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大阪で4世代が一緒に住む「昭和な家庭」に生まれた
――pecoさんは「世間」にとらわれないご自身らしい家族観をお持ちです。その土壌を作ってこられたのは、ご自身のご家庭の環境が大きいですか?
pecoさん:それはすごくあります。うちの実家は昔ながらの家族構成でありつつ、それぞれの考えは自由、という感じなんです。古い部分も自由な部分も個性的なんですよね。
pecoさん:私が高校生の頃まではひいおばあちゃん、おばあちゃんも存命で、親子4代で一緒に暮らしていました。
父は昔ながらの亭主関白で、母は旦那さんのためにめっちゃ尽くす専業主婦、みたいな感じでした。父は出張や単身赴任で家をあけることが多く、毎日帰ってくるわけではなかったですが、帰宅する日は年の離れた兄や姉も含め、家族全員で「おかえりなさい」って出迎えるんです。
そういうのを正直「すごくイヤ」と思っていたけれど(笑)、もう生活習慣になっていました。そのような背景もあって、私の中にもいわゆる古風とされるような部分が少しあるんですよね。
母は父に仕える古風な人でもあり、自由な発想をする人でもある
pecoさん:母は「昭和な父親」を立てる妻で、いつも家にいて家事や育児をしている人でした。私が学校から帰ってきたときには必ず家にいるので、寂しい思いをしたことがないし、その日学校であったことを全部、自由気ままにさらけ出して話せました。私もそういうお母さんになりたいな、と思っていました。
とはいえ、母はただ真面目なわけではなくて、いい意味でめっちゃ適当(笑)。父の言うことには「はい、はい」と言うけれど、「起こってしまったことはしかたがないよ、ここからいいほうに進んでいけばいい」というマインド。お父さんが爆発しないようにウソも方便ではないですが、うまくやり過ごすこともあるし、息を抜くのも上手でした。
ryuchellとの「新しい家族の形」も母の言葉がきっかけ
pecoさん:母は、ryuchellが「夫でいるのがしんどい」と言ってみんなで話し合いをして行き詰まったときも、「(家族の形をどうするか、ということはさておき)今いちばん大事なのは、家族3人がもとの楽しい雰囲気に戻ることなんやないかなあ」と、固定観念にとらわれない新しい意見を出してくれました。母は昭和の専業主婦でありながら、とても柔軟な発想を持っていると思います。
うちの実家は親子でしょっちゅう旅行に行くような、「超仲良し家族」ではないけれど、深いところで絶対に大丈夫だっていう絆、信頼みたいなものを築き上げていたな、と思うのです。世間からどう思われるとか、そんなことよりも家族が笑って楽しく、安心して過ごせることが大事だと、母から学びました。
知り合ってすぐ同棲、結婚して子どもが欲しいと思った
――ryuchellさんもpecoさんも高校を卒業して上京、原宿のファッションのお店で働いていて出会い、一緒に住むようになりました。同棲したいとryuchellさんが家に来たときはどのようなお気持ちでしたか?すぐに結婚のことを想像しましたか?
pecoさん:はい。籍を入れたところで何も変わらないのだけれど、それこそカップルあるあるで、「結婚したいね」「ふたりのbabyがいたら」なんて、話していました。
pecoさん:子どもを授かることに違和感はなかったです。ryuchellが当時「ジェンダーレス」って言われていたのは、メイクをしているとか、かわいい色のお洋服を着ているとか、話し方もかわいらしいけれど、そういう表面的なことでした。私は表面的なことに偏見は持っていないし、むしろryuchellの外見も大好きでした。
ryuchellのジェンダーには気づかなかった。気づくはずもない
pecoさん:あとからryuchellがかわいらしく変わっていったとき、周囲の人に「気づかなかったの?」という言葉をもらったけれど、気づかなかったです。なぜ、と言われても、私としては「私になったらわかると思うよ」としか言いようがないんです。全力で愛をもらっていたから。私は愛をもらっているので、疑いなんてまったくなかったです。実際、付き合って8年たって告白されるまで、そういう話もなかったから。
――ryuchellさんはとても愛情が深い人だったのですね。
pecoさん:私に対してだけでなく周囲の人、応援してくださるファンの方や、たまたま乗ったタクシーの運転手さんにまでだれにでも本当にやさしいんです。何かいやなことを言われたりしても、「きっとこういうふうに思ったから言ったんだよ」と、その人のバックグラウンドまで考えられるんです。やさしさのかたまりです。
ryuchellとの固い絆があった
pecoさん:でも、日々暮らす中でやはり「これがイヤだよね」「こういうこと言われるとガッカリするよね」ということはあって、そこの価値観が私たちは似ているんです。夜、ふたりで今日あった出来事を話し合って、「そうそうそう!」「そのとおり!」と共感し合って心が軽くなるというか。
それが楽しかったし、私が実家で感じていたような、家族のゆるぎないつながりみたいなこともしっかりと感じていて、外でどれだけいやなことがあっても「私にはryuchellがいるから大丈夫!」って思えることがすごく幸せでした。
「夫でいることがしんどい」と言われて最初に思ったのは…
――そんな幸せいっぱいな生活の中でだんだんryuchellさんが苦しさを覚え、2022年1月、「『夫』であることが苦しい」と言ったのですね。そして小さいときに同性が好きだと自覚したことも伝えてくれました。
pecoさん:しんどそうにしているから、何か悩みがあるんだろうなと思っていました。聞いたときには正直、めちゃくちゃ驚いたんです。でも「男の子がずっと好きだった、ウソついていてごめん」って言いながらいろいろ過去を教えてくれて。涙を流して聞いたけれど、「うわ、ショック!!」とは1ミリも思わず、「めっちゃしんどかったやろ」って。何でも共有して一番言いたい相手なのに、私に一番言えなかった。
「ひとりで抱えていたらどうなっていたんだろう…。人生で一番くらいの勇気を出して私に言ってくれてありがとう」って思いました。
彼を変えることはできない、ならば自分の意識を変えよう
――pecoさんにとってryuchellさんはどんなパートナーでしたか?
pecoさん:結婚してからも「彼氏」でもあり、「だんなさん」でもあり、「弟」でもあり「お兄ちゃん」でもあり、「大親友」でもあり「お父さん」でもある、全部あるって感じでした。「夫」であることがつらいって話してくれてからは、たくさんある中の「だんなさん」「夫」が減っただけ、私の中では。
pecoさん:ryuchellを変えることもできないし、私自身も「ryuchellが前に進めること、楽に生きられること」を願っていたので、自分の意識を変えるしかないと思いました。
以来、絶対ryuchellのことをだんなさんと呼ばないようにしたし、あくまでも息子のパパっていう形に持っていったんです。家族が少しでも良い形になれば、と覚悟を決めていました。
――後編は、そんな家族の「新しい形」の中で、pecoさんが実践してきた子育てについて語ってくれます。
後編はこちらから
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撮影/五十嵐美弥 取材・文/三輪泉