キューバとはどんな国?
まずは、キューバの位置や基本情報を押さえておきましょう。
どこにある国?
キューバは、アメリカのフロリダ半島からおよそ150キロ南、カリブ海に位置します。バハマ、ジャマイカ、ハイチのような島国に囲まれています。
基本情報
正式名称
キューバ共和国
政治体制
共和制(共和主義国)
面積
109,884平方キロメートル(本州の約半分)
人口
約1,121万人
首都
ハバナ
言語
スペイン語
時差
日本とキューバとの時差は、夏は13時間、冬は14時間です。日本のほうが進んでいます。
宗教
原則として自由
キューバの歴史
ここからは、キューバが歴史に登場してから現在に至るまでの歴史的変遷をざっくりとご紹介していきます。
コロンブスによる発見後、スペイン人による植民地化
1492年、コロンブスがキューバを発見し、スペイン領とすることを宣言します。それ以前のキューバには、シボネイ族をはじめとした先住民が農耕をしており、人口は10万人ほど。キューバを発見した際、コロンブスがこの地を「人間の目が見たもっとも美しい土地」と称したという逸話は有名です。
16世紀に入ると、スペイン軍が侵略を開始。先住民たちの抵抗もむなしく、キューバはほぼ制圧されてしまいます。その後はサトウキビの栽培をはじめるようになり、厳しい労働を強いられた先住民たちは、その後100年も経たないうちに過労や疫病によって絶滅してしまいました。
キューバ独立へ。キューバ共和国の成立
16世紀後半に差し掛かると、イギリスやオランダ、フランスが植民地獲得競争に加わり、キューバもまた、スペインの植民地として度々攻撃を受けるように。
19世紀中頃、キューバ内でスペインからの独立やアメリカとの統合を望む声が増えると、東部の地主であったカルロス・マヌエル・デ・セスペデスによって、キューバの独立宣言が出されました。独立軍による抵抗が生じましたが、スペイン軍によって制圧されたことで後退し、1878年に休戦。その後も独立やアメリカとの統合への声はますます増え、1895年に第二次独立戦争が開始します。
しかし、1898年、ハバナ港にいたアメリカの軍艦が爆発した事件をきっかけに、アメリカ軍がこの戦争へと参戦。キューバ対スペインの戦争は、気づけばアメリカ対スペインの戦争へと形を変えていました。
その後、アメリカとスペインが和平条約を締結したことから、キューバはスペインからの占領を解かれ、アメリカの占領下に置かれることに。そして、1902年にはキューバ共和国が成立しました。
キューバ革命。カストロによって革命政権が打ち立てられる
1952年、軍人であったフルヘンシオ・バティスタがクーデターを起こし、軍事政権を打ち立てます。共産主義者のフィデル・カストロが立ち上がり、一度は失敗するものの、1959年にバティスタを追放。チェ・ゲバラとともに革命政権を樹立し、政治の民主化をはじめとした独自の社会主義を探ります。
「キューバ危機」なる事件も
当時、自由主義国家であるアメリカは社会主義国家であるキューバを敵視していたため、キューバはソ連との親交を深め、極秘裏に軍事協定を結んでいました。
そんな最中であった1962年、アメリカはソ連がキューバに核ミサイル基地の建設をしているのを発見。アメリカは直ちにキューバを海上封鎖し、核ミサイル基地の撤去を迫りました。
あやうく核戦争が起こりかねない一触即発の緊張状態を招きましたが、ソ連が撤退したことでこの危機は免れました。その後、この出来事は「キューバ危機」と呼ばれています。
ソ連の社会主義崩壊と部分的な自由化
1991年にソ連が崩壊すると、貿易等でソ連に依存していたキューバは共に経済的に転落。政府は経済再生の策として、私的所有や国営企業の民営化など、経済競争の面を部分的に自由化しました。
このような政策によって、カストロ政権によるキューバ共産党の一党制体制は維持されたものの、土地の私的所有や、宗教信仰の自由など、あらゆる方面での自由化が進みました。
「キューバの雪解け」と今現在も残る課題
2008年にカストロが国家元首・首相・軍最高司令官を退任し、国家元首にはその弟のラウルが選任されます。ラウルが就任すると規制緩和が次々と打ち出され、2014年にはアメリカとの国交正常化交渉が発表されました。
その後は2016年にはオバマ大統領がハバナを訪問するなど、「キューバの雪解け」と呼ばれる、アメリカとキューバの関係の回復が行われました。
しかしながら、2017年から始まったトランプ政権では、再び対キューバ規制がなされ、2022年以降のバイデン政権では再び緩和されるように。さらに、キューバは今現在も深刻な物や資金の不足に直面していることから、アメリカへと不法入国する人も多く、大規模な人口流出もまた大きな課題となっています。両国間の関係は未だ安定しているとは言えません。
