コミックエッセイ『学校に行かない君が教えてくれたこと』(オーバーラップ)の著者である今じんこさんは、子どもが不登校になり、周囲からの言葉や偏見、自分の中の「親ならこうあるべき」という固定観念で、がんじがらめになっていたといいます。
じんこさんが実際に周囲にかけられた言葉は、どのようなものだったのでしょうか。
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「不登校」にどんなイメージを持っていますか?
−−じんこさんも、実際に不登校に直面すると、知らないことや思い込みが多かったことに気づいたと描かれていますね。
じんこさん:はい。多様性のこの時代ですし、偏見なんて持っていないつもりでした。でも実際、もっちんが学校に行かなくなり、その「つもり」のせいで迷走してしまいましたね。
でも今は、もっちんを通して不登校を知り、固定観念や「こうあるべき」を手放したことで、体も心も軽くなりました。
「いつか行けるよ」「行けるようになるといいね」そんな言葉が、当事者を傷つける
–周囲の何気ない一言も、当事者を傷つけていますね。
じんこさん:さすがに今の時代「不登校は悪だ」と言われることはないですが、その代わり、「いつか行けるよ」のような言葉は周囲によく言われますね。悪気がないのはわかっていますが、学校に行くことが正しい、のように語られることが残念です。不登校の子を持つ親で、このような周囲の言葉で傷ついているという方は多いです。
例えば独身の人に「結婚できない人」なんて言ったら失礼になりますよね。学校に関しても「行ける(can)」「行けない(can’t)」で語られる前提には違和感があります。
–他にもよく言われることはありますか?
じんこさん:「じんこさんだから、そんなふうにできる」「自分なら無理」と周囲に言われることもよくあります。本を出した後は「じんこさんも私と同じように悩んでいたんだ」と言ってもらえるようになりましたが。逆に、不登校の子を持つママの中には、仕事を持ち働いていることに対して「私ならそんなことしない」「子どもがかわいそう」などと言われたという人もいます。
「自分に不登校は関係ない」と線を引くのではなく、みんなが、社会全体が不登校について知っていくことで、傷つき苦しむ親子は減っていくと思います。
子どもの「学校へ行かない選択」とともに、「母親ならこうあるべき」を手放した
–周囲の言葉や偏見によって傷ついた心をどのように回復されたのでしょうか。
じんこさん:自分では「もっちんは大丈夫」と思っても、周りの声によってその思いがグラグラ揺らぐこともありました。偏見だけでなく、自分の中の「こうあるべき」という呪縛によってがんじがらめになっていたんだと思います。
でも、子どもが「学校へ行かない」という選択をしたときに、それらの呪縛から解放され、私も私のやりたいことをやろうと思えるようになりました。子どもがそれを気づかせてくれたんだと思います。いい母親になろうとしなくなったら、逆に子どもが喜んでくれるようになりました。子どもも母親が仕事をしていること、遊んでいることが嬉しいようです。
子どもが変わったのではなく、子どもを見る目が変わった
–「不登校を脱ぐ」という表現も印象に残っています。
じんこさん:私はもっちんのことを一番わかっていると思っていました。でも不登校を経験して、実際には何もわかっていなかったということに気づいたんです。勝手に理解しているつもりになって、自分が思う正解を押し付けてたくさん失敗してきたと思います。
コミックにも書いていますが、不登校そのものが問題でなく、「不登校は問題だ」と思い込む大人が、不登校を問題にしているだけなんですよね。
不登校を脱いだもっちんは、そのままで輝いているもっちんでした。子どもが変わったのではなく、私自身が子どもに向けるまなざしが変わったのだと思います。
–今不登校に悩んでいる方にメッセージはありますか?
親も子どももみんな違うので、私の本を「不登校の正解」とは思ってほしくないです。でも、この本が何かをやってみるきっかけになればと思います。
本の中にもっちんが作った料理を紹介しているページがあるのですが、これを見て「うちの子も、ちょっとお料理作ってみました」という報告がいくつかありました。ご飯も食べられないくらい傷ついた子どもが、 「お母さんとちょっとお料理してみようかな」と思うきっかけになったというのは、本当に嬉しかったです。
あとは、信頼できる情報やコミュニティを頼ってほしいです。私もSNSで子どものことを書いていたら、どんどんみんなが情報をくれるし、視野も広がったと思います。仲間がいることにすごく励まされました。人と繋がることを諦めないでほしいです。