謎多きエジプト文明とは。特徴から歴史・遺跡・神々……滅びた理由まで【親子で歴史を学ぶ】

四大文明の一つであるエジプト文明には、どのような特徴があるのでしょうか? 歴史や遺跡、人々の暮らしなど、さまざまな角度から紹介します。子どもにもエジプト文明について説明してあげると、世界の歴史に興味を持つきっかけになるかもしれません。

エジプト文明とは?

学生時代に習った記憶があっても、「エジプト文明」が、いつ頃、どこで繁栄したのか、忘れてしまった人もいるのではないでしょうか。まずは、エジプト文明の概要を紹介します。

ナイル川の河畔で繁栄した文明

エジプト文明は、紀元前3000年頃から紀元前30年頃まで、現在の「エジプト・アラブ共和国」があるナイル川の河畔(かはん)で繁栄した文明です。「エジプトは、ナイルのたまもの」という古代ギリシャの歴史家ヘロドトスが残した言葉の通り、ナイル川の恩恵があったからこそ栄えた文明と考えられています。

ナイル川は、アフリカ大陸の中部にあるビクトリア湖(ウガンダ)からスーダン、エジプトを通り、地中海に流れている大河です。春に川が増水し、上流から肥沃(ひよく)な土壌が運ばれてきたことで、農耕が可能になったといわれています。

ナイル川の河畔が栄えたのは、砂漠が広がるエジプトで、人が生活するのに適した唯一の場所だったことが大きな理由です。

大河「ナイル川」(エジプト・アスワン)。全長5760㎞で、世界第3位。アスワン・ハイ・ダムをはじめ多くのダムが建設され、大規模な開発が進む。アスワンは、アガサ・クリスティの『ナイルに死す』の舞台であり、アブ・シンベル神殿への観光拠点でもある。

エジプト文明の歴史

エジプト文明には、どのような歴史があるのでしょうか?  エジプト王朝誕生から滅亡までを、主たる歴史上の出来事とともに順を追って紹介します。

エジプト統一王朝の成立と古王国時代

ナイル川の河畔には、いくつものノモス(小国家)があり、やがて上流と下流の二つの王国に集約されていきました。紀元前3000年頃に、上流の王国の王であったメネス(ナルメル)が下流の王国を征服し、統一王朝(第1王朝)ができたのです。

紀元前2686年頃から紀元前2181年頃までは「古王国時代」と呼ばれています。第3から第6王朝までを指すことが多く、国家としての組織や機能がより整っていました。

古王国時代には「三大ピラミッド」と呼ばれる世界的に有名なギザのピラミッド群や、大スフィンクスなどが建設されています。

ギザの三大ピラミッド。造営時期は紀元前2500年頃とされ、いずれもエジプト第4王朝期に建設。被葬者はクフ王、カフラー王、メンカウラー王とされる。

中王国時代

古王国時代が幕を閉じ、その後の第7・第8王朝の政権は短命に終わりました。第9・第10王朝は、ヘラクレオポリスを中心に下流地域を支配し、第11王朝がテーベを中心に上流地域を支配しており、エジプトの支配権を巡る内乱が1世紀以上も続きます。

紀元前2040年頃に、第11王朝のメンチュヘテプ2世が上下エジプトを再統一し、テーベを首都とする「中王国時代」が始まったのです。しかし、紀元前1782年頃に第12王朝が崩れ、それ以降の政権は長続きせず、中王国時代が終わりました。

神アメンへの信仰が深まったことや、文字が体系化され、古典文学が生まれたことが中王国時代の特徴です。

新王国時代

王朝の統治力が衰え、各地で王を名乗る支配者や異民族の侵攻などによって混乱した時代を迎えます。しかし紀元前1540年頃、第17王朝のイアフメス1世がエジプトの再統一に成功し動乱を鎮め、「新王国時代」が始まったのです。

イアフメス1世は、パレスチナやシリアなどへ積極的に進出し、大帝国をつくり上げていきました。孫のトトメス3世も遠征先で数々の勝利を収め、エジプト最大の帝国を築いたのです。

この時代には、王家の墓として有名な「王家の谷」が造られました。トトメス1世が、盗堀から墓を守るために造り、新王国時代の多くの王が埋葬されています。

「王家の谷」(エジプト・ルクソール)。ナイル川西岸、岩山の谷間にある岩窟墓群。新王国時代の王の24墓を含む64の墓が発見されている。ここでも多くの盗掘を受けたが、1922年に発掘されたツタンカーメン王の墓は、唯一の未盗掘で、副葬品などが完全な形で発見。

プトレマイオス朝誕生から滅亡まで

エジプトは、紀元前332年頃にマケドニアのアレクサンドロス3世によって侵略・占領されていました。アレクサンドロス3世の死後、後継者の座を巡って「ディアドコイ戦争」が起こりました。

この戦争で勢力を伸ばしたプトレマイオス1世が即位したことで、プトレマイオス朝が誕生します。首都のアレクサンドリアは、経済・社会・文化の中心として発展し、多くの学者も輩出されました。

プトレマイオス王朝の終わりは、ローマとの「アクティウムの海戦」に敗北し、領土を奪われたためです。王であったクレオパトラ7世は自らを毒蛇にかませて自害し、子どもも処刑され、プトレマイオス朝は幕を閉じました。

