日光東照宮の魅力を知ろう。歴史から、見たいポイントまでチェック

日光東照宮は、日光エリアを代表する観光スポットです。 広々とした境内には、歴史を感じさせる建物やかわいい彫刻など、見逃せない場所がたくさんあります。初めて日光東照宮に行く人に、歴史と見どころ・参拝のポイントを解説します。

日光東照宮とは?

「日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)」は、江戸幕府を開いた徳川家康を祀る神社です。戦国の世を終わらせた英雄にふさわしい、豪華できらびやかな社殿が、訪れる人を魅了します。日光東照宮の基本情報と歴史を見ていきましょう。

日光市にある世界遺産登録の神社

日光東照宮は、栃木県日光市にあります。境内には55棟の建築物があり、そのうち8棟が国宝、34棟が重要文化財に指定されています。ほとんどが江戸時代初期に建造されたもので、漆塗りや彫刻など、当時の名工の技術を間近に見られる貴重な場所としても有名です。

1999(平成11)年には、周辺の「二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)」「輪王寺(りんのうじ)」とともに、「日光の社寺」として世界遺産に登録されました。三つの社寺は、それぞれ徒歩数分の場所にあるので、時間があればすべて見学してみるとよいでしょう。

・社寺名:日光東照宮
・住所:栃木県日光市山内2301
・電話番号:0288-54-0560
・拝観時間:4~10月9:00~17:00、11~3月 9:00~16:00
・定休日:なし

日光東照宮  公式サイト

聖域(日光二荒山神社、日光東照宮、輪王寺を含む日光山)への入り口「神橋(しんきょう)」。アーチ形の木造反り橋で、長さ26・4m、幅7・4m。「蛇橋(じゃばし)」ともいわれる。勝道上人が日光山を開く際、大谷川の激流に立ち往生し、神仏に祈ると、蛇王権現が2匹の蛇を使わして「橋」を渡した、という説による。

日光東照宮の歴史

日光東照宮は、1617(元和3)年に、徳川家康の遺言により創建されました。家康は晩年、駿河(するが、静岡県東部)に住んでいましたが、「死後一周忌を過ぎたら、日光山に祀りなさい」と言い残します。

日光山は江戸の真北にあることから、自らが動かない北極星のような存在となり、国を見守ろうとしたのではないかと考えられています。

2代将軍・秀忠は遺言通り、日光山に簡素な神社を建てました。後に、家康の孫で3代将軍の家光が、約2年に及ぶ大工事を行い、現在のような豪華な神社に造り替えます(1636)。

家光は、死後も祖父に仕えるため、東照宮の隣に自分の墓を建てさせたほど、家康を崇敬(すうけい)していたといわれています。なお東照宮の名前は、天皇が家康に贈った「東照大権現」の神号が由来です。

▼関連記事はこちら

徳川家康とはどんな人? その生涯や、天下を統一した政治戦略とは【親子で歴史を学ぶ】
徳川家康とは、どのような人物? 「徳川家康」を学ぶにあたって、まずは、彼が生きた時代背景や偉業の概要を押さえておきましょう。どのような性格...

日光東照宮で行われる行事

日光東照宮では、春と秋に、それぞれ2日間にわたる盛大な祭りが開催され、多くの観光客が見学に訪れます。祭りのスケジュールや内容を詳しく見ていきましょう。

日光東照宮春季例大祭

春季例大祭は、例年5月17~18日に開催されます。日光東照宮の中でも、最大の祭りで、17日の「流鏑馬(やぶさめ)」や18日の「百物揃千人武者行列(ひゃくものぞろいせんにんむしゃぎょうれつ)」など、武家の伝統を感じられる「神事」が人気です。

流鏑馬とは、走る馬に乗ったまま矢を射る武芸です。武士にとって大切な武術であり、神様に奉納するための神事にも用いられていました。鮮やかな射手の装束や、響くひづめの音に、武士の世にタイムスリップした気分を味わえます(2022年は中止です)。

百物揃千人武者行列は、祭りのハイライトともいえる神事です。家康の霊が、最初の埋葬地・静岡の「久能山(くのうざん)」から、日光へと移るときの行列を再現しています。大きな神輿(みこし)を中心に、鎧(よろい)武者や巫女(みこ)などに扮装した人たちが参道を練り歩く様子は圧巻です(2022年は、中止です)。

