―「探究」は最近の教育界でのホットワードですが、子どもが探究し始めるようにするには、どうしたらいいでしょうか?
何かに対して、子ども自らが心の底から湧いてくるワクワクを感じることが探究の道の始まりだと思っています。
僕自身も普段からどうしたら子どもの心に火をつけられるのか、自分の中でいろいろ研究していますが、大切なのは人間が持つ習性を見極めること。そのカギとなるのが、
「確かに」「なんで?」「もしかして…」「なるほど!」という4つの言葉。
例えば、ハチの巣について。
ハチの巣の形といえば、そう、六角形ですよね。世界中、国やハチの種類に関係なく、六角形のカタチを見ることができます。
でもこのハチの巣、一体なぜ、六角形なのでしょうか?
強さでいうと、一番強いのは、三角形です。敷き詰めやすさでいうと、四角形でもいいはず。円だって、強い形です。
しかし、実際のハチの巣は、他の形が混じることなく、びっちりと六角形で作られています。
一体なぜ、ハチの巣は、六角形だけで作られているのでしょうか?
①「確かに」と思いますよね。
と同時に、
②「なんで?」という問いが生まれてきます
そして、その疑問を解明するために
③「もしかして…」と考察を繰り返し、秘密が解き明かされると
④「なるほど!」となる。
私たちの頭の中では、普段、いちいち意識はしませんがこうした言葉が幾度となく飛び交っています。このように、人間が何気なく繰り返している学び方に即して何かを知っていくことは、楽しく、驚きや発見に満ちています。こうした学び方を続けていれば、わざわざ探究などと言わなくても、疑問に思ったことに向かっていくだけで、いろいろな扉が開いていく。自らどんどん学べるようになるのだと思います。
子ども時代に特別なことがなくても、目の前の物事を楽しめていたら◎
―向さんご自身はどんな子どもでしたか。探究をしたり、何かにハマった経験はありますか。
僕は富山県で育ちで、外遊びが好きな子どもでした。田んぼでおたまじゃくしを捕ったり、めだかやザリガニを捕まえて家で飼ったりしていましたね。幼い頃にハマっていたことは、魚図鑑や車図鑑を片っ端から覚えることですが、今となっては、正直あまり記憶はなく。幼い頃から何か特別なことをしてきたというわけではなかったですね。
物心がついてからは、中学生の頃にポケモンのゲーム攻略に必死になっていたのと、中学でなんとなく始めた硬式テニスが面白く、高校までの6年間はテニス漬けの日々を送っていました。高校では、県大会の団体戦で優勝経験があります。
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転機となった高校時代のアメリカ留学と、大学時代に生まれた探究にまつわる2つの問い
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高校時代には留学、大学時代には休学をしていたそうですね。
- はい。高校時代にアメリカ留学をしましたが、もともと英語が話せたわけではないので、現地ではうまく話せない、伝えられないもどかしさと挫折をずっと味わっていました。
しかし、毎日大量の英語を浴びていると、帰国する頃には意思疎通が図れるようになりました。 - 留学をしたことで、いままで見えていた選択肢のもっと外側にある選択肢が見え、そこで世界が広がった思いがしましたね。僕は、留学にいくために高校を1年間休学したので、高校には4年間通いました。そこで「みんなと一緒」というレールから外れましたが、そのおかげでいろいろなことに捉われなくなり、枠を外れる怖さも薄まりました。海外に飛び出す選択をしたことが、今につながる大きな一歩になりました。
その後、教師という仕事に漠然とした興味を持ち、国際基督教大学教養学部リベラルアーツ学科(教育学専攻)に進学したのですが、そこでカルチャーショックを受けました。僕が受けてきた教育はかなりしょぼかったなと(笑)。
それまでの僕にとっての勉強は、必要とされている答えにいかに正しく早くたどり着くかというゲームみたいなもので、僕は、それが結構得意でした。対して、大学での学びは、物事について本質的に考え、自分なりの意見を導き出すというものでした。そんな学び方は高校までにはほとんどやっていなくて、初めてそういう環境に身を置き、読書をしたり、ディスカッションをしたり、レポートを書いたりする中で、学ぶことってなんて面白いんだと思ったのです。
そして同時に、なぜ世の中の大人たちはこういう教育をしてくれないのか、高校からこういう学びをしたらいいのにと、憤りを感じました。それで、教育を変革をしたいという思いが芽生えました。しかし、僕自身実際に、そうした教育を子どもたちに対して実施している現場を見たことがなく、実態のイメージが湧いていませんでした。
そこで、大学3年生から2年間、岡山県の高校で『高校魅力化プロジェクト』のコーディネーターをするために休学をしました。
―実際の教育現場とはどんな場所ですか?
