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とにかく特別支援学校の子を硬式野球で大会に出してあげたい!
――久保田先生は全国の障害のある高校生に呼びかけて、硬式野球で甲子園を目指し、夢を追いかけようと、2021年3月に「甲子園夢プロジェクト」を立ちあげました。
久保田先生:野球が好きな子の野球をやりたい気持ちは、障害があってもなくても同じです。でも、「危険だ」と硬式野球をやらせてもらえないことが多く、本人も保護者もモヤモヤしていました。ですから、私の呼びかけに応じて、全国から「参加したい!」の声が上がりました。保護者や支援するコーチたちのおかげもあって、すぐにチームができあがり、彼らの実力のすごさも話題になりました。

――夢プロジェクトとほぼ並行して、久保田先生は新しく赴任した世田谷区の青鳥(せいちょう)特別支援学校でも球技部(後にベースボール部)の顧問になりましたね。こちらとの兼ね合いは?
久保田先生:夢プロジェクトを月に1回開催すると同時に、青鳥特支の球技部でも高校野球への挑戦を考えていました。ただ当初は部員が3人しかいなかった。それも、ほとんど素人のような状態からのスタートです。青鳥単独では、甲子園に出るのはまったく無理だと思っていたのです。だから、青鳥の球技部のメンバーにも、夢プロジェクトに参加してもらったりしていました。
小遣いを貯めて高価なグローブを買った部員に心を動かされて
久保田先生:その3人のメンバーの中に、白子悠樹くんという子がいました。小さい頃から野球が大好きでした。彼は筋力や感覚が手足の先のほうからゆっくりと低下していく難病にかかっていて、体や手足に筋肉の変形もありました。だから、青鳥特支に入った頃は、野球をやりたくてもやれないと思っていたんです。しかし、夢プロジェクトに誘って参加するようになって少しずつ実力を上げていきました。それとともに、筋力もついて病気の進みが遅くなるという効果も見られたんですね。
あるとき、青鳥でいつものように球技部の練習の時間になると、白子くんがベンチに座って手に持った硬式のグローブをしげしげと見つめていたんです。それは有名メーカーの本格的で高いグローブでね。最初は親御さんに買ってもらったのかと思ったんです。しかし、あとから聞いてみると小さい頃からのお小遣いを少しずつ貯めたもので買ったものだったんです。

久保田先生:いいグローブだね、と声をかけると、「これで野球をしたいんだ」と。それを聞いてハッとさせられました。小さい頃から長い間コツコツ貯めてきたお小遣いをはたいて、5万円もするようなグローブを買った。その思いの強さ、ひたむきさ。「この子たちに硬式野球の大会なんて無理だろう」と思っていた自分はなんだったんだ、と。高校野球をやりたい子がいるのに応えられないのなら教員失格だよな、と自分を叱りました。
――無理だろうと決めつけず、子どもたちの願いをかなえることに邁進したのですね。
久保田先生:甲子園に出るには、まず東京都の高等学校野球連盟(高野連)に入れてもらうのがスタートです。それにはさまざまな条件があり、クリアできないと思っていました。うまく加盟したとして、どこまで試合ができるのかもわからない。でも気持ちを入れ替えて高野連に加盟すべく手を尽くそう、がんばろうと思えてきたんです。
子どもたちに教える前に、子どもたちから教えられた
久保田先生:私は最初に赴任した養護学校でダウン症の子に野球を教えて、飛び上がらんばかりに喜ばれた。それで、障害がある子でも野球が好きならなんとかして甲子園に、と強く思うようになりました。そして今回は変形する筋肉と闘いながら「野球が好き」という思いでがんばってきた白子くんが、背中を押してくれた。「なんとしてでも高野連に加盟して、この青鳥特別支援学校として甲子園を目指そう」と決心したのです。
私がここまで教師をやってこられたのは、節目、節目で子どもたちに影響を受けてきたからです。子どもたちに教えられて、教員は育つのだとしみじみ感じます。
部員3人の野球部を都大会に。普通高校と連合チームを組む
――3人しか部員のいない青鳥特支のチームを、どうやって甲子園に導くのですか?
久保田先生:まずは、校長先生に話をして、都の高野連への加盟を認めてもらいました。校長先生が応援してくれたのはありがたかったですね。高野連に加盟するには諸条件があり、部員の人数は問われませんが、長く野球部を存続できるかということ、そして、私が青鳥特支の野球に専念できるかどうかが大きなポイントでした。別に進行していた全国の障害のある子たちとの「甲子園夢プロジェクト」との兼任ができないということなので、身を切られる思いではありましたが、そちらは後進の先生方や保護者にお任せすることにしました。
そして、晴れて青鳥特支のベースボール部は2023年5月16日、東京都の高野連に加盟できたのです。

