脳科学者・中野信子さんに教わる「論破しないスキル」。思春期の子どもたちは親・学校・世間の同調圧力とどう付き合うべきか

思考の偏りや思い込みである「バイアス」や、それを他者に押し付ける「同調圧力」は世界に溢れています。誰かの思考バイアスに押しつぶされず健やかに生き延びる戦略を、脳科学者・中野信子さんが思春期世代に向けて発信。そのスキルは子どもたちだけでなく、大人にとっても有用な学びをもたらしてくれます。

バイアスだらけの「世間」とどうつきあうか

人間の脳が情報を処理して周囲を認知する際には、何らかのバイアスがかかる可能性があります。そして、時代によってバイアスも変わっていきます。では、こうしたバイアスに、どう対応していけばいいのでしょうか。特に対応に困るのは、周りの人の思い込みなどによって自分に実害が出そうなときです。

ときには周りから「おまえは普通じゃない」などと責められることもあるかもしれませんが、そんなときはどうしたらいいのでしょう。

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ポテサラ論争から考える「論破しないスキル」

少し古い話になりますが、2020年にTwitterで話題になったものに「ポテサラ論争」というものがありました。ある女性がスーパーの惣菜コーナーで見かけた風景をこうツイートしたのです。

「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」の声に驚いて振り向くと、惣菜コーナーで高齢の男性と、幼児連れの女性。男性はサッサと立ち去ったけど、女性は惣菜パックを手にして俯いたまま。私は咄嗟に娘を連れて、女性の目の前でポテトサラダ買った。2パックも買った。大丈夫ですよと念じながら。
(みつばちさんのツイートより。2020年7月8日08:09

このツイートには当時、35万の「いいね」が付き、13万人からリツイートされ、その後はテレビでも取り上げられるなど、大きな注目と共感を集めました。

もしも皆さんが、このポテサラおじさんに惣菜売り場でこんなふうに言われたら、どうしますか?

「大きなお世話」「買った方が安上がりかも」「そういうおじさんは自分でつくるのか」「ポテサラをつくるのって結構な手間がかかるのに」……以前、女性編集者たちとこの話をしていたら、彼女たちの口からはこんな反論がいろいろ出てきました。

ただ、スーパーの惣菜コーナーで出会うより面倒なのは、こういう人が会社の上司だったり、取引先の部長やバイト先の店長、親戚のおじさんやお舅さんだったりする場合です。

巷では、論破することが流行っているかもしれません。けれどもこの場合はうかつに論破してしまったら大変です。相手が不快に思ったら騒動になり、致命的な損失があるかもしれません。

「もう、今どきそんなことを言うと、ママさんたちから怖がられちゃいますよ」とにっこり笑いながら軽くたしなめるのもいいかもしれませんね。あるいは、時には、罪のないウソを使うのもいい手かもしれません。
「私は今、ポテサラ修行中で、美味しいって聞いたお店の味を片っ端から勉強しているところなんです」という設定もいいかもしれません。
「私の実家は貧乏で、スーパーで惣菜を買えなかったんです。結婚してここのポテトサラダを買ったらすごくおいしくてハマってしまって……」などと、恥ずかしそうな顔をして同情を誘う手もあるかもしれません。
「そうおっしゃる部長の奥様は、きっと何でも上手につくられるんでしょうね。お得意の料理って何ですか?」と話を逸らすというバリエーションもありますね。答えたくない質問には答えず、相手に別の質問をして話をさせるのはかなり汎用性があり、応用のきく方法です。皆さんならどう返しますか?

