「誰のために仕事を辞めたと思ってるのよ!」夫婦喧嘩が絶えなかった駐在妻、海外でキャリアを築くまでの紆余曲折ストーリー

現在、マレーシア在住で、駐在妻コミュニティ「design me」を立ち上げ代表をされている礒田あいさんを取材させて頂きました。前編では、駐在妻のリアルな生活や海外での子育て事情を中心にお伺いしました。後編では、駐在妻ならでは悩みや苦労、そして、なぜ駐在妻コミュニティ「design me」を立ち上げたいという想いがあったのかについてご紹介します。

家族の海外転勤、帰国後に復職したかったけれど

相坂 海外に駐在する前、日本にいる頃はどのようなお仕事をさせていたのですか?

礒田 大手通信会社で総合職として働いていました。新卒入社してから12年近く勤務し、ITサービスのマーケティング部署などにいました。

相坂 ご主人の駐在が決まったとき、どのような心境でしたか?

礒田 元々結婚する前から主人が海外駐在を希望していることを知っていました。なので、海外駐在が内定したときは、正直そんなに驚きはなくて、いつかは来るだろうと思っていたというのが正直なところです。

また、有難いことに、当時勤めていた会社に海外駐在などでブランクが出来ても帰国したら復職できる制度があったので、私自身も退職はしたのですが、感覚的には産休に入ってしばらく会社の同僚に会えなくなるくらいの感覚でした。それが、結局タイの駐在から帰国かと思いきや、まさか2カ国目のマレーシアに行くとは思っていなかったです(笑)

相坂 それはビックリですね。1カ国目のタイでの駐在が終わったら、帰国して元の会社で復職するつもりだったんですか?

礒田 たぶん、そうなっていた気はします。でも、あのままあの会社に居続けることを心から希望していた、という訳でなくて。「そういうものだから」と納得させていたという感じですね。当時の会社にとりわけ不満があったわけじゃないし、とか、こんな復職制度があるなんて良い会社なのだから、とか、そういう理由で自分自身を納得させている感覚でした。もし辞めたところで自分は何をしたらよいかも、分からなかったですしね。

自分だけキャリアを断念。焦りと落ち込みで夫婦ゲンカも

前職の同僚が来タイしてくれたことも。仕事時代の仲間と話が弾む時間

相坂 会社に戻ったとしてもどこかモヤモヤする気持ちはあったと思うということですね。海外駐在が始まってからは、どんな気持ちで過ごされていましたか?

礒田 特に最初の1年は辛かったですね。渡航した直後が、ちょうど会社の人事の時期だったんですが、同期がどんどん出世して行くのを目の当たりにして、それは正直悔しかったです。ずっと横並びで来ていたと思っていたのに、気づいたら自分だけもう取り返しがつかない差をつけられたんじゃないかと思って、正直凹みました。

そして、渡航した歳がちょうど34歳だったんですけど、世間では、35歳限界説って言うじゃないですか。転職とかでも35歳までって。自分には、いつでも職に就ける専門的な資格もないし、帰国した時の年齢を思うと転職も厳しい年齢だと思っていたので、会社で昇格もできないし転職もしづらい。自分はこれからの人生できっと何かを妥協しないといけないと思っていました。

そんなことを頭の中でグルグル考えて、外では気を使って、自分のキャリアのことを本音で話せる駐在妻の仲間もいない。主人も帰宅が遅くて不満が溜まって、最初の1年は喧嘩ばかりしていました。

相坂 唯一本音で話せる相手であるご主人がなかなか家にいないのも辛いですよね…。

礒田 そうなんです。不満をぶつける相手も主人しかいなかったから、「誰のために仕事を辞めたと思ってるの!」とか、よく言っていました(笑)今考えたら、完全に八つ当たりなんですけど。

海外に来るまでは、私も出張があったり忙しい仕事だったので、そんな時は主人が子供の面倒をみたりして、私たちは割と平等な関係だったんです。

なのに、海外に来たら私は家にいて何もしていない日々を送っていて……自分だけ我慢しているような気になっていたんです。自分だけが崖から落ちちゃって、戻って来れないみたいな。

