※ここからは『母の支配から自由になりたい』(佼成出版社)より、引用・再構成しています。
目次
親の意向で整形をした子ども時代
私は子どもの頃、親の意向で顔の整形をしました。整形だけでなく、進路や部活、就職など、生き方のほとんどを親に決められてしまいました。
そして自分で人生の選択をしてこなかったために、自分の好きなことや嫌いなこと、自分の感情さえわからない……気付けば完全に自分がいなくなっていました。自分が無いから、目標も楽しめるものもない。世間や他人の評価だけに依存して生きている。生きないといけないからしかたなく生きている……。それは毎日がうっすらとしら地獄のような日々でした。
子どもにとって、親の影響はものすごく大きいと思います。親に情緒的な問題があっても、子どもにはそれが当たり前だから気づけないんです。そしてようやく気づけた頃にはもう大人になってしまっている。どんなに嘆いても、もう子ども時代は戻ってきません。
でも、じゃあこのまま一生苦しんで生きていくの?ずっと他人のせいにして嘆いていくの?と考えたら、それは絶対にイヤと思ったんです。
母への違和感が決定的となった出来事
私は高校生の時、自分は母に人生を決められてしまっている。どうやら他の家はそうではないらしい……という違和感を覚えました。
わが家には親と自分の将来や希望について話し合う習慣がありませんでした。一見話し合いのような、お互いの意見を言い合うパフォーマンスはありましたが、いつも最終的には私が母の意見に従うことでしか解決はできませんでした。

例えば、小学生の時にどうしても習い事の剣道が嫌でやめたいと母に言ったんです。母は、最初は「やめてもいいのよ。あなたが選んでいいのよ」と言うのです。でも途中から「もう少し続けた方があなたのためになるわよ」「子どものうちに簡単にやめることを覚えたら逃げグセがついてしまう」などと、どうにかしてやめない方向に持っていってしまうんです。(後に知りましたが、これをダブルバインドと言うそうです)。私が「わかったよ。やめないよ」と言うまでそれは何日も続きました。
「世の中には本音と建前がある。本音は家族しか言ってあげられないんだ」「『個性の尊重』なんて、学力の劣った者を救うために流行らせている、聞こえのいい言葉だ」
母がよく言っていた言葉です。私もすっかりそう信じ込んでしまっていました。だから友人が「親と進路を話し合って、親ではなく自分の意見が通った」と言った時はびっくりしました。
ずっと母の希望通りに生きてきた
家庭って、閉じられた空間なんですよね。「家庭の方針」という言葉もあるし、外から口出ししてはいけない感じがあります。そして家庭の中のルールは、幼い子どもにとっては絶対です。だんだん大きくなるにつれ、外の異なる価値観に触れて「あれ?うちって変?」と気づけるわけです。
「正しい良い親の与えたものを受け入れられない子は悪」と信じ込んでいた私は、小さい頃から習い事も、部活動も、進路も、就職も、服装や髪型も、ついには顔の造作さえも整形して、母の希望に従ってしまったのでした。

「あなたのためを想って」。
これも何度も母から聞いた言葉です。
また、私と母の意見が違った時は「あなたが間違っているのよ」となりました。

子どもの頃の私は〝自分は劣った恥ずかしい存在。でも母は正しくて優しいからこんな私でも諦めないで正しい人間になれるよう導いてくれているんだ〟と信じきっていました。
高校2年生の冬、摂食障害を発症
小さい頃は母の希望に沿うことだけでしたが、思春期以降はそこにさらに友だちや先生、世間の評価も加わっていきました。私の中は、自分の感情や感性には蓋をして、母の意見や他人の意見、世間体が詰まっている状態でした。なぜかむなしいし、つらいんです。でもなぜつらいのか自分ではわからない。
もうどうしたらいいのかわからなくなって、実は一度、高校2年生の夏に、母に「精神科に行きたい」と言ったことがあるんです。最初は「精神科に行くなんて誰かにバレたら恥だ」「余計におかしくなる」と、なかなか連れて行ってもらえませんでしたが、私のしつこさに負けたのか、この時は近所の人にバレないように二つ隣の市の病院に連れて行ってもらえました。そして、お医者さんが出した答えは「思春期ですからね。正常です」。それを聞いて私は愕然としてしまいました。

私がやっぱりおかしいんだ、母が正しかったんだ、と思いました。そしてそれから約3か月後、私は摂食障害を発症してしまいました。
母に人生を決められてしまっていた
これは今だからわかることですが、私の中が母と世間体で詰まっていたあの頃は、自分がいなかったんです。母の意見や世間体が私の中にあること自体が悪かったのではなくて、自分が無かったのがつらかったんです。
自分が無いから、常に人と比較してではないと自分を感じることができませんでした。人よりも優れていたり、世間的に良い位置にいる時は気分が良かったし、逆に人や世間よりも劣っていた時は、悲しみや嫉妬ですごく不安定になりました。自分を評価する時、世間や他人の目でしか評価ができなかったんです。