キューバの特徴は? 風習や文化の魅力
複雑な歴史を持つキューバですが、興味深い風習や文化をはじめ、たくさんの魅力も持つ国でもあります。ここでは、その一部をご紹介していきます。
ルンバ発祥・ダンスや音楽の盛んな国
キューバはダンスや音楽が盛んなことでも有名な国です。レストランやカフェ、公園のような街中で、楽団が演奏をしていることも珍しくありません。キューバ音楽は、ボンゴ、マラカス、カスタネットなどによる親しみやすいリズムが特徴的。
キューバ発祥のダンスで特に有名なのは、1890年代にハバナで生まれたルンバというもの。さらに、テンポの速いステップや腰の動きを特徴とするルンバをもとにして、1940年代にはマンボやチャチャチャ、サルサのようなさらなる新しいダンスが生まれました。
クラシックな街並みと車
キューバでは貿易の制限によって建築や車が不足しているため、古い建築物や車を自分たちで修理して大切に使い続けます。そのため、街並みは可愛らしいクラシカルな雰囲気が保たれているほか、「世界最大の自動車博物館」と呼ばれるほど、今では生産されていない貴重なクラシックカーが現役で街を走っていることも。
配給制度が存在
長い間、アメリカから経済封鎖を受けてきたキューバには配給制度が存在します。この配給では、米やパン、野菜、卵、塩、砂糖、鶏肉、コーヒーなどの食品のほか、マッチやせっけんなどを配給しており安く買うことができます。
しかしながら、それらの物資は常に潤沢にあるわけではなく、とても生きてはいけないほど極端に少ない場合も。市場でも買い物をすることはできますが、その場合は非常に高い値段設定がされているようです。この問題は今現在のキューバの課題となっており、大規模な人口流出の一因ともなっています。
食べ物や食文化
配給制度によって使える材料も限られているため、キューバの人たちは工夫して料理をします。特にキューバの人たちがよく食べるのが、米(インディカ米)と黒豆を合わせて炊いたもの。
プランテーンという、バナナとじゃがいもの中間のような食感のバナナを添えて出されます。肉や魚は特別な機会のみのごちそうとなり、食後には果物やお菓子をコーヒーとともに食べます。
オリンピック常連。国を挙げてスポーツ選手を育てるスポーツ大国
キューバの人々はスポーツも好みますが、中でも、1860年代にアメリカから伝わった野球が人気です。その強さはキューバの野球代表チームがオリンピックで過去に3回も金メダルを獲得するほど。
さらに、野球だけでなく、バレーボールやボクシング、陸上、柔道などの強豪国としても知られます。国を挙げてスポーツ選手を育てる教育制度が整えられており、何かしらの競技の才能を持つ子どもは、小学5年生からスポーツ専門学校へ入って英才教育を受けることができます。
人気の観光スポットは?
キューバには、訪れるのであればぜひとも立ち寄りたい観光地も多数存在します。最後に、キューバの人気観光スポットもご紹介。
ハバナ旧市街(オールド・ハバナ)
キューバの首都であるハバナの旧市街(通称:オールド・ハバナ)では、先述したようなクラシカルな建物を見ることができます。
多くの建物が元々スペイン人によって建設されたものを今現在も改修・使用しているため、街並みはヨーロッパとラテンの特徴が入り混じったユニークな雰囲気。さらには、おなじく先述したクラシックカーが走るのを目撃できるかもしれません。ちなみに、この旧市街は1982年にユネスコ世界遺産に登録されました。
バラデロビーチ
キューバに訪れたら必ず立ち寄りたいのが、キューバ最大のビーチリゾート・バラデロビーチ。年間100万人以上もの観光客が訪れるといわれるほどの人気スポットです。
約28kmに渡る白い砂浜に、透明度の高い美しい海が魅力的。ビーチ沿いには華やかなリゾートホテルが並び、ロマンチックでリッチな気分が味わえます。
ハバナ国立美術館
ハバナに位置するハバナ国立美術館は、キューバ美術を中心とした館と、世界各国の美術品を取り扱う館の2館から成るミュージアムです。
植民地時代から現代までのキューバの美術コレクションや、世界各国の美術コレクションの展示を行なっており、ここでしか見られない作品も多数。キューバの美術や文化に興味がある人ならぜひ立ち寄ってみては。
複雑な歴史や社会課題を抱える一方、明るく楽しい文化を多数持つ国
今回は、カリブ海の島国・キューバの基本情報や歴史、文化、観光地をご紹介してきました。
複雑な歴史や深刻な社会課題を抱える一方で、明るく楽しい魅力的な文化を多数持つ国でもあります。キューバに興味を持った方は、まずは文化を知るところからこの国への理解を深めてみては。
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文・構成/羽吹理美