我が子が進路に悩んだ時は?教育ジャーナリスト・おおたとしまささんから『マイク』を読んだ君へ。

英国ウィットブレッド賞受賞の児童文学作家であるアンドリュー・ノリスの著作『マイク』。元テニス選手の父の薫陶を受け、U-18王者を目指す15歳のフロイドが、コートに現れたマイクという青年の存在をきっかけに、自分が本当にやりたいことに目覚めていく物語です。児童文学ながら、HugKum読者の親世代にも強くオススメしたい本作。フロイドをプロのテニスプレイヤーにしたい父がフロイドの本音を耳にした時の反応や対応は、子どもを育てている人なら感じ入るものがあるはず。

多くの発見や示唆をくれるこの本の「解説」を執筆されたのは、教育ジャーナリストのおおたとしまさ氏。今回は特別に、その解説の全文をHugKumに掲載します。

多くの子どもたちが新生活を迎える春にぴったりなこの本。ぜひ、手にとって、親子で向き合ってみてください。読後、なんとも言えない幸せな気分に包まれるはずです。

 

君にマイクの声が聞こえたら

※『マイク』より「解説」を全文転載。ネタバレを含みます。

世界的テニスプレーヤーの錦織圭選手を知っているひとは多いだろう。世界で最も有名な日本人の一人だ。そして、「さかなクン」を知っているひとも多いだろう。魚のかぶり物を頭に付けて、「ぎょぎょ!」と言ってテレビに登場する、人気者の魚博士だ。

この物語は要するに、本当は「さかなクン」なのに自分の正体に気づかぬまま、小さなころからテニスの英才教育を受けて「錦織選手」になってしまった少年が、周囲の期待を裏切ってでもやっぱり「さかなクン」として生きることを選んだという話である。

君ならどうするか。

自分の本当にやりたいことと周囲の期待に不一致が生じることが、人生ではたびたびある。そんなとき、いちばん耳を傾けるべきは誰の意見か。この物語はそれを教えてくれる。

この物語が真実の物語だというのは本当だ。著者のノリス自身が言うように、この物語で本当に起こったことは一つもないけれど、マイクは実在する。ノリスの言うように、マイクは男性とは限らないし、若いとも限らない、人間とも限らないけれど、誰の心の中にもマイクはいて、いざというときにだけ現れる。

なぜこうもはっきり言えるのか。私もマイクに会ったことがあるからだ。そうでなければおそらく、私はいまこの文章を書いていない。

「お前、誰?」って声が聞こえてきそうなので、少しだけ自己紹介。私はもともと雑誌の編集者として大きな会社で毎晩遅くまで働いていた。でも子どもが生まれて、子どもとの時間を大切にしたいと思い悩んだ。そのときマイクが現れた。私は会社を辞めて、個人として仕事をすることにした。当然収入は不安定になるが、「なんとかなる、なんとかする」と思えた。

そしていま私は、教育ジャーナリストとして、教育の現場を取材して本を書いたり、雑誌の記事を書いたりしている。だから君たちと同じくらいの子どもたちと接する機会が多い。君たちと同じくらいの年ごろの二人の子どもの父親でもあるし、小学校の教員をしていたこともある。心理カウンセラーの資格ももっている。それで、この本の解説を書くことになった。

話をもとに戻す。

この物語に出てくる登場人物を思い出してほしい。主人公のフロイド、その分身として現れるマイクが話の核である。ほかに、フロイドの両親、精神科医のピンナー医師、テニスのライバルであるバーリントン、ダイビングパートナーで〈熊〉のあだ名のゴスタ、フロイドの祖母、海洋生物学者のラモント博士、ウォーターワールドのチーフ、そしてチャリティ……。

さて、フロイドとマイク以外の登場人物のなかで、この物語におけるいちばん重要な役割を果たしたのは誰だと感じるだろうか。答えが浮かぶまで、しばらく本を閉じてみようか。

 

誰だった? おそらくその登場人物は、いま君が君の人生において最も必要としている人物だ。主な登場人物が果たした役割を考えてみよう。

フロイドの両親は、理想的な両親だ。テニスプレーヤーとしてのフロイドに決して無理はさせず、常にフロイドの意志を尊重した。あそこまで意識的に自分を抑制できる親はそうそういない。