論破というのは言語による格闘技のようなところがありますから、論破した直後は瞬間的にスッとして、気持ちがいいかもしれません。けれど、エンターテインメントとしてテレビのショーやネットのミーム記事などで人の論戦を見て楽しむくらいならいいのですが、実際の生活はエンターテインメントではありません。ショーとしての格闘技でもないのに上司に技を決めてしまったら、それこそあとが大変です。

相手をぎゃふんと言わせることを考えるよりも、うまくかわす方法を考えてみる方が得策かもしれません。その場で相手を言い負かしたり、真っ向から対立したりするよりも、長期的な利益を考えて動いた方がいいということです。

親のバイアスとどうつきあうか

では、相手が親の場合はどうでしょうか。

幼少期の子どもにとっては、親(ないしは主たる養育者)は最も身近で唯一無二の基準になります。ですから、小さな頃は親の言葉を素直に受け入れて育つ以外にありませんが、成長するに従って、他の基準が存在することを知るようになると徐々に親の言動に矛盾を感じることも出てくるかもしれません。それが自然な流れです。

親も一人の人間であって、間違うこともあるし、迷うこともあるし、その人なりの生観や人間関係があるのです。そして繰り返しになりますが、バイアスも持っているはずです。

もちろん、「自分がうまくいかないのは親のせいだ」と言って反抗するのも自由なのですが(それもコミュニケーションの一つの形です)、親に反発し続けていることが果たして自分の得になるのかどうかは考える必要があります。

もしかしたら、同じような思いを抱えている人と緩いつながりで共感し合えるなど、それはそれでいいこともあるかもしれませんが、もっと色々な学びに使えたかもしれない貴重な時間や、もっとよいものにできたであろう自分の人生を、親への恨みだけで消耗してしまうとしたら、とてももったいないことです。

がここで皆さんにお伝えしておきたいな、と思うのは、長期的に物事を捉えるということです。

どうしたら、これからの自分の人生がもっと生きやすくなるのか、どうするのが得なのか、もう少し心地よく生活するにはどうしたらいいかを考えてみるのです。

「お母さんの言っていることはおかしい。でも、このおかしいのが『世間』というものかもしれない。それなら、まずはこの人からの養育者としての庇を、自分が自立するまでは最大限に引き出すというゲームをしてみよう」というように、発想を変えてみるのもいいかもしれません。

自分とは違う考えを持っている人に、どう対処していけばいいのか。自分の居心地をよくしたり、選択肢を増やしたりするためには、どう接すればいいのか。きっと、相手をやり込めるだけではうまくいかないでしょう。

でも、中学生や高校生のうちから、こうしたことを一生懸命考えて相手を納得させることができたら、その経験は誰にも奪われず、一生使えるあなたの「財産」になるはずです。社会に出た後には、理不尽なことを言ってくる上司や先輩に自分の言い分をうまく通したり、自分の思いをやんわり伝えたりするコミュニケーション力につながっていくことでしょう。

親と自分は別の人間なのだから、理解し合えるとは限らないし、相手がバイアスを持っているのは当たり前。もしかしたら自分もバイアスを持っているかもしれない。まずは、その前提で、親とのコミュニケーションを考えてみてはどうでしょうか。

何より、あなたの人生はあなただけのものであるということを、よく考えてみてほしいのです。

学校・先生のバイアスとどうつきあうか

学校の先生などに対しても、間違っていると感じることがあるでしょう。「先生だって失敗しているのに、自分のことは棚に上げてずるい」とか「先生のくせに公平な判断ができない」と責めたくなる人もいるかもしれません。

ただ、前提条件として、教師というのは「失敗があまり許されることのないストレスの多い仕事である」という認識は持っておいた方がいいと思います。さらに言えば、教員は聖人君子ではなくただの人間だということも理解しておいた方がよいことでしょう。

公立校の場合、教師は公務員になりますが、公務員は基本的に失敗の許されない職種です。また、今の教師たちの勤務実態がとても過酷なものであることはよく指摘されています。

そんな中で、先生たちも基本的には、ベストを尽くそうとしているだろうはずだけれど(例外的に悪意の人もいるかもしれないので注意は必要ですが)、やはり人間ですから、能力の限界もありますし、先生の考えるベストがあなたにとってのベストと違うこともあるでしょうし、もちろんバイアスも持っているはずです。

