アーリア人とは?
アーリア人とは、はるか昔に存在した民族の一部を指す言葉です。どのような人々だったのか、まずはアーリア人の定義を見ていきましょう。
中央アジアの遊牧民族
アーリア人は、紀元前に中央アジアの高原地帯で遊牧生活を営んでいた民族を祖先とする人々です。遊牧民の一部が紀元前2000~1000年頃に、インドやイランに移動したものが、アーリア人と考えられています。
インドに移動した人々は農耕技術を手に入れて、より肥沃な土地を求めて広がっていき、新たなインド社会を形成します。その他の人々は、イラン高原に入って「ペルシャ文化」をつくりました。
インド・ヨーロッパ語族に属する
アーリア人の祖先は遊牧民族ですが、アーリア人自体は人種や民族の名称ではありません。言語学において、「インド・ヨーロッパ語族」に属する一派を指しています。
「語族」とは、系統が同じと考えられる言語グループのことです。英語やフランス語などのヨーロッパの言語と、インドやイランの言語は同系統とされており、言語学上は全て同じグループに属しています。
なお、インド・ヨーロッパ語族はヨーロッパ・西アジア・南アジアなどで確認されており、世界で最も広範囲に分布しています。
アーリア人の代表的な文化や制度
アーリア人は、移動した地域にさまざまな文化や制度をもたらしました。中には現在まで続く、有名な制度もあります。代表的な四つの文化と制度をチェックしましょう。
鉄器
アーリア人を含む中央アジアの遊牧民族は、鉄器と騎馬兵を携えて周辺各地を征服していったとみられています。製鉄技術がいつからあったのかは不明ですが、紀元前3000年頃には西アジアで鉄器がつくられていたことが遺跡から判明しています。
アーリア人も鉄製の武器や戦車、騎馬兵を使い、インドの先住民族「ドラヴィダ人」を征服しつつ、支配地域を拡大していきました。アーリア人の進出以降、インドでは鉄器が武器以外にも、農耕具として使われるようになっています。
身分制度
インド・ヨーロッパ語族に該当する人々は、肌の色が白くて鼻が高く、身長も高いという特徴を持っていました。
インドに進出した人々は、サンスクリット語で「高貴」を意味する「アーリア」を自称し、肌の色で差別する身分制度「ヴァルナ」をつくって先住民族を支配します。現在のインドに受け継がれている「カースト制度」は、ヴァルナが発展したものと考えられています。
ヴァルナはやがて、バラモン・クシャトリア・ヴァイシャ・シュードラの四つの身分に分けられ、ヴァイシャとシュードラは職業によって、さらに細分化されました。職業区分は「ジャーティ」と呼ばれ、2,000以上もあるとされています。
バラモン教
バラモン教は、インドに進出したアーリア人が成立させた多神教です。キリスト教や仏教のような開祖は存在しませんが、「ヴェーダ」と呼ばれる聖典に基づき、司祭階級のバラモンだけが、祈祷や祭礼を独占していました。
バラモン教は、やがて先住民族の信仰や風習などと融合し、インド独自の宗教「ヒンドゥー教」として発展を遂げます。なお、司祭バラモンの権威が非常に強いことから、バラモン教とヴァルナは深く関わっているとされています。
ゾロアスター教
ゾロアスター教は、古代のイランで成立した宗教です。バラモン教と同じく、イランに入ったアーリア人の民族的な信仰がもとになっているとされます。
バラモン教との違いは、「ゾロアスター」という名の実在の人物が創始した点です。ゾロアスターの生没年代はおよそ紀元前1200~600年の間とされ、正確には分かっていません。
そのためゾロアスター教がいつ成立したのかも、今のところ不明です。現在ゾロアスター教の信者は世界で10万人程度しかいませんが、かつてはキリスト教や仏教にも大きな影響を与えるほどの勢力を誇ったとされています。
近世の「アーリア人」
紀元前にインドやイランに移動したアーリア人の足跡は、近世にもみられます。近世における「アーリア人」について、分かっていることを解説します。
迫害の根拠として利用された
アーリア人はあくまでも言語学上の分類で、特定の人種や民族を指している訳ではありません。ただし近世では、「高貴」を意味する「アーリア」が都合よく解釈された時期もありました。
19世紀末から20世紀の初頭にかけ、ヨーロッパでは「アーリア人」が人種を指す言葉として使われるようになります。アーリアが「高貴」を意味するために、アーリア人が他の人種より優れているとの思想も同時に広まりました。
ナチスドイツの党首ヒトラーは、その思想をユダヤ人迫害の根拠として利用します。ヒトラーは、ドイツ人が「アーリア人」である一方、ユダヤ人は「非アーリア人」と勝手に定義し、多くのユダヤ人を迫害したのです。
現在ではアーリア人に対する誤解は解消され、単にインド・ヨーロッパ語族の一部との認識が広まりつつあります。
国名「イラン」の由来に
アーリア人は、イランの国名の由来にもなっています。イランはペルシャ語で「アーリア人の国」を意味する「アリアナ」が変化した言葉なのです。
イランに進出したアーリア人の国は、かつてはペルシャと呼ばれていました。しかしペルシャは、古代ギリシャ人がアーリア人たちの住む地名から付けた名称に過ぎません。
近世になってペルシャ国民の間で、本来のアーリア人を自称するべきとの動きが広まります。1935年、ペルシャは国名をイランに変更することを決定し、世界各国に通達しました。
アーリア人を正しく理解しよう
アーリア人は、かつて中央アジアから各地へ移動し、定着したと考えられている遊牧民族の一部です。インドやイランに移った彼らは先住民と交わり、現在のインド人・イラン人となりました。
インドに移った人々が、高貴を意味する「アーリア」を名乗ったことから、近世ではその民族全体が特別なのではないかと考えられた時期もあります。この機会にアーリア人の意味や歴史を正しく理解し、子どもたちにも伝えていきましょう。
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構成・文/HugKum編集部