9年間不登校ののち、東京藝術大学へ。27歳の作曲家・ 内田拓海さん「小・中学校に1日も登校しなかった私は、音楽に居場所を見つけた」

東京藝術大学大学院美術研究科グローバルアートプラクティス専攻に在籍し、作曲家・アーティストとして幅広い活動を続ける内田拓海さんは、6歳で「学校には行かない」と宣言し、小・中学校の9年間をホームスクーラーとして過ごしました。
2024年10月刊行の自伝的エッセイ『不登校クエスト』(飛鳥新社)には、居場所を求め続けた内田さんの歩みと、その思いが込められています。

直感で「学校に行かない」。9年間出席日数はゼロ

――小・中学校に1日も通わなかったのはなぜですか?

内田さん:直感、でしょうか。幼い頃から自分の考えていることを信頼していました。保育園で先生に理不尽な対応をされたことは今でも覚えていますが、それが原因で集団生活がトラウマになったわけではありません。習い事やキャンプは楽しく行っていました。

学校が嫌、というよりも、ホームスクーリングをしていた外国籍の友人のように、自由な生き方をしたいと思ったんです。

――ご両親は最初、どんな反応をされたのでしょうか。

内田さん:小学校の入学手続きが届いた時に「学校には行かない」と母に伝えました。母はそれをどこかで予感していたそうです。父と相談して、私の「選択的不登校」を尊重してくれました。

――その時「行きなさい」と言われていたら?

内田さん:もともと、大人に理解してもらえないもどかしさをずっと抱えていた。学校には行ったかもしれませんが、行かされた不満が膨らんでいったでしょうね。

坂本龍一さんの音楽が孤独を溶かしてくれた。「これだ」

――音楽との出合いを教えてください。

内田さん:1つはゲーム音楽です。私は子どもの頃からゲームが大好き。NINTENDO 64の3Dスティックが壊れるほど夢中でプレイする中で、植松伸夫さんの作品や、光田康典さんが作曲した『クロノ・トリガー』をはじめとする数々のゲーム音楽に魅了されていきました。本の表紙にもゲームのキャラクターに扮した私が登場しています。

もう1つは、15歳で出合った坂本龍一さんの『Merry Christmas Mr. Lawrence』です。この曲を聴いた瞬間、すごく救われたような気持ちになったんです。家の中に居場所がない、誰にも受け止めてもらえない孤独感が、ゆっくりと溶けていく感覚でしょうか。ここに自分の居場所がある。本当に音楽が好きだと気づいたきっかけでもあります。

――そのときの思いが今の内田さんにつながっているのですね。

内田さん:この体験は私の根っこにあり、たびたび私を支えてくれています。藝大での作曲の勉強や、音楽の世界で自分を確立していこうとする過程でうまくいかないとき、大学卒業後にうつを経験し、アルバイトをしていたとき、自分はなぜ音楽をやっているのかと、あらためて問いかける瞬間……。そのたびに人生を立て直そうと思えたのは、この時の音楽で救われた体験が強烈に心に残っているからです。

音楽が私にとっての居場所となってくれたように、誰かに届いた私の作品が、一瞬でもその方の居場所になれたのなら、意味のあることができたのかなと思っています。

家族の中で居場所を探し続けた

親とは仲良し。でも何かが嚙み合っていない

――ご両親との関係はいかがでしたか。

内田さん:父と母がやりたいことを好きなようにやらせてくれたのが、今の私に繋がっていることは間違いありません。

その一方で、家庭内の衝突、思春期ならではの問題もありました。私は一番最初の子どもなので、両親も子育てが分からないところからスタートしたのもあるのでしょう。私の性格もあり、どう対応していいか分からなかったのだと思います。分かってくれないから私は感情が爆発してしまう。向こうも受け止める術がなくて、「なんでそんな風になるんだ」と。

――思春期でもあり、難しい時期ですよね。

内田さん:母が分かってくれていなかったわけではないと思うんです。私の9年間はかなりのレアケース。周りの目もある中で、よく見守ってくれたと思います。

でも、親子とはいえ、心の中は見えないので、相手を理解するのはやはり難しい。私の場合は、不登校や受験というよりも、根本的な自分の性質と両親のコミュニケーションの方法が全然違った気がします。一緒にいて、話はするんですけど、なんか噛み合ってない。親との間に、どこか埋まってない溝があるとずっと感じていました。

夜勤があった父は、自分が休息している日中に、私がいるのが気に障ったのでしょう。「うるさいよ!」と声を荒げられるのが本当に苦しかった。逃げるようにフリースペースに行ったこともあります。高校からは外の世界に出たいと思ったのも、家の中にあまり居場所がなかったからかも知れません。

よき理解者だった妹たち

――妹さんもいらっしゃるのですよね。

内田さん:5歳下と7下の妹が2人います。妹たちも小学生の頃は、当時流行していた女の子向けのゲームを楽しんでいて、私もゲームが大好きだったので感覚のギャップはあまりなく、お互い気軽に楽しんでいたように思います。きょうだいの距離感も自然で、特に嫌がられたり距離を置かれたりすることもなかったですね。

兄は家にいるものと思っていたようですが(笑)、「お兄ちゃん、この先どうするんだろう」と心配することもあったそうです。親とのコミュニケーションがあまりうまくいかなかった分、きょうだいで連携して支え合うようなところもありました。今でもご飯を食べに行く仲です。

騒音、人混みが苦手

――内田さんはいろいろなことを深く考えてこられたのですね。

内田さん:オールマイティに思考力があるわけではないんです。静かな環境で、11でお話できれば集中力が発揮できるのですが、場面が変わると全然うまくいかないこともある。

実は、小さい頃から、少しADHDの傾向があるとも診断されています。人混みや雑音が多い場所で話をされるのも苦手。電話中は特に“うーん、抜けちゃった、何の話だろう?”と相手が何を言っているのか聞き取れないことも。適材適所で、環境が整うと、自分の能力が発揮できるのかなと思っています。

出版をきっかけに親子関係が動き出す

「今までごめんね」母は泣いて謝った

――出版後のご家族の反響はいかがでしたか。

内田さん:母には、ちょっともったいぶって献本が家に届いても本の発売日まで渡さなかったんです。「どんな本なの?」「読めば私が小さい頃に思っていたことが分かるよ」とだけやり取りしました。

母は、私が外出中に読んだようで、帰宅した私の前に神妙な面持ちで立ち、ぎゅっと私を抱きしめて、「分かってあげられなくてごめんね」と泣きながら言ったんです。

――内田さんも涙を?

