熊本城はどんな城?
熊本城は日本を代表する城の一つであり、熊本を象徴する場所として古くから人々に親しまれています。どのような城なのか、見ていきましょう。
長い歴史と多くの重要文化財を持つ
熊本城は豊臣秀吉の家臣で、築城の名手といわれた加藤清正によって造られました。国の重要文化財に指定されているほか、諸説あるものの江戸城・大阪城と並んで日本三大名城の一つにも数えられています。
日本史上の重要な出来事の舞台としても知られ、歴史的に貴重な建物や建造物が多く残っているのが大きな特徴です。
広大な敷地内には、天守閣や本丸御殿・二の丸・三の丸など複数のエリアがあり、天守閣の最上階からは熊本市内や阿蘇の山並みを眺められます。
別名は「銀杏城」
熊本城の別名は「銀杏城」といい、天守閣前広場に植えられている大イチョウが名前の由来です。このイチョウの木は、築城の際に加藤清正が植えたと伝えられています。
明治時代初期に起こった西南戦争のときに、天守閣や本丸御殿が火事になり、イチョウの木も焼けてしまいました。現在見られるものは、焼け跡から生えてきた芽が成長したものです。
また、熊本城はサクラの名所としても知られ、ヤマザクラ・ヒゴザクラ・ソメイヨシノが合わせて約800本も植えられています。
例年、3月下旬~4月上旬ごろには「二の丸広場」「坪井川沿い」「天守閣前広場」などでサクラの花を楽しめます。
波乱万丈? 熊本城の歴史
熊本城は古くから熊本地方の政治や経済の中心地であり、時代が変化した今もまちを象徴する存在であり続けています。築城から現代までの歴史を見ていきましょう。
江戸時代に加藤清正が築城
1588(天正16)年に、名将として知られる加藤清正が肥後北半国(現在の熊本市の北)の領主となり、新しい城の築城に着手します。
清正は茶臼山と呼ばれる台地一帯を城塞化するために治水工事を施し、坪井川に内堀、白川に外堀の機能を持たせました。城が完成したのは、江戸時代が始まって間もない1607(慶長12)年のことです。
清正は水田の開発や南蛮貿易にも力を入れ、領地の経営を積極的に行ったのでまちが豊かになりました。1632(寛永9)年に加藤家が改易されると、小倉藩(現在の福岡県)の藩主だった細川忠利(ほそかわただとし)が城主となります。
1640(寛永17)年、忠利は剣豪・宮本武蔵を客人として招き、坪井川にほど近い現在の千葉城町付近に屋敷を与えます。武蔵はこの地で晩年を過ごし、「二天一流兵法(にてんいちりゅうへいほう)」の確立や、「五輪書(ごりんのしょ)」の執筆などの功績を残しました。
西南戦争の戦地に
1874(明治7)年、熊本城内は陸軍用地に編入され、熊本鎮台本営が熊本城本丸に移転します。1877(明治10)年2月には西南戦争の包囲戦の舞台となり、司令長官の谷干城(たにたてき)が率いる鎮台兵と、西郷隆盛が率いる薩摩軍が衝突しました。
西南戦争が起きた背景には、新しい時代への変化が関係しています。薩摩(現在の鹿児島県西部)の武士たちが明治政府の方針に強く反発した結果、反乱が起こったのです。
薩摩軍は鎮台兵の約3倍の兵で熊本城を囲みますが、強固な守りにはばまれ、ついに城攻めを諦めます。その後薩摩軍は不利な状況へと追い込まれていき、戦争は政府軍の勝利で終わりました。
この戦いで難攻不落を証明した熊本城ですが、開戦直前に起きた原因不明の火災によって、天守・本丸御殿などが焼失しています。
戦争や震災にも負けずに復興
1960年に市民からの寄付も受け、焼失した天守閣が再建されます。鉄筋鉄骨コンクリート造で、当時の写真をもとに、瓦の枚数のような細かい部分まで再現したのです。
2016年の熊本地震では熊本城も被災しましたが、2021年に天守閣が再び建て直され、復興のシンボルとなりました。
新しい天守閣はバリアフリー化や展示内容の見直しが行われています。天守閣以外にも、二の丸エリアの「監物櫓(けんもつやぐら)」や、坪井川に面する「長塀」が復旧完了しています。(2024年3月現在)
熊本城の見どころ
日本にはたくさんの城がありますが、熊本城にはどんな特徴があるのでしょうか? 訪れる前に押さえたい、熊本城の見学ポイントをチェックします。
