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長期脳死の帆花ちゃんと家族を追ったドキュメンタリー映画『帆花』はどんな思いで製作された?
長期脳死の愛娘・帆花(ほのか)ちゃんと、ご両親の理佐さん、秀勝さんの日常を追ったドキュメンタリー映画『帆花』が1月2日(日)より公開されました。正直、この映画を観る前は、“脳死”というキーワードを聞いて少し身構えたのですが、観終わったあとの印象はまったく予想と異なりました。本作は闘病ものではなく、命と向き合う子育ての記録映画でした。
メガホンをとったのは当時、映画学校の学生だった國友勇吾監督で、3歳だった帆花ちゃんが小学校に入学するまでの間、カメラを回し続けてきました。國友監督が監督目線というよりは、まるで近親者のような距離感で、帆花ちゃん一家の温かい日々を撮りあげたせいか、仕上がった映画には、確かな命の輝きと家族の愛が丁寧に映し出されています。
10年かけて本作を完成した國友監督にインタビューし、本作を監督するに至った経緯や、帆花ちゃん一家の撮影秘話をたっぷりと伺いました。
果たして脳死は死なのか、臓器移植を推し進めていいものなのか?
――まずは、監督デビューおめでとうございます。今の心境はいかがですか?
10年かかってようやく完成したので、自分の手から離れることについては少し寂しい気持ちもありますが、こうやって劇場で公開できることは素直にうれしいです。
――帆花ちゃん一家を撮影することになったきっかけは、理佐さんの著書「長期脳死の愛娘とのバラ色在宅生活 ほのさんのいのちを知って」だったそうですね。
そうです。当時、僕は映画学校の卒業制作の題材を探していました。ちょうど臓器移植法が改正され、脳死を人の死として捉えるかどうかが議論されていましたが、僕は以前、臓器提供意思表示カードを所持していたのですが、脳死での臓器提供はしっくりこず、心臓死後の提供のみ意思表示をしていました。そんなある日、柳田邦男さんが、脳死状態になったご子息に接した時の体験談を読み、まだ体の温かい御子息との間に深いつながりを感じられたとあって、果たして脳死は死なのか、このまま臓器移植を推し進めていいものなんだろうかと、いろいろなことを考えました。そんななか、本屋でたまたま理佐さんの本と出会ったんです。
――理佐さんの著書を読んだ時、どんな感想を持ったのですか?
改正臓器移植法に関する理佐さんのお考えも書かれていましたが、僕自身が新鮮に思ったのは、理佐さんと秀勝さんがごく普通に子育てをされていたことです。もちろん、帆花ちゃんは常にケアが必要でずっと目が離せないし、日々大変だとは思いますが、そこよりも温かい家庭だなという印象のほうが強かったです。
また、僕自身のことでいえば、母親と祖父母が一年おきに亡くなり、命や生きることってどういうことかと考えていた時期でもありり、そういうテーマで映画を撮ってみたいと思っていました。それと、親が養護学校に務めていたことも大きかったかもしれません。
――お母様とのエピソードについても聞かせてください。
母に連れられて、僕も子どもの頃からよく養護学校を訪れたりしていたのですが、当時の僕は自分たちとは少し違う世界があるんだなと感じていました。母が亡くなったあとに帆花ちゃんと同じような状態のお子さんと映っている動画を見つけまして。僕はその時、そのお子さんを可哀想だなと思ってしまったんです。
でも、母はその子と笑顔で接していたし、僕は知らなかったけど、その子のことをずっと気にかけていて、亡くなる前にも「末永く生きてほしい」と話していたそうです。その時、障がいとか命とかについて改めて考えるようになり、母の想いも想像しました。そういう意味では、母と理佐さんの姿をどこかで重ねていたかもしれません。今となっては母の気持ちは分かりませんが、理佐さんの気持ちを知ることで、少しでも母の考えに近づけるのかなと思ったりもしました。
家族の何気ない時間の積み重ねを追体験してもらえるような映画に
――生まれてすぐ「脳死に近い状態」と宣告されたとはいえ、帆花ちゃんは少しずついろんな反応を見せていくようになり、理佐さんも母親としてその成長を敏感に感じとっていきますね。
ご両親は帆花ちゃんと毎日触れあっているので、そういう発見があるんだと思います。例えば、声も常に出ているわけじゃないんですが、本当にタイミングよく出したりするんです。そういう毎日の積み重ねがあったから、ご両親は、確信とまではいかなくても、帆花ちゃんの意思を捉られるんだと思います。
――帆花ちゃんの従姉妹が何度か家に遊びに来ていて、その成長も見ていてわかりましたが、理佐さんはそれをどんなふうに感じていたのかと考えると、少し切ない気がしました。