そんな状態で高校3年生になり、進路の話を友だちと先生として「私は親に生き方を決められてしまっているが、他の多くの子はそうではないらしい」「多くの親は最終的に子どもを尊重してくれるらしい」「わが家の方がイレギュラーらしい」という気づきを得ました。
気づけたのは、摂食障害になって、母に違和感を薄々抱いていたからだと思います。それまでは母は正しい人だ、と盲信してしまっていました。もし盲信していた状態でこの出来事が起こっても、きっと友だちや先生が間違っているんだと思ってしまって、気づけなかったと思います。
過去の自分を恨んで、責めて…
母の異常性に気づいてからは、もちろん母のことを恨んでいました。でもそれ以上に私は、過去の自分自身のことを恨んでいたんです。
「過去の自分がもっと強ければ母の言いなりにならずに済んだのに」「過去の自分がもっと早く母の異常性に気づかなかったのが悪い」と。これで長いこと悶々と自分を責めていました。
その頃の私は、過去の嫌な記憶を思い出すたびに、当時は押し殺していた本当の感情を今さら味わってしまって、過去のことで怒ったり悲しんだりしていました。

でも、それが結果としては良かったんです。私にはそのプロセスが必要でした。子どもの頃に未消化だった感情を、大人になった私が消化してあげることができたのですから。
母にとっては娘への愛情だった
母は他人からの評価が必要な人でした。他人からすごいね、羨ましい、と言ってもらうことが母にとっての幸せだったのだと思います。そして、娘にもその幸せを与えてあげたいと思ったのでしょう。母の教育方針は、母の中では確かに正しいものでした。母の中では確かに愛情でした。
大人になって〝等身大の自分〟が生まれた
大人になってから思い出と向き合うと、子どもの頃にわからなかったこともわかるようになっていました。大人になってからわかるようになったことのひとつに、大人同士と親子間では前提が違う、ということがあります。
クマ男(夫)にも母にも「最終的に決めたのは自分なんだから、人のせいにするな」と言われたことがあります。これは大人同士だったら、本当にその通りだと思います。でもこれは親子間だと違うんですよね。親子間は、どうしても親の方が強いというのが前提にあります。親が折れない限り、どうしても子どもは従うしかないんです。その前提の違いがわかった時、ようやく過去の自分を許すことができました。

過去の自分を受け入れることができると、私の中で散らばっていたものが統合されて、ひとつにまとまった感じがしました。過去の自分も、今の自分も、どっちも自分。良い自分も、悪い自分も、全部ひっくるめて自分。そんなイメージです。〝等身大の自分〟が私の中に誕生したような感覚でした。
そして、過去の自分は精一杯生きてあの生き方しかできなかったんだ、と理解したら、母も精一杯生きてあの生き方しかできなかったんだ……と思うようになりました。
私はずっと、自分にも母にも、うんと高い理想を持ちすぎていたんだと思います。そう思えるようになりました。
※ここまでは『母の支配から自由になりたい』(佼成出版社)より、引用・再構成しています。
生きづらさに悩んでいる人へ
著者のグラハム子さんより、コメントをいただきました。グラハム子さんはこのように語ります。
「あれは、愛ではなかった。でも母にとっては確かに愛だった」今はそう思っています。
人間には心の発達段階があります。たとえ実年齢は大人であっても、心はまだ未熟である、ということは往々にしてありえます。でも母だけのせいではありません。私だけのせいでもありません。親子内の過干渉は時代や社会背景も絡んでくる問題です。本当に、仕方のないことでした。
この「愛ではない愛のようなもの」を受け取り続けてしまった子ども時代の過去は消せないけれど、今ではその過去が私にとって心のお守りになっています。心にお守りがあるから、愛ではない愛のようなものに敏感に気付くことができます。また、それは傷つく行為だから、自分にも他人にもやってはいけないと思えます。
長い時間をかけて、母との過去はもう消えなくて良い、私の一部になりました。
著書では、他にも自分の意見に自信が持てず悩んだ過去や、夫であるクマ男さんの言葉に救われたエピソード、大人になってお母さんに気持ちを伝えた時の話などが描かれています。
物事の捉え方や考え方で、人生は自分で変えられる、そんなメッセージを感じる本書。生きづらさに悩む方は一度手に取ってみてはいかがでしょうか。
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「あなたのためなのよ」の言葉で子どもを縛り、自身の価値観を押しつけてくる母。
自分を押し殺し、母の言うとおりに生きるしかなかった著者は心身を病んでしまう。
それでも、病を克服し、自らの手で自分の人生を取り戻すことができたのはなぜか──。
本書は、著者がどのように絶望を乗り越えて今に至るのかを漫画と文章で克明に描く、ノンフィクション作品です。
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構成/HugKum編集部