どうして学校には宿題や定期テストがあるのでしょうか。「そんなの、あるに決まっているじゃない」と思うかもしれません。しかし、その「当たり前」は、実は当たり前ではないと知っていましたか? 何しろ世の中には、宿題や中間・期末テストを、校長先生の考えでやめてしまった学校があるのです。そんな「テストは必要なし!」を実践する石川県金沢市の西南部中学校の取り組みを紹介します。
テスト廃止に一部の保護者からは異論
普通の学校なら絶対にある宿題や定期テスト。やめてしまえば、当然ニュースになるはずです。
実際に宿題と中間・期末テストを「やめた」(本当はテストのやり方を変えた)西南部中学校の高島栄治校長と田村裕志教頭は、地元の雑誌で「破天荒(はてんこう)」と報道されました。
学校の近くにある塾からは「西南部中学校の生徒を救え」「(西南部中学校の行う改革によって)考えられる心配事」と書かれたチラシを配られ、生徒の親からは「子どもが勉強をしなくなった」「これで志望校に落ちたら誰が責任をとってくれるのか」など、文句を言う人も出てきたといいます。
ですが、西南部中学校の高島校長や田村教頭は学校を変えようと声をあげました。どうしてでしょうか。
なぜ、定期テストをやめたのか?
その理由は、中学校の学びが本来の目的から大きく外れてしまっていると感じたから。その一番分かりやすい例が、単なる暗記競争となった定期テストであり、ただの我慢大会になっている宿題提出でもあります。
そもそも宿題は何のためにあるのでしょうか。もともとは、
<①学力の定着をめざす>
<②授業を理解しやすくする>
(金沢市立西南部中学校の『校長だより』より引用)
といった目的があったはずでした。しかし、いつの間にか学校の先生が、子どもたちの通知表に成績をつけるときに「頑張っているか」「まじめに取り組んでいるか」をチェックするための道具になっていたのです。
夏休みに配られるワークに至っては、「暇を持て余して悪さをしないように」(高島校長)と、子どもの自由を縛る道具にすらなっている場合もあるそう。
高島校長によれば、定期テストもいつの間にか本来の目的から大きく離れているといいます。本来なら、どのような人間になりたいかという目標があって、そのための手段として学びがあり、その学びのレベルを計るための道具として中間・期末テストがあったはず。
「しかし、ペーパーテストで点数を取るという目標が生徒の中で一番の目標になってしまっていて、学校の側も通知簿をつけるために定期テストを行っている現状があります」(高島校長)
そうなると、点を取るための勉強、詰込み型の勉強に走る子どもたちが次々と出てきます。
「子どもは『上がった、下がった』と自分の点数ばかりを気にして、自分が何を理解し、何を理解していなかったのか、振り返るツールに全くなっていません。」(高島校長)
しかも、定期テストの範囲はとても広いです。1教科ならまだしも5教科、場合によってはそれ以上になります。まとめて復習しなければいけない内容が多すぎて、何を学んだのか、じっくりと振り返っている余裕など一切ありません。その結果、テストに出そうなキーワードを選んで(あるいは予想して)、片っ端から頭にたたき込んでいく暗記競争になってしまうのですね。
もちろん、「たくさんの宿題を、あるいは詰込み型の定期テストを、無意味と分かりながら、いかに効率よく仕上げるかを自分の頭で考える」という裏の狙い(ミッション)が、宿題や定期テストには密かに隠されているのかもしれません。
なにしろ、大人になっても「これ、意味ないよな」と思いながらイヤイヤやる(やらされる)仕事があります。そうした仕事を上手にこなせる人が、「すごい」「できる」と言われる場合もたくさんあるからです。
AIと生きていく時代の子ども達に求められるもの
ただ、令和の新時代はそんな社会の仕組みそのものが、大きく変わっていくと言われています。
<今の子供たちやこれから誕生する子供たちが,成人して社会で活躍する頃には,我が国は厳しい挑戦の時代を迎えていると予想される>(中学校学習指導要領(平成 29 年告示)解説より引用)
「厳しい挑戦の時代」とは、日本人の数が減っていく中で、世界中の人々と、さらにはAI(人工知能)と生きていく時代を意味しています。
当然、世の中の仕組みも待ったなしで変わっていきます。頭と心と体を柔らかくしながら、自分で考え、自分で決め、自分で伝え、必要であればどんどん自分自身を変えていかないと、すぐに安心できる居場所を追い出されてしまうかもしれない世の中が待っています。
「大丈夫かな」と、漠然とした不安を感じる人もきっと多いですよね。不安に感じるなら、なおさら今から準備をしておいた方がいいはずです。にもかかわらず、
「私が教頭、校長になった時期に入ってきた学力調査の弊害や、2020年に控えた大学の入試改革などを広く見渡したとき、自分たちの学びが本来の学びとは大きくかけ離れていると思いました」
と高島校長は言います。学びの場である学校が、社会で生きていくための学びの場になっていなかったのですね。
社会も大学のテストも変わっていくのに中学校の学びが変わっていない
このところ、出題内容に関するニュースがいろいろと伝わってきますが、大学入試はこれから大きく変わっていこうとしています。
今までは丸暗記した知識を正確に答案用紙に書ける人が、大学に合格できる仕組みになっていました(筆者も、そのようなテストを受けました)。しかし、丸暗記した勉強は忘れてしまう上に、インターネットもAI(人工知能)もある世の中では、人間の暗記力など自慢にならなくなります。
だからこそ、もっと子どもたちの考える力、決める力、伝える力を確かめる試験に切り替えようという意見が、叫ばれるようになってきたのですね。
受け身の子どもを育てないために、ルールを変える
大学の入試が変われば、高校の勉強も変わります。高校の勉強が変われば、高校の入試も変わります。高校で求められる子どもの姿が変われば、中学校の勉強も変わります。
まさに大学が、社会が変わろうとしているのに、高島校長たちは自分たちの学校で、言われた通りにしか勉強をしない受け身の子どもを育てている、知識を頭に詰め込むような学びしか提供できていないと感じていたそう。その思いにこれ以上ふたをできないと思い、高島校長、田村教頭は、動き始めたのです。
もちろん、人と違う行動をしようと思えば、その分だけ大変な思いもしなければいけません。
「長年のルールに従ってきた教員が意志改革をするとなると、普通は大変だと思います。なんでわざわざ苦労をしてまで改革をしなければいけないのか、なぜわざわざ負荷をかけるような改革をするのかという意見を前にすれば、たいていの校長は二の足を踏むのではないでしょうか」(高島校長)
ですが、高島校長と田村教頭は声を上げました。「これ、変だな」「これ、無駄だよね」と思ったら、文句を言われても怖がらずに、「変えよう」と声を上げられる人が、これからは大事にされていく世の中になります。
そんな未来の社会で自分の夢を実現できる子どもを育てるための改革なのですから、先生たちは自分たちの姿を通じて、子どもたちに「お手本」を示しているのかもしれませんね。
(後編につづく)
【参考】
※ 大学入学共通テスト実施方針策定に当たっての考え方 – 文部科学省
※ 中学校学習指導要領(平成 29 年告示)解説 – 文部科学省
取材・構成/坂本正敬