パリに漢字を当てると「巴里」。いつから使われてるの?
7月26日(日本時間7月27日)からパリオリンピックが開催されます。26日の開会式ではパリの中心部を流れるセーヌ川が舞台になるそうで、とても楽しみです。
でも、今回の話はオリンピックとはなんの関係もありません。パリに漢字を当てた表記についてです。
フランスの首都パリは漢字を当てると「巴里」と書きます。では、この表記は、いつ頃からどのようにして生まれたものなのでしょうか?
江戸時代には「把理斯(パリス)」と書かれた書物があった
「パリ」を漢字で書く表記は、江戸時代の後期から見られます。けっこう古いものだったのです。
ただ「パリ」の名称は、日本では英語の発音による「パリス(Paris)」が先に入ってきたようです。蘭学者の青地林宗(あおちりんそう)が翻訳した『輿地誌略(よちしりゃく)』(1826年)という世界各国の地誌を記した本には、「把理斯(パリス)」と書かれています。おそらくこれが日本で最も古い「パリ(ス)」の表記の1つでしょう。でも、漢字音を当てただけですから、「把理斯」以外の表記もありました。
福沢諭吉も使っていた「巴里」。実は漢字にはこだわっていなかった?
明治になってからですが、福沢諭吉が書いた『頭書大全世界国尽(とうしょたいぜんせかいくにづくし)』(1869年)は「巴里斯(パリス)」で「里」が使われています。でも福沢は『西洋事情』(1866~70)では「巴理斯」と書いています。
やはり明治の初めに、新聞記者の村田文夫が書いた『西洋聞見録』(1869~71年)には「巴黎斯(パリス)」という表記が見られます。
さらに俳人で戯作者(げさくしゃ)だった萩原乙彦が書いた『東京開化繁昌誌』(1874年)では「巴利枢(パリス)」です。
いずれにしても「パリス」という読み方がわかればいいといった感じで、使われる漢字はあまりこだわっていなかったように感じられます。
中国では「巴黎」と書く
「巴」の日本での漢字音はハですが、中国ではパーでパのつく地名に当てられます。たとえば、パナマは中国では「巴拿馬」と書きます。ただ日本では、「巴奈馬」と書かれたものもあります。
「理」「里」「利」の音はリですので問題はないのですが、「黎」は少し説明が必要でしょう。日本語の音はレイですから。「黎」をリと読むのは中国音です。中国では現在も「パリ」は「巴黎」と書きます。
やがて、「パリ」は日本でもフランス語の発音で呼ばれるようになりますが、複数ある表記の中から、「巴里」が生き残ったようです。この表記だけが残った理由はわかりませんが、「巴里」と書かれると、私なども行ったことはないのに、パリの町並みが目に浮かぶような気がするから不思議です。
記事監修
辞書編集者、エッセイスト。元小学館辞書編集部編集長。長年、辞典編集に携わり、辞書に関する著作、「日本語」「言葉の使い方」などの講演も多い。文化審議会国語分科会委員。著書に『悩ましい国語辞典』(時事通信社/角川ソフィア文庫)『さらに悩ましい国語辞典』(時事通信社)、『微妙におかしな日本語』『辞書編集、三十七年』(いずれも草思社)、『一生ものの語彙力』(ナツメ社)、『辞典編集者が選ぶ 美しい日本語101』(時事通信社)。監修に『こどもたちと楽しむ 知れば知るほどお相撲ことば』(ベースボール・マガジン社)。NHKの人気番組『チコちゃんに叱られる』にも、日本語のエキスパートとして登場。新刊の『やっぱり悩ましい国語辞典』(時事通信社)が好評発売中。