NHK大河ドラマ「青天を衝け」で注目を浴びる渋沢栄一。彼の物語から目が離せないのは、豪農の家の息子、尊王攘夷の志士、徳川一橋家の家臣、そして明治政府の役人へとめまぐるしく活躍の場が変わる、その変転の人生ゆえでしょう。
彼がのちに「日本経済の父」と呼ばれるに至るには、いちはやく海外の経済・文化に触れたその経験が大きく影響しました。
渋沢栄一が海外で学んできたこととは?
尊王攘夷の志士から一転、将軍家に仕える身となった渋沢栄一は、将軍・徳川慶喜の弟・昭武に随行して、フランスのパリで開催された万国博覧会を視察します。
この旅で栄一は多くのことを見て学びますが、彼が海外で学んできたこととして、あてはまらないものは以下のどれでしょう。
1)銀行の仕組み
2)ガス・電気・上下水道などのインフラの様子
3)公共事業や慈善事業
4)儒学思想
【正解】
4)儒学思想
儒学思想は中国から渡ってきたもので、栄一はすでに青年期にいとこの尾高惇忠から『論語』をはじめ四書五経などを学んでいましたので、この海外視察では4以外のあらゆることを学んだことになります。
1867年2月に横浜を出港した栄一の一行は、上海、香港、サイゴン、シンガポール、セイロン、アデン、スエズ、カイロ、アレキサンドリアを経て、フランスのマルセイユに到着しました。
スエズでは壮大な運河工事をまのあたりにし、その規模だけでなく、公益を図るために事業をおこなうその思想にも感服します。
まんが/岩田やすてる シナリオ/香川まさひと 監修/老川慶喜
『学習まんが人物館 渋沢栄一』より
先進資本主義の基礎となる株式会社制度や銀行制度を海外で学んだ栄一。その知見が導いた彼ののちの物語こそ、渋沢栄一が「日本経済の父」と呼ばれるに至ったストーリーそのものなのです。
その後の渋沢栄一を知るために
「小学館版 学習まんが人物館 渋沢栄一」
尊王攘夷の志士時代を経て、徳川一橋家に仕えた彼が、海外で見たもの。その衝撃はやがて日本を近代化させるための原動力となっていきます。伝記まんがの決定版「学習まんが人物館」で、渋沢栄一の激動の半生を追ってみましょう。
「公益」の概念が国を豊かに、人を幸せにすることを信じた彼の、模索と挑戦、挫折と成功の人生が紡がれていきます。
構成・文/HugKum編集部