今一度確認しておいたほうがよいでしょう。
焼香
まず焼香は、曹洞宗では2回が正式なスタイルです。1回目は「主香」となるので、親指・中指・人差し指で抹香をつまみましょう。そのまま額の高さまで手を上げ、押し頂いてから香炉にそっとくべます。2回目は押し頂かずに、持ち上げたらそのまま香炉にくべるのがマナーです。
数珠の持ち方
また曹洞宗では、右手を仏様の世界、左手を迷いの多い人間界と考えます。数珠は左手に持ち、真摯な気持ちで手を合わせましょう。曹洞宗の正式な数珠は、「人間の煩悩の数と同じ108玉」「銀輪が付いているもの」です。
三大禅宗の一つ曹洞宗
曹洞宗は、鎌倉時代に中国よりもたらされた禅宗です。高祖・道元禅師によって広められ、太祖・瑩山禅師のときに宗派の基盤ができました。
曹洞宗の教義の根幹は坐禅です。悟りを得るために坐禅をするのではなく、ひたすらに坐禅を行うことが悟りにつながると説いています。
日常生活で何かと不安になったり、自分を見失いそうになったりすることがあるかもしれません。心のバランスが崩れてきたと思ったら、曹洞宗の教えに倣い、坐禅に取り組んでみるのはいかがでしょうか。
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文・構成/HugKum編集部