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1歳のとき兄の作ったレゴブロック作品で遊び始めた
――初めてレゴブロックで遊んだのはいつ頃ですか?
三井さん:1歳半くらいです。3歳年上の兄と一緒に遊ぶために両親が購入した、通常のサイズよりも大きい、幼児用のデュプロを積み上げたりしていました。1歳半ですから、当時の記憶はあまりないのですが、最初は兄が作ったもので一緒に遊んでいたんでしょうね。そのうち、兄が作った秘密基地や潜水艦などをマネしながら、自分なりに作っていったんだと思います。
僕は外で遊ぶのも好きでしたし、プラレールも積み木も好きだったので、レゴばかりやっていたわけではありません。家でひとりで遊ぶときとか兄と遊ぶときにやる、という程度です。

それでも子ども時代にレゴブロックに興味を持ち続けられた理由として大きかったのは、組み立てること以外の楽しさもプラスできたからだと思います。レゴ社ではモーターとリモコンを付属する「レゴ テクニック」というシリーズを長く発売しています。車やロケットなどを組み立てて動かして楽しめます。
小学校6年生のときに、「マインドストーム」というシリーズを手に入れたのも、レゴを長く楽しめた理由ですね。プログラムが組み込まれたブロックを使用してロボットや機械を組み立てるためのキットです。ちょうど小6のとき、1999年12月に発売されました。レゴブロックを組み立てる楽しみと同時にプログラミングしてうまく動かすことのおもしろさを味わいました。
中学受験直前の12月にプログラムが組み込まれたレゴブロックに夢中に
――三井さんは中学受験をされて灘中学校に入学されました。日本一難しいといわれる名門校、中学受験に挑む小6の12月に、マインドストームで遊ぶ余裕があったのですね。
三井さん:レゴブロックばかりに夢中になっていたわけではなかったですよ。小学校3年生から日能研に行っていましたし、受験勉強はしていました。遊ぶときは遊ぶ、勉強するときは勉強する、と切り替えながら楽しんでいた、という感じです。
インターネットを通じて世界中のレゴビルダーと交流
三井さん:中学に入学してからもマインドストームに熱中しました。が、次第にまたブロックで形を作るおもしろさに目覚めていきました。
というのも、中2だった2002年頃にインターネットが普及してきました。パソコンを開けばレゴブロックの作品を作り発表している海外の人たちのサイトにいくつも出合えたのです。自分自身もウェブサイトを持ち、作品を写真で撮って発信するようになりました。
当時のインターネットは電話回線をモデムで切り替える方式で、つながるのが遅いし、使っていると電話が使えなくなるという不便なものでした。が、作品をインターネットで発表すると、世界中の人が見てくれる。レゴブロックのファンのコミュニティは相手をリスペクトしてコメントするというとても健全なものです。「あなたの作品をマネして作ってみました」というのも、リスペクトの表現としてやっている。レゴブロックを通じてインターネット文化とつながれて、いろいろな人たちのテクニックも知ることができました。
また、作品を作るにはたくさんのブロックが必要ですが、その頃からブロックを海外で個人取引するマーケットが生まれてきたのです。余っているブロックを出品するフリーマーケットみたいなもので、これを利用すれば、ブロックを安く提供するところから輸入して買うことができます。

それまではブロックが足りなくて、作ったものを壊してまた新しいものを作るしかなかったのですが、ブロック入手の新ルートが生まれ、ブロックが手元に豊富にある状態で、作りたいものを作れる環境になりました。当時は個人向けの船便を使うことができました。到着まで2か月かかるけれど、送料が10㎏分でも数千円、とても安くて助かりました。
レゴブロック作品を世界に発信でき、そしてレゴブロックを入手することでも世界とつながれている、ということがますますレゴブロックでの制作を楽しく思える理由でしたね。

等身大のドラえもんを作ったことも
――その豊富なブロックで何を作ったのですか?
三井さん:高2のときに文化祭で出展しました。今、灘には「灘中学校・高等学校LEGO同好会」がありますが、当時はなかったのです。文化祭のときには高2、高3の有志が手伝ってくれました。
当時は等身大のドラえもんも作りました。建築に対する個人的な興味もあってヨーロッパの教会とかも作っていましたね。石造りの建造物はレゴブロックを積んで作ってマネしやすい構造物なのもあって、どうやったら作れるのかを考えるのもおもしろくて。