はたから見るとそう感じるのかもしれないです。僕もその子に接していて、最初はしゃべれなかったのに、次に会った時にはもう「こんにちは」と言えるようになっていて、驚きました。
理佐さんがそれをどう受け止めていたのか僕にはわからないんですが、ただ、帆花ちゃんは帆花ちゃんで、今の状態が健康であり、成長もしているので、今の帆花ちゃんのままでいいんだとおっしゃっていました。動いている帆花ちゃんが夢に出てくることもあったそうですが、それでも今の帆花ちゃんをちゃんと肯定されていると感じました。
――理佐さんや秀勝さんが、時には自身の悩みや葛藤などを口にされるシーンもありましたね。
理佐さんからは、「これまで帆花と出会ってくれた人の中には、自分たちと比べて可哀そうだと思っていた人もいたかもしれないけど、國友くんはそういう価値観を持ち込まずにありのままを撮りたいんでしょ?」と言われたことがあります。そういう相手だからこそいろんなことを話しやすかったのかもしれません。また、カメラを持つ自分という第三者がいることで、自分たちがしていることの意義を確認できるともおっしゃっていました。外の世界とのつながりも感じられていたのかもしれません。
――お二人と國友監督との距離感がとても近い印象も受けました。
僕自身は撮影者ですが、第三者として一線を引いて接するのではなく、帆花ちゃんのおじさんとか、お隣さんみたいなスタンスで、普段通りの日常を切り取っていこうと思いました。もっと言えば、この映画を観てくれる人にも自分たちと地続きの暮らしとして感じてもらいたかったですし、そういう家族の何気ない時間の積み重ねを追体験してもらえるような映画にしたいとも思っていました。
母親にとって子どもとはどういう存在なのかを捉え直したかった
――帆花ちゃんと過ごす理佐さんを見て、印象的だったことは?
常に帆花ちゃん第一で、いつも気にかけて、帆花ちゃんの気持ちをできる限り汲み取ろうとしている点です。自分がどうしたいということではなく、帆花ちゃんはどう考えているんだろうかとか、今どういう気持ちなのだろうかと、いつも問いかけている姿が印象的でした。帆花ちゃんにしっかりと向き合っていて、すごいなと思いました。
また、帆花ちゃんに対してだけではなく、理佐さんは周りの人たちに対しても向き合い方がすごく誠実で、ヘルパーさんや支援者の方なども決してないがしろにしないんです。そういう部分は自分も見習いたいと思いました。
――撮影者として、理佐さんの苦労を見て、気持ちが辛くなることはなかったですか?
静まり返った深夜に、黙々と吸引などをされている姿を見ていると、やっぱり大変そうだなとは思いました。でも逆に、そういう時により一層ご両親の愛情を感じたりもします。
お二人は帆花ちゃんを心から可愛いと思って育んでいらっしゃいます。それは僕自身も撮影していくなかで共感できました。帆花ちゃんは肌がつやつやで髪はサラサラ、手もふっくらとしてかわいいですし、声色が変化したりもします。そういった意味で、僕自身も可哀想といった感情では見ていなかったです。
――終盤でお姉さんの結婚式があり、そこからつながって、理佐さんご夫妻の結婚式の映像が挿入されていたのも印象的でした。
それは、理佐さんのブログの構成を見て思いつきました。理佐さんは節目節目で自分の気持ちを振り返っているのですが、結婚記念日に、帆花ちゃんが生まれる前の自分と、今、帆花ちゃんといる自分について、不思議な運命の巡り合わせを感じていると書かれていました。帆花ちゃんは重い障害を持って生まれたけど、自分たちは幸せに暮らしている、そこを映画でも表現したいなと思いました。
もう1つは、帆花ちゃんが両親の結婚式の映像を見ているということを表現したかったんです。例えば、僕が、もし両親が若い頃にデートをしている写真などを見たとしたら、様々なことを感じると思うんです。つまり、その人生の先に僕がいるわけで、そこは地続きです。それが僕のアイデンティティにもつながっている気がする。母のことも考えながらこの映画を撮っていたことも含め、時間はつながっていると思い、こういう構成にしました。
――きっと天国のお母さんも、完成した映画を観て、喜んでいらっしゃるのではないでしょうか。
そこはわからないですが、母親にとって子どもとはどういう存在なんだろうかということを、捉え直したい気持ちで撮りました。僕は親孝行できないまま母を亡くしているので、ちょっと大げさかもしれないけど、母を称えたいという気持ちもどこかにあったかもしれないです。
この映画のテーマは1つではありません。「いのち」とは、「生きる」とは何なのかという問いかけだけでなく、いろんな想いを込めたので、観る方それぞれにいろんなことを感じていただければうれしいです。
文/山崎伸子
©️JyaJya Films+noa film