エジプト文明の特徴

エジプト文明には、多くの特徴があります。メディアでも取り上げられることがある、文化・遺跡・王・神々について見ていきましょう。

高度な文化が発達

エジプト文明の特徴は、高度な文化が発達していたことです。

例えば、ナイル川の河畔での農業を通じて、天文学が発展しました。1年が365日であることを突き止め、太陽の運行を基にした「太陽暦」をつくったのです。また、水が引いた後の農地を再び分配するために「測量術」や「幾何学(きかがく)」も発達しました。

ヒエログリフ文字(聖刻文字・神聖文字)」と「ヒエラティック(神官文字)」も考案されました。神聖な碑文の記録だけでなく、法律や売買契約などにも使われ、文明発達の重要な役割を果たしていたと考えられています。

世界遺産にも登録される多数の遺跡

エジプトには、世界遺産に登録されているエジプト文明時代の遺跡が多数残っています。例えば、クフ王・カフラー王・メンカウラー王の墓であるギザの「三大ピラミッド」やスフィンクスは、エジプト文明の代表的な遺跡です。

ラムセス2世が建造した「アブ・シンベル大神殿」は、砂岩をくり抜いて造られているのが特徴です。4体のラムセス2世の像が建てられており、神殿内には多くの絵画や彫刻が施されています。

1,000年もの間、首都として栄えた古代都市テーベがあったルクソールには、カルナック神殿・ルクソール神殿・王家の谷などがあります。

エジプト文明に名を残した王たち

エジプト文明は「神権政治」で、王は「ファラオ」と呼ばれ、神の化身と捉えられていたため、絶対的な存在でした。

ファラオの中でも有名なのが、古代エジプトを初めて統一した王である「メネス(ナルメル)」、世界最大のピラミッドを造らせた「クフ王」、黄金のマスクや宝飾品など豪華な墓で有名になった「ツタンカーメン」です。

そのほかにも、アブ・シンベル神殿を建築し「古代エジプト最大の王」と呼ばれている「ラムセス2世」や、最後の女王「クレオパトラ」も歴史にその名を残しています。

「アブ・シンベル神殿」(エジプト・ヌビア遺跡)。左が「大神殿」で、青年期から壮年期までの4体のラムセス2世像が置かれている。右が王妃ネフェルタリに捧げられた「小神殿」だ。アスワン・ハイ・ダムの建設で水没の危機にあったが、現在地へ正確に移築された。

エジプト文明で有名な神々

太陽神「ラー」は、ファラオがラーの息子と考えられていたことから重要な神とされていました。エジプト文明では、太陽が重要な役割を担っていたことも神とされた理由です。

大地の神「ゲブ」天空の神「ヌト」の子である冥界(めいかい)の神「オシリス」と、豊穣(ほうじょう)の女神「イシス」も有名で、太陽神ラーから王の座を譲られました。犬の頭を持つ「アヌビス」は、ミイラづくりの神です。死者の魂を冥界に届ける役目も担っています。

首都として栄えた都市テーベの守護神だった「アメン」は、中王国時代から国家の神として崇(あが)められるようになりました。その後、太陽神ラーと一体化し、エジプトの神々のトップとして捉えられるようになったのです。

エジプト文明の人々の暮らし

エジプト文明では、人々は、どのような暮らしをしていたのでしょうか?  仕事や学問・食事・衣類について紹介します。人々の日常生活からエジプト文明がどのようなものだったのか推測できるでしょう。

仕事や学問

古代エジプトでは、夫婦と子どもの家族単位で生活しており、男女で役割が分かれていました。男性は狩猟・農業・漁業が主な仕事で、農閑期になるとピラミッド建設や工事に携わっていました。女性の主な仕事は、料理や掃除などの家事と育児です。

上流階級の家庭には政略結婚もありましたが、庶民は自由恋愛も許されていました。外国人との結婚も許されており、一夫一妻制が一般的でした。

中流家庭以上の子どもたちは学校に通い、宗教や算数、簿記などを習っていたようです。水泳やボートなどスポーツもできました。ただし、女性は必要最低限の教育しか受けられず、読み書きができる女性は多くはありませんでした。

食事や衣類

庶民の主食は、小麦からつくられたパンと、大麦からつくられたスープのようなものです。農耕が盛んだったため、タマネギ・ニンニク・ブドウ・ザクロ・豆類など多くの食べ物がありました。

ナイル川があることから、魚・野鳥・小動物なども豊富だったようです。ブドウからワインをつくっていたことも分かっていますが、高級品だったため、庶民は飲めなかったといわれています。

衣類は、ナイル川流域で採れた亜麻(あま)からつくったリネンの服が主流でした。男性は白い腰布で、女性はワンピースというシンプルで涼しいスタイルでした。

四大文明の一つであるエジプト文明

エジプト文明は、「メソポタミア文明」「インダス文明」「黄河文明」とともに四大文明と呼ばれています。ナイル川の河畔で繁栄し、エジプト統一王朝の成立から古王国時代・中王国時代・新王国時代・プトレマイオス朝と続きました。

高度な文化を有し、現在も世界遺産に登録されている数々の遺跡が残っています。未だに謎が多いエジプト文明について、もっと詳しく調べてみるのも楽しいでしょう。

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構成・文/HugKum編集部

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