人口1万5000人くらいの中山間地域の高校で、総合的な学習の時間(※現在は総合的な探究の時間)をコーディネートしました。人口減少などの地域の課題と向き合い、どう解決していくかという、探究のプログラムを企画していたのですが、高校生はなかなか乗ってこず。大人がやったらいいと思うことをプログラム化しても、高校生にとって興味がない場合、主体的には取り組めませんでした。
そうした中でいろいろ話をしてみると、女子生徒たちのグループは、緑のロゴのカフェに並々ならぬ憧れを持っていることがわかりました。本当に並々ならぬ憧れでした(笑)。「うちの街にもス◯バがあったらええがー」とのことだったので、「じゃあ、作っちゃうか!」と、町の商店街の空き店舗を1日借りて、カフェをやることになりました。
緑のロゴのカフェの、カップにメッセージを書いてくれる文化が気に入っていたらしく、彼女らも紙カップ200個に1つずつメッセージを書きはじめ、自ら工夫をし始めました。好きなものを聞いてもらえて、ちょっとした後押しがあると、少しずつ自発性が生まれてくる。小さな成功体験を積んでいくと、またチャレンジしたくなる。そうした、学びに関わるうえでの基礎的な体験を得られました。
一方で、やらされている感覚を持っていた生徒もたくさんいました。学校のカリキュラムの中で行っていたので時間的な制限もあり、そうした生徒たちはだんだん取りこぼされていく。そんな様子を見ていて、力不足を感じつつ、やらされる探究って何なんだろうと思いました。
どうしたら心の内からワクワクが湧いてくるのか。そういう学びのあり方を、いかにすれば公教育で実現できるのか。そんな新たな問いも、僕がこのプロジェクトを通じて得たもの。その何らかの答えを見つけるために、探究学舎にやってきました。
本当の価値がわかると生まれる感謝の気持ち
最初にお話しした4つのキーワードの一つ「なるほど!」についてですが、これは、英語の「アプリシエーション(appreciation)」 という単語につながっていると思っています。この単語はよく「感謝する」と訳されますが、「真価を理解する」という意味もあって、本当の価値が分かるから感謝の気持ちになれるのだろうなと思うのです。探究学舎に来ている子どもたちからも、それを感じることがあります。
例えば、福井県にある水月湖の湖底に、世界的にも貴重な、7万年の歳月をかけて積み重なった「年縞」という縞模様があるのですが、その秘密を解き明かした科学者の話を授業でとり上げたところ、大変ハマってくれた子がいて、実際に湖を見に行ったというのです。
実のところ、湖に行っても、湖面には変わったところは何もないのですが(笑)、彼は湖の真価を分かっているから、そこは聖地であり、わざわざ自転車をレンタルして、自らの足で湖のほとりまで足を運んだそうです。そういう話を聞くと、本当に「いいねぇ!!!」と思います。
―子どもの探究心って、そんな風に生まれ、育っていくものなのですね。探究の重要性が叫ばれているからといって、親が躍起になってもダメなのだと感じました。
親御さんも、子どもと一緒に探究を楽しめるといいですよね。そのきっかけ作りの場として、探究学舎を利用してもらえたらいいと思います。探究学舎の授業や体験を通じていくつかワクワクに出会ってもらったら、きっと、見える景色が変わるはずです。極端な話、1回来てそういう感覚が芽生えたのなら、もう来なくてもいい。もちろん、何度来ても楽しんでもらえる授業づくりは心掛けていますよ。
撒かれた種は、環境が整った時に発芽します。種ってそういうもの。お子さんに撒いた種もちゃんと埋まっていますから、すぐに発芽しなくても焦らないでくださいね。
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お話を伺ったのは
取材・文/鈴木友紀