それでもフロイドは、痛いほどに両親からの期待を感じ、身動きがとれなくなっていた。親想いの優しさゆえである。

また、そんな理想的な親でも、特に父親は、最後まで息子が世界的なテニスプレーヤーになるという夢を捨てきれないのである。意識的には完璧な親として振る舞えても、無意識のなかではどうしても親としてのエゴが捨てきれない場合は多い。それが親の性というものであり、それを責めることはできない。

親とはそれだけ切ないものであるが、その切なさを引き受けるのが親としての宿命である。それはあくまでも親にとっての課題であり、課題の解決を子どもに求めるのは筋違いというものだ。

精神科医のピンナー医師は、「マイクが見える」という突拍子もない話を初めから信じ、常に興味をもってフロイドの話に耳を傾け、フロイドの両親の気持ちも十分におもんぱかりながら、一方で一般的な大人の価値観をフロイドに押しつけることは決してしなかった。

注目すべきは、当初カウンセリングという形式でフロイドと会っていたピンナー医師が、途中から友人としてカジュアルな形でフロイドと会うようになったことだ。カウンセリングのテクニックが重要なのではない。精神科医でなくても、ピンナー医師のように話を聞いてくれて、気持ちに寄り添ってくれる大人は、君のまわりのどこかにも必ずいる。学校や塾の先生かもしれないし、親戚かもしれない。そんな大人に出会えたら、君の人生は鬼に金棒だ。

フロイドにコテンパンに打ちのめされるバーリントンは、フロイドと再会したとき、あの試合が人生の最悪の日であり、同時に最高の出来事だったと言った。もし今後君の人生にも「最悪だ!」と思うことがあったら、それがチャンスだ。そのあとの生き方次第で、最悪だったその日を、最高の出来事に変えられることをバーリントンは教えてくれた。

物語の中で、バーリントンという存在は、もう一つ大切なことを教えてくれている。テニスプレーヤーとして成功したバーリントンの姿は、あり得たかもしれないもう一人のフロイドの姿なのだ。例えるならば、バーリントンは「錦織選手」になることを選択し、フロイドは「さかなクン」になることを選択した。二人の人生を比べてみることで、二人とも正しい道を選んだことを確認できるわけである。

おそらく今後、バーリントンがテニスでスランプに陥っても、フロイドが海洋生物学者として地道に努力する姿を見れば、立ち直ることができる。逆にフロイドが人生の壁にぶち当たっても、バーリントンがウィンブルドンで戦う姿を見れば、勇気が湧いてくる。それがライバルであり、親友というものだ。

すべての登場人物に言及しているとキリがなくなりそうだが、チャリティについて触れないわけにはいかない。

チャリティには初めからマイクが見えた。それがすべてである。

フロイドがもしマイクの助言を無視してバーリントンと同じようなテニスのスター選手になっていたら、それこそモテモテの人生だっただろう。でも「有名人だから」「お金持ちだから」という理由で近寄ってくる女の子たちには、絶対にマイクは見えない。

物語のなかでは描かれていないのだが、フロイドにもチャリティの〈マイク〉が見えるはずである。チャリティにとっての〈マイク〉は女性かもしれないので、ここでは勝手に〈ジェーン〉とでも名づけよう。

チャリティが困難に陥ったとき、彼女の前にも〈ジェーン〉が現れる。フロイドは〈ジェーン〉の助言を信じようと、チャリティの背中を押すだろう。むしろフロイドは、〈ジェーン〉が現れるまで、チャリティに対して余計なアドバイスをしないはずだ。それがいちばんの支援であることを、フロイドは自分の人生においてすでに学んでいるからだ。

お互いにそれができるのが、本当の人生のパートナーだということは、のちのちのために覚えておくといいかもしれない。君ももし、そういうひとに出会えたのなら、そのひとを心底大切にしなければいけない。

