東山文化とは?「わびさび」や北山文化との違いについても知ろう【親子で歴史を学ぶ】

東山(ひがしやま)文化は、室町時代に栄えた二大文化の一つです。日本人特有の美意識「わびさび」がベースの落ち着いた作品が多く、現在も見る人の心を惹きつけています。東山文化が誕生した経緯と特徴、北山(きたやま)文化との違いについて解説します。

東山文化の特徴って?

室町時代は、さまざまな文化が発達した時代としても知られています。特に東山文化では、現在の日本人の価値観に近い生活様式や学問、芸術が生まれて、流行しました。東山文化が栄えた時期や、主な特徴を見ていきましょう。

室町時代中期の文化のこと

東山文化は、室町時代中期に栄えた文化です。8代将軍「足利義政(あしかがよしまさ)」が京都の東山に別荘を建て、文化活動の拠点としたことから、東山文化と呼ばれています。

義政は6代将軍・義教(よしのり)の5男として生まれますが、跡継ぎではなかったため、都を離れて暮らしていました。しかし父と7代将軍に就任した兄・義勝(よしかつ)が急死したため、呼び戻されて将軍に就任します。

義政は、もともと将軍として生きる覚悟がなかったうえに、政治能力も低かったようで、妻や側近に振り回される日々を送っていました。ついには、自身の跡継ぎ問題が守護大名同士の権力闘争に発展し、11年も続く「応仁(おうにん)の乱」を引き起こしてしまいます。

政治に飽き、争いの日々にもうんざりしていた義政は、東山の別荘に引きこもって趣味に没頭します。と同時に、戦火を避けて訪れた芸術家や文化人を保護し、積極的に支援しました。

義政は、将軍としては今一つでしたが、文化人としては非常に優れた人物です。彼がいなければ、東山文化の発展はなかったといわれるほど、重要な存在でした。

わびさびの美意識

質素なものや古いものといった、美しさからはほど遠い部分に価値を見出す「わびさび」の美意識は、東山文化全体に通じる特徴です。内乱が続き、希望を持ちにくい世の中で、「わびさび」を取り入れた芸能や文学、絵画などの作品群は高い評価を受けました。

「わびさび」は、「わび」と「さび」を合わせた言葉です。「わび」は貧しく質素な中にも味わいがある様子を、「さび」は古びたものの中に趣を感じる様子を表しています。

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北山文化との違い

東山文化に対して、室町時代前期に栄えた文化を「北山文化」といいます。義政は、北山文化を後押しした祖父「足利義満(よしみつ)」の影響を受け、文化人としての才能を開花させたといわれています。北山文化と東山文化の違いを見ていきましょう。

公家文化と武家文化が融合した華やかな文化

北山文化の発展に貢献した足利義満は、大変有能な政治家でした。3代将軍として室町幕府の勢力を強め、将軍を退いた後には、公家(くげ)のトップである「太政(だいじょう)大臣」も務めています。

晩年は、中国の王朝「明(みん)」との交易で財をなす一方で、文化芸術の発展にも貢献しました。義満のもとで発展した北山文化は、公家文化と武家文化の融合による華やかさが特徴です。

代表的な芸能や建築

北山文化を象徴する建築物が、義満が京都の北山に建てた別荘です。建築当初は「北山殿」と呼ばれており、義満の死後は臨済宗の寺院「鹿苑寺(ろくおんじ)」となりました。

北山文化を象徴する建築物が、義満が京都の北山に建てた別荘です。建築当初は「北山殿」と呼ばれており、義満の死後は、臨済宗の寺院「鹿苑寺(ろくおんじ)」となりました。

北山文化の呼称も、北山殿が由来です。外壁を金箔(きんぱく)で覆った建物「金閣」が特に目立つことから、「金閣寺」の名で親しまれています。

「金閣寺」の名で知られる鹿苑寺(京都市北区)。

芸能の分野では、「」と「狂言」が流行しました。

当時、神社仏閣の祭礼などで、「猿楽(さるがく)」と呼ばれる芸能が披露されていました。猿楽の劇団「観世座(かんぜざ)」は特に人気があり、義満も見物に訪れています。

観世座を気に入った義満は、メンバーの「観阿弥(かんあみ)」と「世阿弥(ぜあみ)」父子を召し抱え、芸を磨く場を提供したのです。父子は義満の期待に応え、舞台芸能「能楽」を完成させます。

能楽は、能と狂言をセットにしたエンターテインメントです。面をつけた役者が、音に合わせて舞うミュージカルのような「能」の合間に、コントのような滑稽味(こっけいみ)のある狂言が演じられました。

現代の能楽堂(靖国神社・東京都千代田区)

東山文化を代表する作品や建築

華やかな北山文化とは対照的に、東山文化では水墨画や茶の湯など、シンプルながら趣のある作品や建築が目立ちます。東山文化を代表する芸術作品を見ていきましょう。

雪舟が大成した水墨画

墨の濃淡だけで風景や人物を表現する「水墨画」は、禅宗の寺院において、僧の修行に使われていました。水墨画を大成した「雪舟(せっしゅう」も、京都の相国寺(しょうこくじ)に在籍する僧侶でした。

雪舟は明に留学し、水墨画を含む、さまざまな画法を学びます。帰国後は、日本の情景を墨で描く、独創的な画法を確立させました。

雪舟が幼少期に修行した宝福寺(岡山県総社市)にある少年雪舟像。

茶の湯や生け花

東山文化では、「茶の湯」や「生け花」も流行しています。茶の湯では、質素な茶室をしつらえて、心静かに茶を楽しむ「侘茶(わびちゃ)」が生まれました。

生け花は、もともと仏前に供えるために行われていましたが、茶室や「床の間」の登場で、より鑑賞に適した様式に変わっていったのです。東山文化で生まれた「茶の湯」や「生け花」の様式は、現在の「茶道」「華道」に受け継がれています。

銀閣寺

銀閣寺の名で親しまれている「慈照寺(じしょうじ)銀閣」は、足利義政が建てさせた「東山殿」の一部です。義政は、祖父が建てた金閣を意識していたようで、建物の形がとてもよく似ています。

しかし外観も内装も、金閣とは正反対の質素で古びた雰囲気です。パワフルに政治を動かしていた祖父と違って、政権争いや戦乱に疲れていた義政は、銀閣のような場所で、ひっそりと「わびさび」の境地を楽しんでいたと考えられています。

銀閣の1階にある、床の間や畳、障子などを使った「書院造(しょいんづくり)」は、現代日本の住宅建築のもととなりました。

書院造に見られる「違い棚」は江戸時代に発展し、現在の「和室」にも受け継がれている。

現代の日本にも通ずる東山文化

茶道や華道、和室など、現代でも目にする伝統文化の多くは、東山文化で育まれました。日本人の心に響く「わびさび」の感情が、形となって表されるようになったのも東山文化のポイントです。

1467(応仁元)年から始まった応仁の乱以後、日本は戦乱の世に突入し、世の中の情勢はめまぐるしく変化しました。それでもなお、東山文化で生まれたものは受け継がれていきます。日本人の心をとらえて離さない東山文化の魅力を、子どもにも伝えてあげましょう。

 

構成・文/HugKum編集部

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