キャリアを失って、外では仕事のことも含めて本音で話せる友達もいない。「〇〇ちゃんママ」「〇〇さんの奥さん」としか呼ばれない。自分のアイデンティティそのものがなくなってしまった。そんな毎日に辟易としていました。

主人からは、私の様子を見兼ねて「せっかくだから、好きなことしたらいいじゃん」って言ってくれたんですが、その好きなことすら分からなかったです。

何も見つけられず落ち込む日々

ハンドメイドのリボン教室に通っていた頃
ハンドメイドのリボン教室に通っていた頃

相坂 そうだったんですね。今の礒田さんの姿からは全く想像ができなかったです。でも、そこからどうやって立ち直られたんですか?

礒田 初めは本当に手探りでした。自分が動いているうちに、誰かと出会うことで何か素敵なチャンスに巡り合えるんじゃないかとかそんな気持ちもありました。たくさんのことをやってみました。アイシングクッキー、ヨガ、ハンドメイドのリボン、料理教室…でも、どれも自分には向いていなくて。

キラキラ輝いている駐在妻の方はだいたい、料理やハンドメイドなどのおうちサロン系か、ヨガなどの運動系のビジネスを主宰される方たちだったので、自分もそうなれるかもしれないと思って飛び込むんですが、全然ダメでした。行動すればするほど、自分には何もないと落ち込みました…。

「自分がやりたいことはこれだった!」そう思えたキャリアの棚卸し作業

キャリアコーチングは天職、そう思える仕事に出会ったきっかけは?
キャリアコーチングは天職、そう思える仕事に出会ったきっかけは?

相坂 でも、そこからどうやって今の活動に繋がるきっかけに出会えたのですか?

礒田 その頃コーチングに出会って、自身のキャリアの棚卸しをする中で、学生の就職支援をしていた時の楽しかった感情を思い出したんです。会社員時代の本業マーケティングではない出来事だったので、すっかり自分自身の中で忘れていたのですが、人事部に声かけられて母校の就職支援に駆り出された時、すごくやりがいを感じていたなぁと。

あの経験を生かして、何かしてみたいなと思っていたら、ちょうど友人から女子大生の就職支援をしないかと声をかけられたんです。じゃあ、まずはボランティアから始めてみようとやってみたら、それはもうすごく楽しくて!

過去の経験は変えられないけど、捉え方が変わるだけで、自分の人生の意味づけが大きく変わり、それにより将来のビジョンも見えてくる。そのプロセスに心底感動しました。自分がやりたいことはこれだったのだと、そのとき初めて気づきました。

そこから国家資格キャリアコンサルタントの資格も取り、どんどん女性のキャリア支援やコーチングの活動に近づいて行きました。

駐在妻が本音で話せる場を作りたかった

キャリア支援始めたばかりの頃。
キャリア支援始めたばかりの頃。

相坂 では、そこから礒田さんが立ち上げた駐在妻コミュニティ「design me」に繋がったということですね。どんな想いで立ち上げられたのでしょうか?

礒田 やはりいちばんは、駐在妻の仲間で本音で話せる場を作りたかったというのが大きいです。

「design me」を立ち上げてから気づいたのですが、自分と同じように自分のキャリアを本音で話せる仲間がいなくて孤独な駐在妻がたくさんいました。中には、産後でただでさえホルモンバランスが乱れているのに、海外で孤独で旦那さんも帰りが遅くて鬱寸前だった方もいたりして、そんな方のために場を作れて本当に良かったと思いました。

あとは、私のコミュニティに来る方は、真面目で優等生タイプの方が多いんです。私自身もそうだったから分かるのですが、今まで世間から求められることに一生懸命に答えてきた頑張り屋さんほど、本当の自分や自分のやりたいことに蓋をしている方があまりにも多い。そんな方たちに、本来の自分を取り戻してもらえる場であり、気づきを与える場であり続けたいです。

相坂 素敵な想いですね。きっと礒田さんや「design me」に救われた駐在妻の方も多いと思います。これからコミュニティはどうなっていって欲しいですか?

