三国志には何が描かれているの? 押さえておきたい登場人物と戦いとは【親子で歴史を学ぶ】

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成都式侯祠(中国成都市)

「三国志」は中国の三国時代の出来事が記された歴史書です。そのストーリー性から、作品自体や登場する武将のファンが日本にも多くいます。三国志がどのような時代だったのか、主要な登場人物や代表的な戦について一通り押さえておきましょう。

三国志とは?

「三国志(さんごくし)」を扱った作品は、日本にも数多くあります。しかし、一部分のエピソードを切り取った映画であったり、何冊にもわたる小説であったり、全体像がつかみにくいと思う人がいるかもしれません。そこで、まずは、三国志とはどのような時代の話なのか簡単に知っておきましょう。

魏・蜀・呉が対立した三国時代の歴史書

三国志とは、後漢(ごかん)末から三国時代(220~280年)前後の史実を描いた歴史書です。184年の黄巾(こうきん)の乱をきっかけに、後漢王朝が衰退しはじめると、中国は「魏・蜀・呉(ぎ・しょく・ご)」の三つの国に分裂し、三国時代へ突入します。

それまでは、1国に一人の皇帝が当たり前でしたが、三国時代には、中国に三つの国と3人の皇帝が存在したのです。魏は肥沃(ひよく)な黄河(こうが)流域に、蜀は今の四川(しせん)省付近を含む西南地方に、呉は長江(ちょうこう)流域から南の広大なエリアにありました。

日本は、そのころ「倭(わ)」と呼ばれており、邪馬台国(やまたいこく)を女王・卑弥呼(ひみこ)が治めていた時代です。この時期から、中国が日本とすでに交流を持っていたことが、「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に記されています。

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「三国志」と「三国志演義」の違い

三国志には正史である「三国志」と、「三国志演義(えんぎ)」の二つがあります。正史は、晋(しん)王朝の役人であった陳寿(ちんじゅ)によって書かれたものです。

さらに宋(そう)の時代に、史実とするには、やや信ぴょう性の低いエピソードが、注釈として加えられました。この正史をもとに、フィクションで肉付けしながら書かれた小説が、三国志演義です。

両者の大きな違いは、どの国の立場から史実を語っているかという点にあります。それぞれ著者の立場により、正史が魏を正統な王朝であるとする一方で、演義は蜀を正統とみなしているのです。

一般的に、日本で三国志というと、蜀の劉備(りゅうび)を主人公とした「三国志演義」を指していることが多いでしょう。

三国志テーマパーク「三国城」(中国無錫市)。馬車に乗った曹操をはじめとする魏の国の人々。日本でいえば、京都の東映太秦映画村のようなものか。

三国志の主な登場人物

群雄割拠の三国時代を描いた三国志には、多くの人物が登場するため、最初は、誰がどのような人なのか混乱しがちです。なかでも、特に覚えておきたい4人の英傑について紹介します。

蜀の初代皇帝「劉備玄徳」

「劉備玄徳(りゅうびげんとく)」は、よく優れた人格者として描かれます。正史によると、勉学を嫌って、若者に囲まれ娯楽に興じる一面もあったようです。いずれにしろ、不思議と人を引きつけるカリスマ性があったのでしょう。

劉備は前漢皇帝の子孫とされていますが、父親を早くに亡くし、幼少期は貧しい家庭で育ちました。20代で関羽(かんう)と張飛(ちょうひ)という信頼のおける仲間と出会ってから、武将として頭角を現し、221年に蜀の初代皇帝となります。

三国志演義の序盤で、劉備は関羽・張飛の二人と「桃園(とうえん)の誓い」と呼ばれる義兄弟の契りを結びます。正史でも、3人は固い信頼関係で結ばれていたという記述があるため、完全なフィクションとはいい切れません。

関帝廟(神奈川県横浜市横浜中華街)。関羽を祀っているが、由来は、1862(文久2)年に一人の中国人が関羽の木像を抱いて、現地に祠(ほこら)を開いたことによるという。