久保田先生:ただ、夏の都大会は7月上旬。3人だけだったチームも、4月に3人入部し6人になったものの、9人いなければ野球はできません。そこで、比較的近隣の都立深沢高校を紹介してもらいました。時間もないですし、すがる思いで監督の宇野秀和先生に連合チームで都大会に出させてもらえないかとお願いしたところ、話を聞いてくれて承諾してくれたんです。もともと深沢高校も野球部員が少なく、私立松蔭大学附属松蔭高校と連合で夏の大会に出る予定でした。その連合が14人。うちの青鳥特支のメンバーを加えて20人、大会に登録できるメンバーの上限20人にぴったり収まったのです。
甲子園で優勝した慶應義塾高校も協力してくれた!
――普通高校の先生や生徒は、特別支援学校と組むことにためらいは……
久保田先生:宇野先生は、青鳥特支の選手たちに知的障害があることを、まったく気にしていませんでした。宇野先生は学生時代にボランティアで障害者と関わる活動をしていましたし、特別支援学校(小学校)への赴任経験もありました。チームのメンバーたちも、最初は距離があったけれど、やっていくうちにふつうの仲間になりました。それが大きかったですね。つくられたようなボランティア活動じゃない。あちらにとっても、そのうちライバルになるかもしれないんです。うちもありがたかったけれど、あちらのチームにもプラスの効果が大きかったと思います。
また、甲子園夢プロジェクトの関連で、神奈川県横浜市にある私立慶應義塾高校とも交流がありました。青鳥特支は学校の建て替えの途中でグランドが狭い。そこで快く慶應のグランドで合同練習会を開催してくれたんです。

――慶應義塾高校といえば、2025年夏の甲子園優勝校ですよね!
久保田先生:みなさん、野球というつながりでごく自然に接してくださる。青鳥特支のユニホームのストッキングは、慶應さんと同じなんです。慶應の森林貴彦監督がプレゼントしてくださいました。
試合に出たら特別支援学校だろうと容赦ない、結果は……
――2023年夏の都大会では、連合チームで2人が試合に出場したのですね。そして青鳥特支はさまざまなメディアで話題となり、2024年春には入部者も多くなり、部員12人、晴れて単独チームで都大会に出られるようになりました。日本初ということで、とても話題になりましたね。
久保田先生:特別支援学校だろうがなんだろうが、試合となったら関係ありません。いざ始まったら、普通校にコテンパンにやられました。記念すべき単独チームでの大会は、66対0でした。次の秋大会も66対0。「得点と失点の差を詰めていかないと勝てないんだよ、そのためにどうしたらいいか。打つだけじゃない、球をよく見てフォアボールで塁に出て勝つ方法もある。いかにして勝つか、もっと考えよう」と彼らに言いました。相手も一切手を抜かない、相手も特別支援学校に負けたら大変ですし、それが試合というものです。