久能山東照宮御社殿(国宝。静岡市駿河区)。日光東照宮の御本社より19年前、1617(元和3)年に、権現造(ごんげんづくり)と呼ばれる様式で建立された。全国に数多くある東照宮の原型となった。

日光東照宮秋季大祭

秋季大祭は、10月16~17日に開催されます。内容は春の例大祭とほぼ同じで、1日目に流鏑馬、2日目には武者行列が行われます。春と秋の主な違いは、武者行列の人数です。春は約1200人ですが、秋は約800人と規模が小さくなります。

なお武者行列は二荒山神社の境内を出発し、東照宮の参道を通って、1kmほど先にある「御旅所(おたびしょ)」を目指します。「御旅所」とは、神様が移動する際の休憩所や目的地のことです。

行列はここで神輿を降ろし、お供え物や舞を奉納した後、再び参道を通って東照宮の本殿へと帰っていきます。

日光東照宮の見どころ

日光東照宮には「陽明門(ようめいもん)」や「三猿(さんざる)」など、外せない見学スポットがたくさんあります。ユーモラスな動物の彫刻は、子どもでも楽しめるでしょう。

豪華な美しさを楽しめる「陽明門」

豪華な建物が多い東照宮の中でも、ひときわ目立つ建物が国宝「陽明門」です。2017(平成29)年に4年がかりの大修理を終え、美しい色彩がよみがえりました(現在、手直し工事中で、2022年4月20日頃終了予定です)。

屋根の上では鬼瓦を筆頭に、龍や息(そく)・龍馬などの霊獣が邪悪なものを追い払おうと、にらみを利かせています。柱や壁には、一面に唐獅子(からじし)や仙人など500以上の彫刻が施され、1日じゅう見ていても飽きないと思えるでしょう。

陽明門(スケッチ)

 

陽明門は、わざと未完成な状態にしていることでも知られています。目が彫られていない「目貫(めぬ)きの龍」と、1本だけ模様の上下が逆になった「魔除(まよ)けの逆さ柱」が、その証拠です。

完成されたものは、いずれ崩壊することから、あえておかしな部分を設け、未完成であることを主張しているとされています。

寝顔に平和を感じる「眠り猫」

陽明門から東側に延びる回廊には本殿の奥へ続く門があり、門の上には「眠り猫(ねむりねこ)」が彫刻されています。牡丹(ぼたん)の花の下で気持ちよさそうに眠る、かわいらしい猫の姿は必見です。

眠り猫。江戸時代初期に活躍した伝説の職人・左甚五郎(ひだりじんごろう)作と伝えられている。全国100箇所近くに甚五郎作と称するものがあるが、実在の人物であることを実証する資料は西光寺(奈良県香芝市)の鳳凰の欄間にあるという。
眠り猫。江戸時代初期に活躍した伝説の職人・左甚五郎(ひだりじんごろう)作と伝えられている。全国100箇所近くに甚五郎作と称するものがあるが、実在の人物であることを実証する資料は西光寺(奈良県香芝市)の鳳凰の欄間にあるという。

 

猫の裏側には、2羽のスズメが戯れる様子が彫られています。スズメにとって猫は天敵です。しかしここでは、猫はすやすやと眠っており、スズメも猫を恐れることなく遊んでいます。このため「眠り猫」は、強者も弱者もない、平和な世の中を表していると考えられています。

人生の教訓を学べる「三猿」

「三猿」は、神厩舎(しんきゅうしゃ)に施された彫刻の一部です。3匹の猿が、それぞれ目・耳・口を両手で覆い隠す「見ざる・聞かざる・言わざる」のポーズはよく知られています。

三猿の彫刻は、影響を受けやすい幼年期の象徴です。この時期に悪いことを「見たり聞いたり言ったり」して、不確かなうわさに惑わされないように、との教訓が込められています。

三猿。「見ざる・聞かざる・言わざる」の三匹の猿が最も多く見られるのは、今でも里山などにある「庚申塔」である。庚申の御本尊を青面(しょうめん)金剛童子として、三匹の猿はその侍者だという説が一般的だろう。
三猿。「見ざる・聞かざる・言わざる」の三匹の猿が最も多く見られるのは、今でも里山などにある「庚申塔」である。庚申の御本尊を青面(しょうめん)金剛童子として、三匹の猿はその侍者だという説が一般的だろう。<撮影/木内博>