魏の礎を築いた「曹操孟徳」

「曹操孟徳(そうそうもうとく)」は、後漢に仕えた武将です。三国志演義や、それをもとにした物語では冷酷な悪役として描かれることが多い一方、正史では圧倒的なリーダーシップを誇る実力主義者とされています。

曹操孟徳と、名馬・絶影(イメージ)

 

後漢が衰退していくなか、曹操は後漢の皇帝である献帝(けんてい)を迎え、中国を統一するという野望を胸に奮闘しました。曹操は帝位を奪うことはなく、後漢の中の一藩国として魏を建国し、216年には魏王となります。

実質的に、後漢のトップでありながら、皇帝にはならず、丞相(じょうしょう、最高位の大臣)のまま220年に死去しました。曹操の死後、献帝は曹操の息子・曹丕(そうひ)に位を譲ります。ここで漢王朝は滅亡し、曹丕が魏の初代皇帝となったのです。

呉の初代皇帝「孫権仲謀」

「孫権仲謀(そんけんちゅうぼう)」は、春秋(しゅんじゅう)時代に兵法を説いた「孫子(そんし)」の末裔(まつえい)といわれます。父・孫堅(そんけん)には帝位に立つ器とされ、覇王とも呼ばれた兄・孫策(そんさく)にも認められるほど頭がよく優秀だったようです。

正史では、孫権の政治感覚のよさを褒めながらも、疑り深く晩年は冷酷さが際立ったと記述しています。孫権は魏・蜀の二国間を、うまく立ち回って手玉に取り、同盟と裏切りを繰り返して呉を独立させました。

孫権は軍師・周瑜(しゅうゆ)や文官・張昭(ちょうしょう)などの優れた臣下に恵まれていて、229年、48歳のときに呉の初代皇帝となります。しかし後に、後継者問題を引き起こして呉を衰退させてしまったのです。

頭脳明晰な軍師「諸葛亮孔明」

「諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)」は、三国を建国した3人と並んで有名な人物です。劉備に仕えた蜀の丞相であり、その見識の広さから、軍師・散文家・書家・発明家としても活躍しました。

諸葛亮孔明(イメージ)

 

諸葛亮は、もともと静かに暮らしていましたが、その聡明さは劉備の耳にも届きます。劉備は軍師として迎えるため、諸葛亮の家を3回も訪ねたほどです。この出来事から、優秀な人物を手厚い礼儀で迎える意味の「三顧の礼(さんこのれい)」という言葉ができました。

諸葛亮は、劉備に「第三勢力となり天下を三つに分けることこそ、天下統一の近道」と進言しました。これが「天下三分の計(てんかさんぶのけい)」です。突飛(とっぴ)とも取られかねない自分の構想を受け入れてくれた劉備を信頼し、諸葛亮は生涯をかけて蜀に忠誠を貫きました。

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三国志における代表的な戦い

三国志で、必ずといってよいほど取り上げられる、三つの戦いがあります。群雄が入り乱れて天下を狙っていた時代の戦いについて、それぞれ詳しく見ていきましょう。

官渡の戦い

献帝を擁護した曹操は、徐々に勢力を強めていきました。それを面白く思わなかったのが、後漢の名門出身で一大勢力であった袁紹(えんしょう)です。

200年に袁紹が主戦力を率いて、曹操が陣取る官渡城(かんとじょう)を攻めたことから始まったのが「官渡の戦い」です。このとき袁紹軍は10万人、曹操軍は1万人と、戦力に大きな差があったといわれています。

袁紹の部下たちは、勝つためにいくつも進言をしますが、袁紹は聞き入れません。すると部下の一人が裏切り、曹操軍に寝返ってしまったのです。これをきっかけに裏切りが続き、ついに袁紹は逃亡してしまいます。

