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「子どもが生めない」という診断から、特別養子縁組でお子さんを迎えるまで
――久保田さんが特別養子縁組制度について知ったきっかけを教えてください
久保田さん:私は20代の頃に、医師から「子どもを生めないだろう」という診断を受けました。当時は結婚の予定もありませんでしたが、それを聞いて「自分の人生はどうなるんだろう」と思いながら過ごしていました。
特別養子縁組制度のことは、それ以前から知っていましたが、偶然テレビで特別養子縁組制度をテーマにしたドキュメンタリー番組を見て、自分の選択肢として考えられるかもしれないと思うようになったんです。
特別養子縁組とは、子の福祉を積極的に確保する観点から、戸籍の記載が実の親子とほぼ同様となる縁組形式のこと。生みの親との関係は終了し、戸籍には実子として長男/長女などと記載されます。
その番組では特別養子縁組で家族になった人たちが、子どもを受け入れた経緯や、市役所等の手続きなど、細かいところも全てオープンにお話しされていました。それを見た時に、こういう選択肢があって、本当に幸せになれるんだなということがイメージできたんです。
当時は「私がママでいいのかな」、劣等感のような気持ちもあった
――血のつながりのない子どもを受け入れることに迷いはなかったですか?
久保田さん:私の場合はすでに「血のつながりのある子を持つという選択肢はない」という段階にいたので、そういった意味での迷いはありませんでした。
ただ、「私は子どもを生めないのに、なぜ子どもを育てたいんだろう」ということはすごく考えていました。夫と2人で暮らすのも、とても幸せだったんです。この幸せをあえて変える必要があるのか? それでも子どもを育てたいと思うのはどうしてなんだろう、とは思っていました。
それに「私がママでいいのかな」という気持ちもありました。例えば母乳が出ないからミルクじゃなきゃいけないし、本当なら母乳の出せるお母さんの方がいいんじゃないかなと考えることもありました。自分にはできないことがあるということに劣等感のようなものを抱いていたんだと思います。
結局はっきりと答えが出たわけではありませんが、やっぱりそれでも子どもを育てたいという気持ちが強かったので、子どもを迎え入れることになりました。
家族の絆は日々の積み重ね。少しずつ家族になっていく
――実際にお子さんを迎えてからはどうでしたか?
久保田さん:2019年に生後5日の娘を家族に迎えました。迎え入れることが最終的に決まってからは本当にバタバタで、気づいたら自分の腕の中に赤ちゃんがいたという状況でした。
それからは新生児の子育てって大変だなと感じながらも、自分にそんなことが起きていること自体が想像できなかったことなので、毎日が本当に奇跡のようでした。
「私がママでいいんだ」と思えるようになった
久保田さん:それから家族の絆って何なのだろうということを、何度も考えたのですが、「日々の積み重ね」だなと思うようになりました。毎日毎日オムツ変えて、ミルクあげて、夜泣きをすれば抱えてあやしてあげてという日々を過ごしていると、娘は私のことを「ママ」と呼んでくれるようになったんです。それでやっと、「私がママでいいんだ」と思えるようになりました。
当たり前にスタートしていない分、1つ1つ丁寧に作っていったような気がします。夫婦間でも「ちゃんと話しようね」「困ったらお互い言うようにしようね」と決めていましたし、娘も当たり前の存在ではなく、子育ても当たり前ではないということをいつも感じていた毎日だったと思います。今振り返ると、「当たり前ではない」ということが、私たち家族をよりよくしてくれたような気がします。
「血のつながりがなくても、子どもを愛せますか?」と聞かれたこともありますが、私の場合はそんな疑問が浮かぶこともなく、本当に娘のことが好きで好きで仕方ないし、娘を迎えた年は、人生の中で最高に喜びがあふれた1年間でした。
――久保田さんは新生児のお子さんを迎えられていますが、特別養子縁組では、新生児を受け入れることが多いのでしょうか。
久保田さん:特別養子縁組をするためには、自治体の児童相談所を通して子どもを迎える方法と、民間団体に仲介される方法の2種類があります。私たちは民間団体に登録したのですが、民間は新生児の委託が多いです。