内田さん:「どうしたの? 急に?  今さら?  何を?  気にしてないよ?」
いろんな感情が沸き上がって、泣くよりも、感情が固まってしまいました。小さい頃、父親と揉めるとよく大泣きしたのですが、そのたびに自分が弱くなるようで、だんだんと泣くのを我慢するようになったせいもあるかもしれません。

でも、子ども時代の自分にタイムスリップして抱きしめられたような気持ちになりました。謝ってほしかったわけではありませんが、あの時、長い間、親子にあった溝のようなものが少し埋まった気がしました。

――お父さまは何とおっしゃっていましたか?

内田さん:ものすごく喜んでいます。親戚の皆さんにも献本したのですが、父が「本家にもプレゼントしたいからあと4冊くらいくれ」って(笑)。

――あらためて、ご両親への今の思いを聞かせてください。

内田さん:よく「親に感謝だね」と言われるのですが、それを直接受け止めるのは難しいという気持ちがあります。両親との間に辛い経験もありますから。でも、やはり、自分にとって大切な存在であることには変わりありません。私は愛してるよ、大切に思ってるよと言葉で伝えるのが苦手なので、いろいろな仕事をして経済的に還元してあげたいなと思っています。

1%でも共感してもらえたら

――それは嬉しいですね。周りの方はいかがですか。

内田さん:親戚や高校時代の恩師、先輩方など多くの方が本を購入してくださり、塾の先生は「1日で読んだわよ」と喜んでくださいました。先日、母校の横浜修悠館高校にサインをしにうかがう機会があったのですが、みなさんからの「勇気をもらいました」の言葉が本当に嬉しかったですね。

面白いのが、出版という形で世の中に出ることで、今まで身近な人たちだけに伝わっていたことが、思っていた以上に多くの方に広がっていくことです。私のコンサートに来てくださった方だけではなく、直接お会いしたことがない方からもTwitterなどで感想をいただくなど、さまざまな形で思いが伝わっていくのを感じています。

本には、私の失敗や恥ずかしい部分もさらけ出して書きました。そうした体験や言葉が、たとえ1%でも誰かの共感を呼び、その方の人生に小さな役割を果たせたなら、書き手としてこれ以上の喜びはありません。

『不登校クエスト』その先に

パーソナリティを出して活動したい

――11月で27歳。これからどんなことにチャレンジしていきたいですか?

内田さん:現在、修士課程2年ですが、この10月から1年間休学しています。キャリアをじっくり考えているからです。

10月には作曲家として福岡県のAIR(Artist In Residence)事業にも参加させていただきました。さらに、不登校の子どもたちや、若くして現代音楽や現代アートに興味を持ち始めた未来のアーティストたちに、もっと自分の活動を届けられる機会を作りたいですね。そして、出版もその一環ですが、作曲という枠にとらわれず、自分のパーソナリティを表に出していろいろな形で発信を続けていきたいです。

今を悲観的に捉えないで

――不登校で悩んでいるみなさんにメッセージをお願いします。

内田さん:親御さんは相当、不安に思っていらっしゃると思います。お子さんが不登校になった理由はそれぞれですが、私がそうだったように、もし学校に行くことがお子さんにとって良い選択なのであれば、時が来れば自然とそうなるでしょうし、行かなくても多様な学び方があると思います。正解がない分、親としては本当に大変だと思いますが、その子を信頼して向き合い、オーダーメイドの接し方をしてあげてほしいと思います。

そして、不登校で未来を心配しているみなさん。大丈夫です。誰でも無限の可能性があります。学校に行っていない分、実はすごく自由な時間がある。もし現状を悲観的に捉えているなら、それをチャンスに変えられるんです。15分でもいい。自分が好きなことや興味があること、あるいは何も見つからなくても、それがどこにあるのかを考えてみませんか。きっと、自分の居場所につながるヒントになりますよ!

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不登校クエスト

内田拓海著/定価1650円(税込)/飛鳥新社

お話を伺ったのは

内田拓海|作曲家・アーティスト
1997年生まれ。神奈川県藤沢市出身。作曲家・アーティスト。
東京藝術大学大学院美術研究科グローバルアートプラクティス専攻在学中。6歳の時、「自分は学校へは行かない!」と宣言し、小・中学校の9年間をホームスクーラーとして過ごす。通信制県立高校に進学後、一念発起。音楽経験がほぼゼロの状態からピアノと作曲の勉強を始め、2浪の末、東京藝術大学音楽学部作曲科へ進学。自身が不登校で過ごした経験から、鑑賞者にとっての〝居場所〟となれるアートの探求、創作活動を行っている。受賞歴として、奏楽堂日本歌曲コンクール第29回作曲部門第三位、東京藝大アートフェス2023・東京藝術大学長賞など。2024年10月2日に「不登校クエスト(飛鳥新社)」(飛鳥新社)を発売。Instagram
取材・文/黒澤真紀 写真/五十嵐美弥

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