この戦いで、さらに勢いを増した曹操は、中国北部を統一して魏の礎を築きました。まさに天下分け目の決戦であったといえるでしょう。

赤壁の戦い

圧倒的な力を付けた曹操は、劉備を追って荊州(けいしゅう)を手に入れると、次に孫権のいる江東に狙いを付けました。すると諸葛亮が孫権のもとへ行き、劉備と協力して曹操を倒すことを決意させたのです。

208年、長江を挟んで「赤壁(せきへき)の戦い」が起こります。曹操軍は20万人もの大軍なのに対し、孫権・劉備軍は合わせて4万人程度の軍勢だったようです。

しかしこのとき、曹操軍は疫病に苦しんでいたため、思うように勝利できず、軍船で水上要塞を築いて持久戦に持ち込もうとしました。孫権軍はこれを逆手に取って、密集する軍船に火を放ち、動揺した曹操軍に大勝利を収めたのです。

南への進軍を阻まれた曹操は許都(きょと)へ戻り、孫権は江東を、劉備は荊州を支配します。三つ巴の勢力図は、その後、50年間続きました。

夷陵の戦い

219年、樊城(はんじょう)で劉備に押され気味になっていた曹操軍は、長江南側の支配権を譲るのと引き換えに孫権へ協力を要請します。これを受けて孫権は、それまで提携していた劉備軍の関羽を討ち取りました。

劉備は激怒して報復を決意します。諸葛亮や諸侯が引き留めたにもかかわらず、劉備は呉へ攻め入り、220年の「夷陵(いりょう)の戦い」が起こったのです。

成都式侯祠(中国成都市)。諸葛亮孔明を祀った社。成都式侯祠は、15万㎢の広さで、三国歴史遺跡エリアなど三つのエリアがあり、三国志の聖地と呼ばれている。

 

対する孫権軍は、持久戦に持ち込み、劉備軍が疲れ切るのを待っていました。半年もの間にらみ合った末、孫権軍は劉備軍を火攻めします。歴史に残る大敗を喫した劉備は、命からがら逃げ帰ったといいます。

夷陵の戦いで、多くの武将を失った劉備は心労で弱り、223年に諸葛亮に蜀の実権を託してこの世を去りました。

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やさしく三国志を学べるおすすめ本

子どもに、三国志を知ってほしいと思っても、大人向けの作品では「難しくてつまらない」と感じさせてしまうかもしれません。そこで小学生でも読みやすい、おすすめの本を2冊紹介します。

学研プラス 10歳までに読みたい世界名作 三国志


「10歳までに読みたい世界名作 三国志」は、三国志入門書として小学生にぴったりの1冊です。飽きることなく読み切れるよう、文章とイラストが、ほどよい割合で構成されています。

劉備を主役に、関羽・張飛・諸葛亮などが活躍して、曹操に立ち向かう物語です。演義をもとにしたフィクション作品ではありますが、英雄伝のようなストーリー仕立てなので、楽しみながら三国時代を学べるでしょう。

西東社 大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる三国志


三国志について、より詳しく知りたい場合には、迫力のCGで図解されている「大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる三国志」がおすすめです。本書は基本的に、正史をもとにして書かれています。

地図や年表・人物紹介などの情報が豊富なので、なぜ、その戦いが起こったのかも深く理解できるでしょう。誰か一人に焦点を当てることはせずに書かれており、演義の内容については注釈を付けた上で紹介されています。

知れば知るほど興味深い三国志

三国志は、魏・蜀・呉の三国が支配権を奪い合った時代の歴史書です。魏を正統王朝とする正史と、蜀を正統とする演義で内容や人物描写に違いがあるように、どの立ち位置から見るかによって正義と悪は入れ替わります。

三国志は映画・ドラマ・小説など、さまざまなメディアで題材に取り上げられているので、主人公の違う作品を比べてみてはいかがでしょうか。最も共感できる登場人物を見つけると、より三国志の世界を楽しめるかもしれません。

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構成・文/HugKum編集部

参考図書:
大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる三国志(西東社 )
オールカラーでわかりやすい!三国志(西東社 )

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