レゴブロックで遊ぶと好奇心や集中力が磨かれる
――灘中学校・高等学校には数学がものすごくできる生徒さんがたくさんいますが、三井さんもまさに立体図形などがお得意で、それを制作に生かしていたのでしょうか。
三井さん:ほかの分野はどうあれ、立体図形の問題だけは、ほぼ満点、同学年で最速でした。その特性を生かしてレゴブロックを組み立てていた、というところもあります。灘では「おもろいやつが認められる」というところもあるので、勉強はできて当たり前。勉強以外に得意分野を持ち、そのすごさでリスペクトするような風土があったのも、レゴブロック制作に少なからず影響していたと思います。
――三井さんほどになるのは無理としても、レゴブロックに親しむことで、数学など勉強が得意になるということはありますか?
三井さん:レゴブロックをやったら算数の点数が上がるなど直接的な関連性はないけれど、何らかの相乗効果があり、深いところでつながっている、という感じでしょうか。私の場合は好奇心や集中力が磨かれました。
また、作品を作るにあたっては、作るものについて深くリサーチすることが大事です。たとえば、建築物を作るときはその建築物がどんな時代背景の中で生まれたかの歴史をひもといたり、どんな素材でできていたのか理科的な知識を持って調べたり、文献を読みながら理解したり。そうでないと薄っぺらい作品になってしまいます。算数だけでなく、社会、理科、国語……、小中学校で学ぶことがまんべんなく役立ちます。
――高3の夏から秋にかけて、テレビチャンピオンの第2回『レゴブロック王選手権』(2005年)に出場し、予選をトップ通過し、レゴ社のあるデンマークまで行って決勝戦に臨みました。それでいて東大に現役合格、勉強との両立は……。親御さんはどう受け止めていましたか?
三井さん:中学受験期と同じように、勉強は勉強でやっていました。自分の中では「この時期に『レゴブロック王選手権』に出ないのはあり得ない」という気持ちで、それを実現する準備としての勉強は前もってやっていました。勉強の貯金をしておいた、という感じです。両親も「東大は浪人して入ることができるけれど、この選手権はチャンス」ととらえてくれていましたね。だから、勉強の貯金を切り崩しながらも、受験はクリアできたということでしょうか。

「安田講堂をレゴブロックで作りたい」。その思いを発展させレゴ部創設
――東大理科一類に入学後は、レゴ部を創設されます。
三井さん:高校時代に東大のシンボルでもある「安田講堂をレゴブロックで作ってみたい」と言っている東大生コミュニティがあるのを、インターネットで見て知っていました。だから、入学するなり声をかけました。秋ごろには5人のメンバーが集まって、「東大レゴ部」として安田講堂を作ることを目標にし、翌年5月の「五月祭(東大の学園祭)」で展示することにしました。

五月祭は2日間あるのですが、1日目に訪れた人がSNSで話題にしてくれるなど注目され、安田講堂のレゴブロック作品はその年のサークルの人気投票で1位に。そして東大レゴ部として、レゴブロックの作品制作を依頼されることも出てきました。それでますます知られるようになり、他大学や中高でもレゴブロックで制作するサークルができていったようですね。
――中学、大学と受験勉強はしっかりやりながらも、常にレゴブロックが傍らにあった三井さん。「勉強ができるだけではなく、何か得意を持っている人がカッコいい」という灘中高の校風も大きな刺激になり、好きなレゴ制作と勉強を両立していったのですね。後編ではレゴ認定プロビルダーとしての道を選ぶ三井さんを追います。
後編はこちら
お話を聞いたのは
1987年生まれ。2005年、灘高等学校3年のときにTV番組の「レゴ®ブロック王選手権」準優勝で注目を浴びる。東京大学在学中、「東大レゴ®部」を創部。2010年、レゴ®ブロックを素材とした作品制作や課外活動における社会貢献が認められ、「東京大学総長賞」を個人受賞。2011年、レゴ®認定プロビルダーに最年少で選出される。2012年東京大学大学院修士課程を修了し、大手鉄鋼メーカーに入社。2015年に退職し、レゴ®作品制作を事業とする三井ブリックスタジオを創業。2023年に作品「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」がボストン美術館に現代アート作品として展示される。2025年4月より東京藝術大学先端芸術表現専攻(修士課程)にて現代アートを研究中。著書に『ブロックでなんでもつくる!ビルダーの頭の中』(偕成社 1,760円・税込)
レゴ®ブロックとの出会いは1歳のとき。学生のころから作品制作と発表を続け、大学では「東大レゴ®部」を創部。そして日本初の「レゴ®認定プロビルダー」に!
設計図なしで、大きなものから小さなものまでなんでもつくっちゃう、ビルダーの頭の中をのぞいてみよう!
「みんなの研究」は、みんなの「知りたい」を応援する、あたらしいノンフィクションのシリーズです。
取材・文・写真(三井さん提供写真を除く)/三輪泉