――初めて特別支援学校単独チームとして都大会に出てから、2年。青鳥特支のベースボール部は変わりましたか?
久保田先生:部活の顧問は4人、女性教員もいます。部員はどんどん増えて、2026年3月までは2、3年で15 人、女子生徒も1人いるんですよ。2026年4月にまたベースボール部に興味を持って入ってきた生徒がたくさんいるので、部員は20人くらいになるかもしれませんね。
人数が増えるのはいいことです。チームの中で、いい意味で競争原理が働くからです。「負けたくない」って思いながらやるから。それは普通の高校生の感覚です。
ただ、課題は満載です。都大会では点差が開きすぎて、全部5回コールドですからね、9回まで行ったことがない。もう少し強くなりたいですね。
野球のコーチと選手、親と子、どちらも上下関係ではなく対等な関係で
――生徒さんの中には発達障害のお子さんもいて、チームでルールに沿ってプレイする野球が難しい、という場面はないのでしょうか。
久保田先生:うまくいかなくて暴れ出す子もいます。思い通りにならないとボールをたたきつけたり、 体育倉庫を蹴っ飛ばしたり。でもそういうのは、だいたい関わり始めて日が浅いときです。その子の個性がつかみきれていなくて、関係性ができていなくて、指導の仕方がわからないとき。繰り返し接して個性を見極めて、そうならないような状態を作っていくことが大事なんです。
好きで暴れるわけじゃない。いろんなことを抱えるとメンタルのコントロールができない特性を持っている子は、そうならないように接することが大事です。イライラしていたら少し集団から離して落ち着ける環境を作る。20分、30分したら見に行って、落ち着いていたら「またやってみるか」と声をかける。

――私たちの日常の子育てにも通じますね。イライラしている子を叱ってその場で「やりなさい!」と言ってもうまくいかない……。
久保田先生:そうですね。もちろんやってはいけないことは理解させないといけないのですが、気持ちが落ち着いてから冷静に伝えないと伝わらないです。接し方は、特別支援学校だろうとなんだろうと同じ。相手のことを思いやり、どう対人関係を築くか。教員と生徒、親と子が上下の関係ではなくて、人対人という接し方をすることかな、と思いますね。
「なんでできないんだろう」でなく「どうすればできるだろう」
久保田先生:指導のなかで心がけているのは、「なんでできないんだろう」って視点では見ないことですね。「なんでボールが捕れないんだよ」「空振りばっかりだ」なんて思っていると、マイナスの積み重ねにしかなりません。「どうすればできるんだろう」という視点で見ることが大事です。
10本ノックしても7、8、9本と連続して球が捕れない子はいるんです。10本目でやっと捕れたり。そのときは捕れたことをしっかりほめてあげる。9本ダメでもグッとガマンして1本捕れたことを「よーし捕れた!」とほめてあげたら、うれしい顔になります。そうすると1本が2本に、2本が3本になる。成功体験が積み上がっていくと、野球がもっと好きになって、真剣に取り組むようになるんですね。
それぞれの子の「できた!」の表情を見るのが生きがい
――久保田先生が障害のある生徒さんたちの野球に関わってきていちばんうれしかったことはなんですか?
久保田先生:できなかったことができた瞬間に、子どもたちが見せる表情ですね。その子によって違うんですよ。全身で喜びを表現する子もいれば、はにかむだけの子もいる。「こんなの当たり前だよ」ってしれっとした顔をする子もいます。それぞれの子の喜びの表現を見るのが、何よりも楽しいです。
そして、負けたときは当然悔しい。でも悔しがっていられないので、悔しさを糧にいかにしてがんばるか、です。私もいずれ定年が来ますが、それまで彼らと一緒に野球をもっと好きになれるようにがんばっていきたいと思います。
前編では久保田先生が特別支援学校で野球を始めたきっかけを伺いました
お話を聞いたのは
1966年生まれ。日本体育大学体育学部卒業(硬式野球部所属)後の1988年4月、都立養護学校教諭に採用される。2021年に東京都立青鳥特別支援学校に赴任。2023年に同校にベースボール部を創部し、夏の全国高校野球選手権西東京大会に他校との連合チームで出場。2024年は特別支援学校としてはじめて単独で、夏の西東京大会に出場した。甲子園夢プロジェクト前代表。NPO法人日本ティーボール協会常務理事。『甲子園夢プロジェクトの原点』(大学教育出版)ほか著書多数。
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この記事を書いたのは
インタビューを中心に教育、子育て、医療、介護、食などのテーマで WEB・雑誌・書籍などの記事を執筆。お話を伺う方にたくさんの学びをいただいています。社会福祉士、法定成年後見人、中学校・高等学校教諭一種免許状、生涯学習2級インストラクター(栄養と料理)