「十二単」ってどうなってるの? 衣の名称や重ね方、配色や重さまで完全解説

映画やドラマなどで、十二単姿の華麗さに目を奪われた経験を持つ人は多いでしょう。一方で、どうやって着ているのか、重くはなかったのかなど、さまざまな疑問も湧いてきます。十二単の歴史や構造、着付けのポイントを学びましょう。

「十二単」とはどんなもの?

十二単(じゅうにひとえ)とは、そもそも何を指しているのでしょうか。名前の由来も併せて解説します。

貴族の女性の正装のこと

十二単は、平安時代の女性の正装「女房装束」の後世の呼び方です。女房とは、朝廷に仕える女性のうち、専用の部屋を持つ人を指します。宮中の雑事を担う高級女官のことで、多くは貴族の出身です。

 

女房装束は「唐衣(からぎぬ)」と「裳(も)」を着けるのが特徴で、「唐衣裳装束(からぎぬもしょうぞく)」とも呼ばれていました。高貴な女性が宮中での特別な儀式でまとった十二単は、現在でも天皇の即位や皇族妃の成婚の儀に用いられています。

女房装束。いちばん上に着る「唐衣」は襟を折り返し、肩からずらすようにして羽織る。下に着ている衣を見せるために袖も丈も短い。後ろ下半身だけを覆う「裳」はプリーツスカートのように襞を寄せてあり、ベルト状の布で腰に巻き付けて着用した。

「十二単」の由来

十二単とはいうものの、衣を12枚着ると決まっていたわけではありません。ではなぜ、女房装束を十二単と呼ぶようになったのでしょうか。

もともと十二単は、たくさんの衣を重ね着する様子を表していたとされています。「源平盛衰記」という書物にも、天皇の母・建礼門院(けんれいもんいん)の服装について、「弥生の末の事なれば、藤がさねの十二単の御衣を召され」と書かれています。

春先のことでまだ寒いために、何枚も重ね着している姿を表現したものですが、それが後に「高貴な女性の正式な服装」と誤認され、定着したとする説が有力です。

十二単の基本的な構成

十二単には多くの衣や小物が使われます。どのようなアイテムを身に着けるのか、基本的な構成を見ていきましょう。

唐衣の下に着る表衣・打衣・五衣の総称が袿(うちき)。

 

 

唐衣と裳

十二単の一番外側に羽織る衣を、唐衣(からぎぬ)といいます。中国・唐の服を模したことが、名前の由来です。

唐衣は数ある衣の中でも、最も美しく華やかに仕立てられています。着丈や袖丈は短く、上半身だけを覆います。

裳(も)は腰から下に、長く引きずるようにして着る装飾用の布地です。腰に大腰(おおごし)と呼ばれる帯板のようなものを当てて結び、その下からプリーツ状の布をたらします。

表着・打衣・五衣

唐衣の下には、袿(うちき)と呼ばれる衣を着ます。唐衣のすぐ下に着る袿を「表着(うえのきぬ・うはぎ)」、その下に着る袿を「打衣(うちぎぬ)」といいます。

打衣の名称は、砧(きぬた)と呼ばれる道具で布を打ち、艶出ししたことが由来です。打衣の下には、さらに袿を5枚着用します。この方式は「五衣(いつつぎぬ)」と呼ばれ、平安時代の後期頃に制定されました。

それ以前は先述の通り枚数に決まりはなく、20枚着た女性もいたと伝わります。このように重ね着がエスカレートしていったので、後に5枚と定められたようです。

単・長袴

単(ひとえ)は袿の下に着る、肌着のような衣です。袿と同じ形状ですが、他よりも大きく長く仕立てられ、紋様は菱(ひし)と決められています。

なお単は「単衣」ともいい、裏地のない、表地のみで仕立てる着物を指します。裏地のある着物は、「袷(あわせ)」ということも覚えておくとよいでしょう。

長袴(ながばかま)は、裾を後ろに長く引く袴です。袿だけでは、前が開いて脚が見えてしまうため、長袴で覆っています。

十二単に関するQ&A

十二単の構成は、現代人の目にはとても不思議に映るかもしれません。重くはなかったのか、どうしてわざわざ重ね着したのかなど、よくある疑問に答えます。

重さはどのくらい?

現代でも、洋服をたくさん着ると、重くて肩が凝ってしまうことがあるでしょう。たくさんの衣を着なければならない十二単も、とても重かったことは容易に想像できます。

現在、皇室の儀式で用意されるものや結婚式場などでレンタルできるものは、平均で20kgにもなるそうです。ただし平安時代と現代では、絹糸の種類が異なります。

当時の日本で生産されていた絹糸は、現在流通している絹糸に比べて軽かったのではないかと考えられています。一方で袿が5枚と定められる前は、逆に現代よりも重かったかもしれません。

なぜ重ねたの?

女房が衣を重ね着した背景には、防寒以外にも、ファッションセンスをアピールする狙いがありました。当時は染色技術が発達していなかったので、1枚だけでは見栄えがしません。しかし色の異なる衣を重ねれば、衿元や袖口がぐっと華やかに見えます。

十二単の色のグラデーションは、「重ね色目」と呼ばれます。色の選び方や重ね方は、主に四季の彩を意識して工夫されました。

上は、表と裏で布を重ねる場合の「襲(かさね)の色目」の例。季節ごとに数種類の色目があり、それぞれ色の組み合わせが決まっていた。

女房たちは季節を表現するのにふさわしい色を選び、コーディネートすることで、おしゃれを競ったのです。彼女たちにとって十二単の着こなしは、美しさや知性を表現する手段でもあったといえるでしょう。

髪型や小物は決まっている?

現在、十二単を着るときは、髪を「大垂髪(おすべらかし)」にするのが基本です。「垂髪(すいはつ・すべらかし)」とは、髪を後頭部で束ねて背中にたらす髪型です。

大垂髪(おすべらかし) Corpse Reviver, Wikimedia Commons

平安時代は引きずるほど長く髪をたらしていましたが、室町時代頃から「かもじ」と呼ばれる付け毛を使うようになります。

江戸時代の後半になると、額を出し、横の髪を張り出すようにセットする大垂髪が考案され、正装時の髪型として取り入れられました。大垂髪に用いるかもじや櫛・簪(かんざし)などは、「髪上具(かみあげのぐ)」と呼ばれます。

また手には、「檜扇(ひおうぎ)」と呼ばれる美しい木製の扇を持ちます。かつて高貴な女性が顔を隠すために使ったもので、十二単には欠かせない小物です。

雛人形のお道具としても欠かせない檜扇

十二単を通して平安女性の暮らしを知ろう

十二単は平安時代の女房の正装として伝わり、現代まで受け継がれています。色を重ねて季節の彩を表現する工夫は、四季の変化に富む日本ならでといえるでしょう。

十二単を通して、平安時代の女性が何を思ってどのように暮らしていたのか、親子で想像してみると日本の歴史や文化への理解がより深まるかもしれません。

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構成・文/HugKum編集部

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