君の人生においても、これからさまざまな登場人物が現れて、さまざまな形で君を助けてくれるだろう。ただし、注意しなければいけないこともある。

例えば、錦織選手とさかなクンのどちらにもなれるとしたら、君はどちらを選ぶだろうか。世界的な知名度からいえば、圧倒的に錦織選手のほうが有名だ。稼いでいるお金だって多いだろう。でも、どちらの人生が上等かなんて、誰も決められない。どちらの人生が幸せかなんて、比べようがない。

なのに、「あのひとの人生は上等、このひとの人生はいまいち」などと、ひとの人生を勝手に比較して評価する大人は少なくない。どんな学校を出たとか、どんな会社に勤めているとか、どれだけ有名だとか、そんな〝モノサシ〟でひとを比べる。そしてその〝モノサシ〟を基準にして、本当に良かれと思って、子どもたちにアドバイスする。話はよく聞くべきだ。でも鵜呑みにしてはいけない。

ピンナー医師のような顔をして応援してくれる大人でも、「夢をもて」などと言ってくる場合はまゆつばだ。子どもが夢に向かって努力をしているのを見ると大人は安心するので、ついそういうことを言いたくなる。ただしそれは君の立場に立ってのアドバイスではなく、彼ら自身が安心したいために言っているだけだ。そういう大人に煽られても、自分の夢を無理やりねつ造してはいけない。そんなことをすると、ますますマイクが見えなくなる。

その点、ピンナー医師は見事だった。どうしたらいいかわからないというフロイドに、ピンナー医師は「君の年齢なら、たいていは自分が何をしたいのかなんて分かってないよ」と言うのである。それがまっとうな大人の助言であることを覚えておいたほうがいい。

また、もし君の親が「あなたのため」と言い出したら要注意だ。親のエゴが暴走を始めている可能性がある。それが子どものためだと思いながら、実は自分の不安や焦りを君に投影しているのだ。

この物語のなかで、フロイドの親が「あなたのため」と言ったのは、初めて親子が本心をぶつけ合う、あの緊迫したシーンの一回だけ。それも母親がフロイドに、「お父さんはあなたのためにあんなに手を尽くしてきたのに」と、間接的に父親の気持ちを伝えたときだけである。

それ以外のシーンでも「あなたのためなのよ!」と言いたくなることが何度もあったはずだが、必死でこらえていたのだろう。それが賢明な親のスタンスだ。

実は最も気をつけなければいけないのが、偽のマイクの存在だ。いわゆる「悪魔のささやき」。本当のマイクと偽のマイクを見分けることは非常に難しい。コツを聞かれても、わからない。たぶんノリスも答えられない。ではどうするか。

できるだけ若いうちに、「これはマイクの声だ!」と思えるものには従ってみることだ。最初のうちは失敗の連続だろう。それは、本当のマイクの声ではなかったのだ。でも失敗をくり返すうちに成功の打率が上がってくる。そうやって本当のマイクの声を聞き分けられるようになっていくしかない。

若いうちにたくさん失敗の経験を積んでおけば、大人になってから、「悪魔のささやき」にだまされることが少なくなる。これは確かだ。

最後にもう一つ君に考えてほしい。

フロイドは、伝説に残るような勝ち方でテニス人生を終え、テニス選手としての自尊心を保ちつつ、沈没船を発見して一攫千金を成し遂げるという方法で、社会的な成功も手に収めた。ノリス自身が述べているが、そのあたりはいかにも「物語」である。

ではもしフロイドが、最後の試合でコテンパンにやられてしまい、しかも田舎の小さな水族館「ウォーターワールド」の職員として一生を終えることになったとしたら、彼の人生はハッピーエンドにはなり得ないのだろうか。

簡単には答えを出さないで、この本を閉じてからもしばらく、問いを問いのまま抱え続けてみてほしい。

 

著/アンドリュー・ノリス 訳/最所篤子 1430円(税込)

人生の岐路に立つ若い人たち、そして子どもの親世代にぜひ手に取っていただきたい本です。
自分の心の声に耳を澄ませ、それに従うこと。世間の評価や、たとえ親の希望であっても、それに惑わされず「自分の本当の人生を生きる」幸せが描かれる物語です。

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