紫式部ゆかりの「石山寺」とは? その歴史や文化遺産としての価値、源氏物語との関係をチェック【親子で歴史を学ぶ】

石山寺は滋賀県大津市にあり、紫式部と縁が深い場所として知られています。NHK大河ドラマ「光る君へ」にも登場しており、どのような寺院なのか気になっている人もいるでしょう。石山寺の特徴や歴史、紫式部との関連性、見どころなどを紹介します。
<上画像:石山寺多宝塔(国宝)Photo by 663highland, Wikimedia Commons>

石山寺とは

石山寺は長い歴史を持ち、多くの歴史上の人物と関係のある場所です。他の寺院にはない珍しい特徴があり、名前の由来にもなっています。どのような場所なのか、詳しく見ていきましょう。

真言宗の大本山

石山寺は真言宗の寺院を統括する大本山の一つです。奈良の大仏で知られる東大寺建立の際に建築資材を集め、建築場所に送り出すために使用された場所だったと伝えられてます。

山の麓に位置し、境内のさまざまな場所で硅灰石(けいかいせき)が見られることが名前の由来です。硅灰石は石灰岩と花崗岩が接触した際の熱作用によって生まれた世界的にも珍しい石で、国の天然記念物に指定されています。本堂や多宝塔は、硅灰石の上に建てられています。

石山寺の硅灰石 Photo by  663highland, Wikimedia Commons

また四季折々の花が見られることから、「花の寺」としても有名です。春にはウメ・サクラ・ツツジなどが咲き誇り、秋には約2,000本の紅葉が境内を彩ります。

奈良時代に創建

石山寺は奈良時代の747(天平19)年に、聖武天皇の勅願により創建されたと伝わっています。元々は東大寺と同じ華厳宗でしたが、平安時代に真言宗の寺院になりました。

武家が戦勝を祈願するために訪れ、さまざまな建造物が寄進されたのは鎌倉時代になってからです。1573(天正元)年に足利義昭と織田信長が争った際には、東大門が損傷し、寺の所有する領地5,000石を信長に没収されました。

現在の石山寺の姿は、安土桃山時代から江戸時代にかけて豊臣秀吉の側室・淀殿の寄進によって、東大門や本堂の礼堂などが修復・再建されたものです。

石山寺と紫式部

石山寺の紫式部[画:歌川広重(3代目)]Wikimedia Commons(PD)

石山寺は「文学の寺」としても有名です。古くから多くの作家や歌人が訪れたと伝わり、紫式部や源氏物語と切り離せない関係のある寺院でもあります。どのような関係があるのか、詳しく見ていきましょう。

石山寺で生まれた「源氏物語」

石山寺は「源氏物語」の始まりの地として知られ、「須磨」の巻に登場する「今宵は十五夜なりけり」の一文は、瀬田川の川面に映った満月を見て思いついたとする説が有名です。

瀬田川・鹿跳橋のあたりの景観

平安時代に貴族たちの間で「石山詣(いしやまもうで)」が流行し、女流文学者・藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)や、菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)なども石山寺を訪れたそうです。

紫式部は主人・藤原彰子(ふじわらのしょうし)の要望を受け、新しい物語の構想を練るために石山寺を訪れ7日間籠りました。境内には紫式部供養塔や紫式部像があるほか、源氏物語にまつわる多くの美術品や紫式部が使ったと伝わる硯石(すずりいし)などが所蔵されています。

紫式部が過ごした「源氏の間」

石山寺の創建や歴史が記された「石山寺縁起絵巻」には、天皇や貴族などの身分の高い人が使用する部屋が描かれています。紫式部も石山寺を訪れた際、本堂の一角に滞在しました。

石山寺縁起絵巻 第4巻第1段。湖面に映る月影を見て物語の構想を得る紫式部[画:土佐光信]Wikimedia Commons(PD)

紫式部が使ったとされる部屋は、鎌倉時代ごろには「源氏の間」と呼ばれていたようです。現在、源氏の間には十二単を身に着けた紫式部の人形が置かれています。本堂の外から部屋の様子を見られるようになっており、歴史のある佇まいを現代に伝えています。

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石山寺の見どころ

古くから多くの武家や平安貴族などと関わりを持ってきた石山寺には、見どころもたくさんあります。歴史を感じさせる、主な見どころをチェックしてみましょう。

寺の玄関口「東大門」

東大門は石山寺の正門であり、国の重要文化財に指定されている建造物です。鎌倉時代に源頼朝によって寄進されたと伝わります。

東大門 Photo by 663highland, Wikimedia Commons

重厚感のある入母屋造り(いりもやづくり)と、本瓦葺の屋根が特徴です。安土桃山時代の戦火による消失の後、淀殿の寄進によって大規模修復されました。門の北側の妻飾りの近くに、豊臣家の家紋である「五七桐紋」が透かし彫りされています。

門の左右に安置されている仁王像は、鎌倉時代の彫刻家・運慶(うんけい)と、その息子・湛慶(たんけい)による作品です。荘厳さや風格を感じさせる作りになっていて、美術的に高く評価されています。

源氏の間があり国宝指定の「本堂」

石山寺の本堂は滋賀県最古の建造物であり、国宝に指定されています。1078(承暦・じょうりゃく2)年に落雷により被災しましたが、1096(永長元)年に再建されました。

本堂(国宝) Photo by 663highland, Wikimedia Commons

紫式部が時間を過ごしたとされる「源氏の間」や、長さ7丈(約21m)の豪快な仏堂などが見どころです。本堂の奥に安置されている本尊の如意輪観世音菩薩(にょいりんかんぜおんぼさつ)は、天皇の命令で封じられている全国で唯一の仏像であり、普段は見られません。

一般公開されるのは33年に1度、もしくは天皇が即位した翌年のみです。普段は本尊が安置されている場所の前に、身代わりの御前立尊(おまえだちそん)が安置されています。

石山の秋月で有名な「月見亭」

月見亭は平安時代後期に、後白河法皇(ごしらかわほうおう)が訪れた際に使用したと伝わる場所です。崖にせり出すように建てられ、瀬田川や琵琶湖を見下ろせる位置にあります。そこから見える景色は、近江八景の一つに数えられています。

例年9月の中秋の名月に合わせて「秋月祭」が開催されており、2024年も9月17〜18日に開催予定です。期間中は境内が行燈でライトアップされ、源氏物語に関する催しが開催されるなど、多くの人で賑わいます。

月見亭 Photo by 663highland, Wikimedia Commons

多くの人の信仰を集める石山寺

石山寺は時の権力者たちに愛された場所であり、現代も多くの人の信仰を集めている寺院です。名前の由来となった硅灰石や、季節の花々といった見どころも多く、観光スポットとしても人気です。

紫式部が源氏物語の着想を得たことでも知られ、紫式部に関連する美術品や歴史が深い建造物が見られます。石山寺を舞台にしたドラマを見る際は、特徴や注目ポイントを知っていれば、味わい深さが増すはずです。より歴史のロマンを感じたい人は、休日などを利用して実際に足を運んでみるのもよいでしょう。

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構成・文/HugKum編集部

出典:大本山 石山寺 公式ホームページ
石山寺 秋月祭

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