私は新生児にこだわっていたわけではありませんが、赤ちゃんの子育てもしたかったし、最初から関わることで、その分家族の積み重ねが長くできています。
子どもとの会話の中にも自然と「生みの母」の存在がある
――現在5歳のお子さんは、自分が養子であるということを知っているのでしょうか。
久保田さん:子ども自身に養子であることを伝えることを「真実告知」や「テリング」といい、早い段階からこれを行うことが推奨されています。私たちも、娘が2歳半くらいから「生みの母」という言葉を使って話をしています。娘が生まれてからこれまでの毎日をアルバムにするということもしました。その中には生みの母の写真も貼って、「これが生みの母だよ」と伝えました。日常生活の中でも、夜寝る前に「生みの母は元気にしてるかな?」と話すこともあります。
「私はママから生まれたかった」
久保田さん:最近の娘は「私はどこから生まれたの?」と聞いてくることもあります。「生みの母だよ」と答えると、「でもやっぱり、私はママから生まれたかった」って言うんです。そうしたら、「私も生みたかった」って、自分の素直な気持ちを私も言っています。そして、“お腹の中ごっこ”をするときもあります。私が娘をお腹に抱っこして、毛布をかけて「大変!生まれる生まれる〜」と言って、娘がスッポーンと出てくるんです。
こういうことは自分で考えたわけではなくて、特別養子縁組を仲介してくれた団体の相談員さんに一つ一つ相談しながらやっています。子どもがどんな気持ちになり、どうやって自分のことを受け入れていくのかというのは発達段階によって変わってくるので、助言をしてもらえることがとても大切ですし、養親さん同士のつながりをつくってもらったりしています。
――久保田さんは子育てでどんなことに気を付けていますか。
久保田さん:子どもと対等に話すこと、辛抱強く話を聞くことを意識しています。子どもって自分の気持ちを言葉にできないことも多いですし、言っていることと思っていることが同じではないこともあるので、本当の気持ちを知るのが難しいですよね。ですから、子どもの気持ちに寄り添って、言葉にうまくできない感情もそのまま受け入れてあげたいと思っています。
また、真実告知もそうですが、私の顔色を伺って、聞きたいことが聞けないということがないようにしたいんです。ちゃんといつでも聞いていいんだって思える、安心安全な関係性でいることが大切だと思います。
イライラしてしまってついケンカをしても、少し落ち着いたら必ず自分がなぜ怒ってしまったのかを説明して、悪いところは謝るというのも気をつけています。5歳児だからわからないだろうとかそういうことはしません。とにかく対等に話して、「じゃあ切り替えるか!」と言って、二人でぎゅーっっとして、「ちちんぷいぷい、切り替え!」なんてやったりしています。
「子どもを持ちたい」という気持ちの中に、特別養子縁組という選択肢も
――これから特別養子縁組について考えていきたいという方は、まず何をすればよいのでしょうか。
久保田さん:おすすめするのは自治体の「里親研修」に参加することです。様々な事情で親と暮らせない子どもを家庭で預かる里親制度というものがあり、その里親になるための登録をする研修があるんです。
自治体の場合、その里親研修を経て、その先に特別養子縁組の登録に進むという流れになることが多いそうですし、民間団体に登録する際も、里親研修が済んでいるとスムーズです。
久保田さん:また、民間団体に登録する際、法的には年齢制限はありませんが、ある程度年齢が条件に入ってくる場合も少なくありません。ですから、不妊治療の先に特別養子縁組という選択肢を考えられている方も多いと思うのですが、例えばその時に40代後半だったりすると、条件に合わない可能性があるんです。
ですから、不妊治療する際も、早い段階で特別養子縁組という選択肢もあるということをまず知っておくことも重要かなと思います。
久保田さんはアナウンサーから姫路市教育長へ転身! 娘さんとの新生活についても伺いました
「血のつながりがなくても、時間の積み重ねで親子や家族の絆ができていく」という久保田さんの言葉の通り、子育てにおいても丁寧に娘さんと関わる姿勢がとても印象に残りました。
そんな久保田さんはアナウンサーから姫路市の教育長へと転身! 現在5歳になる娘さんと新しい場所で生活を送っています。教育長としての久保田さんの思いや、姫路での子育てについてはこちらの記事をチェックしてください。
取材・文/平丸真梨子 撮影/HugKum編集部