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地域の公園を使って自由に集まり運動をする「スポトレ」
藤沢市のある公園には三々五々、子どもたちが集まってきています。未就学の5歳くらいから小学校6年生くらいまで、参加資格などは特になく、利用料もなく無料。毎週金曜日、15時30分から1時間、来たい子が私服で自由に集まれるのが、この「スポトレ」です。伊藤さんが現われると、「伊藤コーチ!」とあちこちから声がかかります。子どもたちはリラックスした表情で、仲間と仲良く開始を待っています 。
ざわざわとおしゃべりをしている子どもたちに、伊藤さんは「傾聴!」と声をかけます。すると、徐々におしゃべりが止み、みんなの目が伊藤さんに注がれます。
「今日新しく参加してくれてるのはだれかな?」。私、と小さく手をあげるその子を前に出して、みんなに紹介。本人も「5年の○○です、よろしくお願いします」と挨拶をしています。この挨拶に続いて、みんなも「よろしくお願いしまーす」。ちゃんと頭を下げて挨拶します。
地域課題をスポーツで解決に導けたら…
「挨拶、大事にしているんです。挨拶こそ、地域活動の第一歩だと思っています」
と、穏やかに語る伊藤さん。伊藤さんは理学療法士として数々の施設で利用者のコンディショニングをするほか、アスレティックトレーナーとしてトップアスリートや子どもまで幅広い層に向けて、理論的で実践的な身体の動かし方を指導しています。
実は、伊藤さんに「子どもたちの身体を動かしてほしい」と頼んできたのは、伊藤さんの旧来の知人で、この地域で介護や福祉の地域活動をトータルに展開する(株)ぐるんとびー代表の菅原健介さん。崩壊した学校に通う子の保護者でもありますが、「地域をひとつの大きな家族に」のスローガンをもとに、さまざまな地域課題の解決に取り組んできました。
「どこの地域も同様ですが、地域には 不登校や発達に特性を持つ子がいたり、貧困家庭の子がいたり。また、ちょっとしたことで孤立してしまう子たちもいます。そうした環境が学校崩壊につながっていることも数多くあります。でも、その子たちだって仲間と遊びたいし、身体を動かしたい。どんな子も楽しくその子らしく身体を動かすことで何かを変えることができたら、と。菅原さんと話し合って、この『スポトレ』を5年前から始めているんです」。
子どもを評価しない。危険なことはきちんと伝える
伊藤さんは「自分は教員でもなんでもない」と言います。でも、穏やかな語り口で、絶対に押しつけない。子どもたちのできばえを評価することもしません。ただ子どもたちが等しく身体を動かして純粋に楽しめる環境を作り、挑戦する意欲を褒めます。その上で、人の話をよく聞くこと、自分も友達も尊重すること、ルールを守ること、危険を防ぐことを語ってくれるから、子どもたちは伊藤さんに全幅の信頼を寄せています。
スポトレが開始されても、棒つきのアメをなめている子がいたのですが、その子をすぐに見つけて、「それ食べながら運動するとすごく危険だよ。なめ終わるまで待つか、アメを置いて運動するか、どっちかにしよう」と伊藤さん。頭ごなしに叱らず、危険とは何かをさりげなく考えさせてくれるから、次からきっと棒のアメをなめながら参加することはないでしょう。その子はアメを置いて運動したり、運動をやめてなめたりを繰り返し、「食べ終わったぞー」と言いながら、全力で身体を動かしに行きました。
飛べなくても「失敗」ではなく「ナイスチャレンジ」
この日のスポトレはこんな内容で行われました。
1.5人ずつ並んでウォーミングアップ。ふつうのスキップのほかバックスキップ、横向きのサイドスキップ、つま先をさわりながらのスキップなど
2.リアクションダッシュ(コーチの合図に反応し、素早く方向転換して走る)、ジャンケンダッシュ(勝ったほうが逃げて、負けたほうが追いかける)
3.走ってロープを飛び越えるロープジャンプ
4.子どもたちが考えた遊び
最後の4つめを除けば、ことさら変わった運動ではありません。でも、子どもたちはとても楽しそうです。異年齢で運動能力もさまざまな子が集まっているから、4段階にロープの高さを上げてジャンプしていくロープジャンプは、飛べる子も飛べない子もいます。
「高くて飛べないよ」
と訴えてくる子もいました。すると伊藤さんは
「リンボー(反り身でロープの下をくぐる)でもいいんだよ」
