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妊娠経過は異常なし。2010年7月に3328gで、第2子 大和くんが誕生
大和くんが生まれたのは、2010年7月。妻の多恵さんが27歳、源気さんが23歳のときでした。
「妊娠経過は順調で、妊婦健診でもとくに気になることは言われませんでした。出産は陣痛促進剤を使ったのですが、陣痛が来てから1時間半ほどで生まれました。大和は2人目なので、早かったのかもしれません。出生時の体重は3328gあり、元気な産声も聞こえました。上の子に顔がそっくりで、心から愛おしいと思いました」(多恵さん)
あまり泣かなくて育てやすいと思っていたのに…
大和くんは、生まれたときからあまり泣く子ではありませんでした。
「ベビーベッドに寝かせていてもおとなしくて、大泣きするようなこともなかったので、育てやすい子だな~と思っていました」(多恵さん)
しかし、じょじょに大和くんの発達の様子が気になり始めます。
「声を出して笑うのですが、あーあー、うーうーなどの喃語が出ないんです。2歳違いの長女と比べると“あれ?何かおかしい…”と思うようになりました」(多恵さん)
10カ月になっても喃語が出ず、名前を呼んでも反応しない
大和くんが生後10カ月になったころには、多恵さんと源気さんの不安は確信へと変わっていきます。
「つかまり立ちやおすわり、ハイハイはしていました。運動面の発育は、平均的に成長していたのです。ですが“大和”って名前を呼んでも私のほうを見たりしないし、相変わらず喃語も出ません。子ども番組を見ても、興味を示しません。長女が10カ月のときとは明らかに違うと思いました」(多恵さん)
1歳3ヵ月のときに、保健センターで発達相談を受ける
発達が気になり、初めて保健センターに行ったのは1歳3ヵ月のときです。
「保健センターでは “言葉のほうはもう少し様子を見ましょう。ただ歩かないのが気になるから、1歳6ヵ月健診のときにもう一度、相談してください”と言われました」(多恵さん)
1歳6ヵ月健診で再び経過観察と言われ、受診を決意
この頃、源気さんは期限付き移籍中で、チームが変わるごとに家族で引っ越しをしなくてはいけませんでした。大和くんが1歳3ヵ月のときは東京に住んでいましたが、1歳6ヵ月のときはヴァンフォーレ甲府に所属していたので、1歳6ヵ月健診は甲府で受けました。
「集団健診だったのですが、小児科医から“発達については2歳まで様子を見ましょう”と言われ、“えっ?まだ様子を見るの?”と不安になりました」(多恵さん)
そのことを源気さんが知人に相談すると「すぐに大きな病院で診てもらったほうがいいよ」と言われて受診することにしました。
小児神経科で検査をして、発達障害の疑いが
大和くんは小児神経科で脳のMRI検査や血液検査、耳の聞こえなどを調べました。
「先生からは、発達障害の可能性があると言われました。ただ、まだ小さいから確定診断はできないようでした。先生からそのように言われたとき、ショックで落ち込んだりはしなかったです。誰が見ても大和の発達はゆっくりで、絶対何かあると思っていたから、すぐに受け入れることができました」(多恵さん)
転院のために書いてもらった診断書を見て、初めて病名を知る
大和くんは、歩行訓練や指先が器用に使えるようになるために月1回、リハビリに通い始めました。
「大和が3歳になる前にガイナーレ鳥取に移籍が決まり、家族で引っ越すことになりました。そのため病院の先生に、転居先のほうの医療機関の紹介状を書いてもらいました。診断書を見ると“自閉スペクトラム症”“精神発達遅滞”と記されていて、初めて具体的な病名を知りました。そのときに知的障がい(精神発達遅滞)だけではなく、自閉スペクトラム症もあることがわかりました」(源気さん)
事実を受け止めて、前向きに取り組むことが大和くんのために
子どもの発達障害は、ママ・パパが受容するまでにかなり時間が必要と言われています。しかし永里さん夫婦は、すぐに受容しました。多恵さんと源気さんの間で、意見が食い違うこともありませんでした。
「大和の発達がゆっくりであることは明らかです。私たちが受容しなくても、事実は何も変わりません。それならば早く受容して、適切なサポートを受けたほうが、大和のためになると思ったんです」(多恵さん)
一番大変だったのは小5のとき。反抗期で噛みつかれたことも
大和くんが最も大変だったのは、小学5年生ぐらいのときでした。自閉スペクトラム症は、イレギュラーなことが苦手な特性がありますが、大和くんもイレギュラーなことが苦手です。
「冬休みに家族で旅行に行ったとき、やっとホテルに着いたのに“帰りたい”と言い出して、車から降りなかったこともあります。僕が2時間ぐらい付き合って、やっと気持ちが切り替わってくれましたが…。
道端で突然、嫌がって動かなくなることもありましたが、小学5年生で体も大きいので連れて帰ってくるのが大変でした。反抗期のせいか突然、噛みつかれたこともありましたね。」(源気さん)
今では中学生、驚くほど成長!
しかしその反抗期が過ぎた5年生の終わりの頃から、大和くんはぐんと成長しました。
「会話でのやりとりはできないけれど“大和”って呼べば振り向くし、“大和、ごはんだよ~”と声をかけるとすぐにテーブルにつきます。食べ終わったお皿も流し台まで持って来てくれます。以前は、おふろに入るときも嫌がって大変でしたが、今はバスルームまでスムーズに行くようになりました。1日のルーティーンを理解して、見通しがもてるようになったのだと思います。わずか2年ぐらいで、こんなに成長するんだと驚いています」(多恵さん)
大和くんに、言葉を介さなくてもコミュニケーションができることを教わった
大和くんは言葉を介して、自分の気持ちを伝えたりすることはできません。だからこそ永里さん夫婦は気づいたことがあると言います。
「大和の表情やしぐさ、様子をよく見ていれば、大和の言いたいことや気持ちはわかります。言葉を介さなくてもコミュニケーションができることを教えてくれたのは大和です。大和は、言葉は出ないけれども、よく笑います。これからも大和の笑い声が絶えないようにしてあげたいと思います」(源気さん)
永里さんは、大和くんの子育て経験から、療育特化型・放課後等デイサービス「Athletic Clubハートフル」を開設しました。永里源気さんに第二の人生を歩み始めたきっかけや「Athletic Clubハートフル」について、後編で詳しくお話を伺いました。
【後編】へ続く 永里さんが始めた、療育特化型・放課後等デイサービス 「Athletic Clubハートフル」について
取材・文/麻生珠恵