 

また、神厩舎は神に仕える「神馬(しんめ)」を飼育する建物です。猿は馬を病気から守る動物とされており、神厩舎では三猿を含め全部で16匹の猿が大切な馬を見守っています。

16匹の猿のポーズは、それぞれ「人間の一生」を表しており、神厩舎を一周すると年代別の教訓を学べるようになっています。

パワースポットとして有名な「奥宮」

本殿の裏側に位置する「奥宮(おくみや)」は、家康の墓があるエリアです。眠り猫がいる回廊の門を通り、長い石段を上っていくと到着します。

突き当たりにある金属製の小さな宝塔が、家康の墓です。宝塔は日光東照宮のパワーの源とされ、真横と真後ろには、特に強いパワーがあるといわれています。

塔をぐるりと一周すれば、家康の霊力を存分に分けてもらえるでしょう。塔の横には、樹齢約600年の「叶杉(かなえすぎ)」があります。幹の空洞(うろ)に向かって願いごとを唱えると、願いが叶うとして人気です。

日光東照宮へ行く前にチェック

日光東照宮の境内は大変広く、坂や階段が多いため、子どもが疲れてしまう可能性があります。無駄なく回れるように、基本的な参拝ルートや、お守り授与所をチェックしておきましょう。

参拝ルート

日光東照宮の入り口には、巨大な石の鳥居がそびえています。立ち止まって、一礼してから中に入りましょう。鳥居をくぐると、左手に五重塔が現れます。

うっすらと雪化粧した日光東照宮の「五重塔」。1650(慶安3)年、若狭国小浜藩主・酒井忠勝によって奉納された。火災に遭って焼失するも、1818(文政元)年、同藩主・酒井忠進によって再建されている。

 

塔の1階には家康の寅・秀忠の卯・家光の辰と、3人の徳川将軍の干支(えと)が彫刻されています。3人の干支は東照宮のあちこちにあるので、探してみるのも一興です。

拝観券は、表門横の建物で購入できます。表門を通って左に曲がると、三猿のいる神厩舎があります。さらに進み「御水舎(おみずや)」で手と口を清めたら、陽明門を見学しましょう。

陽明門のすぐ先は、国宝の「唐門(からもん)」です。江戸時代は、幕臣や大名などの限られた人だけが、唐門の先に行けました。とても神聖な場所なので、静かに参拝しましょう。

次に、眠り猫のある門を通って、奥宮へ向かいます。途中にある207段の階段は、無理をせずゆっくりと上りましょう。拝殿付近には自動販売機やベンチがあり、一休みできます。

お守りと御朱印

日光東照宮では、参拝客のために、さまざまな「お守り」を用意しています。特に、眠り猫や三猿をかたどったお守りはとてもかわいらしく、お土産にも最適です。

お守りは表門だけでなく、神厩舎・陽明門・奥宮の窓口でも授与しています。陽明門横の窓口では、日光東照宮のオリジナル御朱印帳も販売中です。

御朱印は、表門と奥宮の社務所で受け付けています。それぞれ種類が違うので、両方訪れるとよいでしょう。陽明門の手前を左に行くと現れる「本地堂(ほんじどう)」では、輪王寺の御朱印がもらえます。

厳かな雰囲気が漂う日光東照宮へ

日光東照宮は江戸時代初期に建てられた、歴史ある神社です。広い境内には戦国を勝ち抜き、平和な時代を築いた英雄・徳川家康のパワーが満ちています。

参拝ルートや見どころを押さえてから行けば、より楽しみやすくなるはずです。厳かな雰囲気の中にも、人間らしい力強さが感じられる日光東照宮で、思い出に残るすてきな時間を過ごしましょう。

あなたにはこちらもおすすめ

関ヶ原の戦いとは? 時代背景や関わった人物まで分かりやすく解説
関ヶ原の戦いを簡単に解説 「関ヶ原(せきがはら)の戦い」という名前は覚えていても、詳しい内容を忘れてしまった人も多いのではないでしょうか。...
伊勢神宮へお参りに行こう。知っておきたい歴史や参拝方法とは
伊勢神宮について知ろう 伊勢神宮(いせじんぐう)とは、そもそもどのような場所なのでしょうか。所在地や建てられた経緯、現在までの歴史を見てい...

構成・文/HugKum編集部

編集部おすすめ

関連記事