その子は安心して全力で身体を反らせます。
ロープは伸縮性が大きく、危険性のないもの。だから、思い切って飛べますが、足をひっかけちゃった子も……。そんなとき、伊藤さんは
「ナイスチャレンジ」
と伝えます。「飛べなかった」ことを評価しません。飛んだ勇気に拍手を送ります。だからこそ、子どもたちは自己肯定感を持つことができるし、飛べる子、飛べない子の多様性も認めることができるのですね。
子どもが考えた遊びにも多様性を尊重する工夫が
4番目の「子どもたちが考えた遊び」では、今回は5年生の安部川真宏(あべかわ まひろ)くん考案の「坂のぼりマーカーキャッチ」を全員で行いました。坂のふもとから2人がスタートして、黄色のスポーツ用のマーカーコーンを取るために走ります。年齢差や運動能力の差は、スタートラインにハンデをつけることで解消。ハンデも子どもたちが自主的に、「じゃ、○○くんはもっと前でいいよ」と決めていきます。ヨーイドンのかけ声で猛烈ダッシュしてマーカーコーンを手にした子どもたちが、楽しそう! 負けたって爽やかな笑顔です。ここでも自主性や自己肯定感が育っていきます。
「地域には障がいを持っている子どもや不登校の子どもなど、いろいろな子ども達がいます。そういう子たちのことも、子どもたち同士で自然に受け止め、柔軟にルールを変更しています」
と、伊藤さん。「多様性を認めなさい」などと命令せずとも、スポーツを通して、多様性が自然に認められ、あたりまえのこととなっていきます。
最後は伊藤さんがみんなを集めて、
「今日は何が楽しかった?」「お友達のいいところを見つけた人はいる?」
と聞き、みんなで意見や感想を言い合います。次回、遊びを考えてくる子を決めたら、最後もきちんと挨拶をして解散。自分らしく自由に身体を動かし、子ども同士の豊かな交流を楽しんだ子たちの顔は、ピカピカに輝いています。
パパママにとっても「スポトレ」は息抜きができるサードプレイス
見学やお迎えに来ていたママたちに話を聞きました。学校崩壊の最初の頃を知っているママのひとりは、
「本当に最初の頃は授業が成り立たなくて、私たち母親も困っていました。当時はもう少し伊藤コーチもルールや礼儀について話して、子どもたちをまとめていました。でも、5年たって、今は子どもたちが主体になって『スポトレ』を運営しているように持っていってくれる。こうした細かな配慮で、子どもたちの信頼を得ているんだと思います」
本当はこうした導きが学校の中でできるといいのでしょうけれど、なかなか難しい。
「やはり指導する人や組織の柔軟性が重要なのかな、と思います。伊藤コーチのお人柄、ですね」。
子どもたちが「スポトレ」をしている間に、ママたちは夕食の買物にゆっくり行くことができるし、ここでほかのママたちと語らうこともできる。
「金曜日で明日は学校が休みだと思うと、私たちもなごめて、ここで子育ての悩みを話したり、発散できます」
ここは家でもなく、学校でもない、子どもたちとパパママたちの第3の居場所。このサードプレイスが地域の中でだんだん認知されてきました。現在は、藤沢市の他、お隣の横浜市や千葉県、富山県などの地域でも『スポトレ』は開催予定だといいます。「学校崩壊」という地域の困りごとから発展したスポトレはどんどん広がっていきそうです。
スポーツの力を、改めて感じる「スポトレ」。ただ、伊藤さんがひとりがんばっても全国には広がりません。だから、
「お住まいの地域でも『スポトレを始めたい!』というグループには、そのやりかたをお伝えしますから、やってみてください」(伊藤さん)
さて、そのノウハウは、後半の記事でお伝えします。
後半はこちら
お話を伺ったのは
株式会社MEDI-TRAIN代表取締役。福岡県北九州市出身。久留米大学卒業後、日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナーの資格を取得したのち、北九州リハビリテーション学院にて理学療法士免許を取得。JIN整形外科スポーツクリニックでトップアスリートから子ども、高齢者まで幅広い年代に向けたリハビリテーションを経験。東京広尾の女性専用パーソナルトレーニングスタジオにてダイエット指導や産前産後のコンディショニングを経験。現在は医療、フィットネス、教育分野などで幅広く活動中。一般社団法人日本ウォーキングスペシャリスト協会理事。スポトレ