礒田 海外駐在が決まっても、ただのキャリアブランクではなくキャリアの転機と捉えて、海外駐在が理想のキャリアを歩むきっかけになるというような価値観を作りたいです。

以前は駐在妻になって、その後キャリアで上手くいっている方は、だいたいヨガの先生とかおうちサロン系だったんです。もちろん、それらが向いている方はそれでいいし、とっても素晴らしいことだと思います。でも、私のように当てはまらない人もいます。それ以外の選択肢もたくさん「design me」から輩出して、駐在妻の多様なロールモデルを作って行きたいです。

相坂 素敵なビジョンですね。きっと礒田さんの想いに共鳴される方も多いのではないかと思います。そして、私自身もそんな世の中になって欲しいです。まだ日本では、キャリアブランク=悪、と捉えられているんじゃないかなと思います。

転機をプラスに、女性もキャリアを築ける社会へ

マンツーマンでのキャリアコーチングでも多くの女性のキャリアをサポートしている。
マンツーマンでのキャリアコーチングでも多くの女性のキャリアをサポートしている。

相坂 最後に、女性のキャリアに関する社会の問題は山積みになっていますが、どんな世の中になって行って欲しいですか?

礒田 海外駐在でも転勤でも、辞令が出た時、だいたいキャリアを変えたり失うのはまだ圧倒的に女性の方が多いと思います。でも、その転機があったからこそ、理想のキャリアを歩めるきっかけになるっていう事例をたくさん増やして、女性だけではなく、男性にもその考え方が広がって欲しいと思います。

きっと、女性が転機をきっかけに理想のキャリアを築いてどんどん輝いている姿を見たら、男性も影響を受けると思うんです。だから、女性からどんどん転機をきっかけに理想のキャリアにシフトして行って、世の中にどんどん理想のキャリアを歩める人を増やしていきたいです。

相坂 本当に素敵なビジョンですよね。まだ日本の企業や政府で決定権を持っているのは男性が多いです。そんな中でも転機をきっかけにキャリアチェンジをした女性からどんどんパラダイムシフトのきっかけができるといいですね!ありがとうございました!

インタビューを終えて

相坂 海外駐在のような、人生で大きな転機があってもそれをキャリアのチャンスと捉えるという礒田さんの熱い想いをインタビューから感じることができました。

礒田さんが今に至るまで手探りで活動されていた頃、SNSでは習い事をやって優雅に暮らす駐在妻に見えていたと思いますが、そんな時も心の内では苦悩や葛藤を抱えられていたというのは意外でした。

きっと同じように表面上は楽しそうにしている駐在妻の方たちも、実は本音で話せる仲間がいなくて孤独、そして、今までのキャリアを失って自分では何もないと感じている、これからのキャリアを模索している方も多いのではないかと思います。そんな駐在妻の方の居場所「design me」を立ち上げられた礒田さんは、きっと駐在妻の方の憧れのロールモデルであり、新しいキャリアの道筋を開拓するパイオニアであり続けていただきたいと思います。

 

前編「ヒエラルキーがあると聞いていた駐在妻のリアルライフ」はこちら

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礒田あい|枠超えキャリアコーチ

現在はマレーシア・クアラルンプール在住。海外生活スタート時に、12年勤めた大手通信会社を退職したことでアイデンティティ・クライシスに。その経験から、住む場所や肩書きなどに依存せず自分を生きたいとコーチングやキャリアコンサルタントの学びを深め、国家資格キャリアコンサルタントを取得。海外在住女性のキャリア支援をスタートし、現在は世界22カ国130名の女性コミュニティを主宰している。夫と8歳の一人娘の三人家族。

駐在妻のためのコミュニティ「design me」はこちら>>

相坂サオリ|キャリアコンサルタント

株式会社LASSIC代表取締役CEO。主に法人向けにマーケティングPR支援事業と個人向けにキャリアデザイン事業を展開し、自身も国家資格キャリアコンサルタントの資格を取得。大手広告代理店勤務を経て、33歳で起業。自身が不妊治療と仕事の両立で悩んだ経験やキャリア迷子を経て独立した経験から、ワーママや女性のキャリア支援に尽力。会社設立から3か月後、第一子出産。現在は3歳&0歳の娘の子育てと起業に奮闘中。

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取材・文/相坂サオリ

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