そこで先生を責めたり困らせたりしても、お互いに有益なことはそれほど多くありません。むしろ、状況がより悪くなってしまうこともあります。

実は私自身、学生時代にそれをわかっていたらもっとうまく生きられたのに、と歯がゆく思う一人です。せっかく授業料を払っているわけですから、無駄に対立して軋轢(あつれき)を生むよりも、もっと有益なことをその期間に自分で身につける方がいいですよね。

大人を責めるだけでなく、うまく味方につける方法を自分なりに工夫してみましょう。

また、周りの大人の失敗を見て、子どもが学べることもあります。「大人のくせにんな間違いをするなんて」と相手の間違いをあげつらうより、いつか自分も同じように間違えてしまうかもしれないという学びに変えるのです。

「フェイルセーフ」= 生き延びるための救命ボートを

新しいパラダイムの中で挑戦なんかしたくない、すでにつくられたパラダイムの中で楽に過ごしたいと考えている人には、親や先生の言うことを素直に聞いておくのも有効な戦略だということになります。私は、なるべく楽に生きていくという方針も悪いことだとは思いませんから、そういうふうに生きたかったら、親や先生の言うことをよく聞いて、なるべくそれに従い、かわいがられて過ごすように心がけておくといいでしょう。

ただし、何か一つの考え方だけに染まるのはやはりリスクが高いので、いつでも逃げ出せるための救命ボートのようなものを用意しておくことをお勧めします。

表面上は親や世間に合わせるけれども、心の中では、ぶつぶつ文句を言う自分や、世間に疑いを持つ自分も大事に育てておいて、今の方法でうまくいかなくなったら、すぐに他の方法にスイッチするということです。

誰かの考え方を無批判に受け入れるのではなく、自分だけの世界もしっかり育てておく。そうすると、トラブルや困難な状況があっても比較的適応しやすく、したたかに生き延びられるのではないかと思います。

皆さんは「フェイルセーフ」という言葉を聞いたことがありますか?  機械や設備などの設計をする際に、故障や誤作動は必ず起きるものという前提で、異常が発生したときにも人命だけは絶対に危険にさらすことのないよう安全に動作させる制御方式のことです。

そのフェイルセーフのように、私たちも一つのパラダイムだけを信じるのではなく、常に他の可能性についても考慮しておくということです。それが、多様な価値観が求められる社会で無事に生き延びていくための救命ボートになるでしょう。

※以上、『「バイアス社会」を生き延びる』(中野信子・著/小学館 YouthBooks)から引用・再構成

「兵法三十六計」から導かれる戦略も

脳科学者・医学博士の中野信子さん
脳科学者・医学博士の中野信子さん

ここまで、中野信子さんの著書から、社会のバイアスとのつきあい方に焦点を当てて見てきました。

同書ではさらに中国の古典『孫氏の兵法』や『兵法三十六計』から「戦わずして勝つ」「逃げるに如かず」といった戦略、さらに「気づかぬふりをして時機を待つ」や「間接的に批判して相手をコントロールする」といった戦法まで紹介しています。いずれも驚くほどバイアス社会の同調圧力への対処にマッチした内容で、説得力にあふれた実践指南となっています。

常にバイアスに覆われ真実を見分けられない脳の限界を見据えつつ、自分と他人を攻撃するバイアスから逃れて生き延びる術を、脳科学の知見から学び取りたいものです。

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作・中野信子小学館金額968円(税込)

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よりたくましく、より幸せに生きるための智恵をワンテーマで綴る「小学館 YouthBooks」の最新刊。

著者:中野信子(なかの・のぶこ)
脳科学者、医学博士、認知科学者。1975年東京生まれ。東京大学工学部応用化学科卒業。東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。現在、脳や心理学をテーマに研究や執筆の活動を精力的に行っている。科学の視点から人間社会で起こりうる現象及び人物を読み解く語り口に定評がある。近著に『フェイク!』(小学館新書)、『脳の闇』(新潮新書)などがある。

再構成/HugKum編集部

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