復旧の様子を見学できる
熊本城は、2016年の熊本地震により被害を受け、現在も至るところで復旧作業が進められています。通常は工事を優先するために来場者を制限しますが、熊本城では復旧現場自体を観光できるという、これまでにない試みが見どころです。
全長約350mの「特別見学通路」は、城内の建築物や樹木を傷付けず、安全に復興中の様子を見られるように、歩道橋のような構造になっています。
空中散歩を楽しみながら、熊本城の外観や今しか見られない復旧工事の様子を見学できます。
再建された「天守閣」
熊本地震の後、天守閣は城内でもいち早く復旧され、2021年4月26日に全面的にリニューアルオープンしました。地下から6階まであり、時代ごとに天守閣の歴史を学べる展示物が目玉です。
築城から西南戦争までの流れ、1960年の天守閣再建、熊本地震の被災や復興を、模型や映像を使用して解説しています。
また、最上階には熊本城の敷地や市街地を一望できる展望フロアがあります。明治初期に撮影された最上階の眺めと現代の景色を重ねる、スマホアプリのユニークな仕掛けも体験してみましょう。
敵の侵入をはばむ「石垣」
熊本城の石垣は、敵に侵入されないように、よく考えられています。下の方は緩やかなので登れそうに見えますが、上に向かうにつれ傾斜が厳しくなる設計です。
侵入しようとする敵をはねのけることから「武者返し」と呼ばれています。熊本地震で石垣の一部が崩れましたが、大部分は建造当時のままです。
加藤清正時代の古い石垣と、後の城主・細川忠利の時代に造られたとされる新しい石垣の両方が並んだ場所もあります。「二様(によう)の石垣」と呼ばれ、異なる時代の石垣を比較できる興味深い場所の一つです。
また、竹の丸から飯田丸に向かう通路は、高い石垣に囲まれ何度も折れ曲がる構造で、ここにも敵の侵入を阻止する工夫がされています。
熊本城で開催されるイベント
熊本城では季節ごとにさまざまな行事が行われます。親子で参加すれば、良い思い出になるでしょう。家族でのお出かけにおすすめな、熊本城のイベントを紹介します。
春と秋に開催される「お城まつり」
春のお城まつりは例年3月、秋のお城まつりは例年11月中旬~12月上旬ごろに行われます。二の丸広場を中心にして、伝統芸能のショーや音楽イベントが満載です。
その年によって内容が異なりますが、春のお城まつりは古武道演武会や太鼓響演会、熊本のグルメを集めた食のイベントもあります。
秋のお城まつりは、紅葉する木々や敷地内がライトアップされ、「竹あかり」による夜景が幻想的です。市民だけでなく国内外の人に向け、熊本の魅力や文化を伝える機会として活用されています。
参考:くまもとお城まつり
灯りの祭典「みずあかり」
「みずあかり」は例年10月上旬に開催される、竹灯籠を使用したイベントです。2日間で約5万4,000本のろうそくが灯され、熊本城の長塀前・坪井川や、花畑公園までの道路などが、ろうそくの明かりに照らされます。
演出に使用された竹は、竹炭や肥料に再利用され、環境に配慮されている点も新しい発想です。美しい風景を生み出すだけでなく、運営プロセスにもこだわっています。
行政の資金に頼らず、地元企業や行政職員・市民ボランティアの手によって運営される、市民の祭りです。
参考:熊本暮らし人まつり みずあかり 6千人のボランティアでつくる特別な夜。
逆境に負けず歴史を刻み続ける熊本城に注目
熊本城は、歴史上の有名人物との関わりが深く、戦争や震災にも負けずにまちのシンボルとして長い歴史を刻んできた名城です。
まだ復旧中の場所は多く残っていますが、リニューアルした天守閣や特別見学通路といった多くの観光スポットがあります。震災前に訪れたことがある人も、初めて行く人も満足させてくれるでしょう。
春と秋に開催される「お城まつり」やライトアップのような、季節ごとのイベントを楽しめるのも魅力の一つです。機会があれば、家族で足を運んでみてはいかがでしょうか。
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構成・文/HugKum編集部