「ええじゃないか」は、祭りのようなもの?
「ええじゃないか」と唱えながら民衆が歌い踊りまわったと聞けば、お祭りのように感じられます。近所で見かけたら自分も加わりたくなるかもしれませんが、実際には「ええじゃないか」とはどのようなものだったのでしょうか。その内容を見ていきましょう。
「ええじゃないか」と歌い踊った民衆運動
「ええじゃないか」は、1867(慶応3)年の7~8月頃から翌年4月にかけて起こった民衆運動です。東海道・中山道(なかせんどう)沿いの宿場町や村で始まり、江戸から京都・和歌山、遠く広島や四国まで広まりました。
呼称の由来は、民衆が歌い踊りながら唱えた「ええじゃないか」「いいじゃないか」という掛け声です。ただし、当時は「御札降り」「おかげ祭」「ヤッチョロ祭」「チョイトサ祭」など、地方によって呼び方はさまざまでした。「ええじゃないか」で統一されたのは、近代になってからとされています。
倒幕派が、騒ぎを利用したという説も
「ええじゃないか」は民衆に広まり、日本各地でお祭り騒ぎが頻発(ひんぱつ)しました。その騒ぎを利用したとされているのが「倒幕派」で、自分たちの動きから目を逸(そ)らさせ、幕府に揺さぶりをかけようとしたという説があるのです。
実際に、1867(慶応3)年10月の「大政奉還(たいせいほうかん)」以降、「ええじゃないか」は徐々に鎮静化し、12月の「王政復古(おうせいふっこ)の大号令」の頃には、ほとんど見られなくなったこととも結びつけられました。
ただし確証は見つかっておらず、倒幕派がある程度「ええじゃないか」を利用した可能性はありますが、推測の域を出ません。
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「ええじゃないか」発生から終息まで
「ええじゃないか」は、発生から短期間で広まり、1年足らずでほぼ終息しました。始まったきっかけから民衆の熱狂、鎮静化するまでを解説します。
天から御札が降ってきた
「ええじゃないか」は、1867(慶応3)年7~8月頃に東海地方で始まり、全国各地に広まっていきました。発祥は東海道筋の複数の宿場町、三河国渥美(あつみ)郡牟呂(むろ)村(現豊橋市)、今の名古屋市など諸説あります。
きっかけは、空から伊勢神宮などの「御札」が降ってきたことです。「ありがたい」「世の中がよくなる兆(きざ)しだ」と民衆は祝宴を催し、仮装や男装・女装など思い思いの格好で「ええじゃないか」と唱えながら練り歩いて大騒ぎをしました。
地域の祭りとしたところも
単なるお祭り騒ぎで済ませず、降ってきた御札を祀(まつ)ったところもあります。
名古屋では町奉行所に届け出て、7日7夜にわたって祭礼を行いました。御札が続けて降れば、それだけ祭礼の期間も長くなります。民衆は、ますます熱狂したことでしょう。最終的に届け出られた御札の数は、3,000枚余にもなったという記録もあります。
京都では、軒下に縄飾りをしたり供え物をしたり、大提灯(ちょうちん)を吊るしたりして飾り付けました。家の主人は、酒肴(しゅこう)をねだって通りすがりの人が上がり込んできても、快くもてなしたとされています。
騒動は、1年足らずで終息
日本各地で民衆が熱狂した「ええじゃないか」も、1868(慶応4)年4月頃にはほとんど収まりました。
終息した理由には、さまざまな説があります。一つは、領主が取り締まりを強化したからという説です。民衆が「ええじゃないか」と歌い踊りながら練り歩き、他人の家に押しかけて食事やお酒を要求するなど、お祭り騒ぎがエスカレートしたためとされています。
また、大政奉還が実現したからという説もあります。倒幕派が「ええじゃないか」にかかわっていたと考える人もいたためでしょう。
終息した確かな理由は分かっていませんが、「ええじゃないか」は歴史に残る出来事となりました。
「ええじゃないか」が広まった理由
終息と同様に気になるのが、「ええじゃないか」が急速に広まった理由です。世の中の動きや、当時の民衆の心情などから探ってみましょう。
民衆の不満が伊勢信仰と結びついた
「ええじゃないか」と深いかかわりがあるとされるのが、伊勢信仰と「お蔭参(かげまい)り」です。
もともと約60年周期で巡ってくる「お蔭年(かげどし)」(伊勢神宮の遷宮があった翌年)には、伊勢神宮に参詣する人がたくさんいました。お蔭年には「空から伊勢神宮の御札が降る」という噂があったためです。お蔭年に伊勢神宮にお参りできるのは「神様のおかげ」として、「お蔭参り」と呼ばれました。
江戸時代には、特に大規模なお蔭参りが4回あったとされています。着の身着のままで、沿道の住民の施しを頼りに伊勢を目指す人も少なくありませんでした。
やがてお蔭参りに「お蔭踊り」という踊りが伴うようになります。「ええじゃないか」は、こうしたお蔭参りの習慣と、不安定な幕末期の民衆不満が結びついて、熱狂的に広まったと考えられています。
世の中がよくなることへの期待
「ええじゃないか」が起こったのは、幕末の混乱期です。幕府と倒幕派との対立、物価の上昇など、民衆の生活は落ち着きませんでした。不満や不安を感じる人は多かったはずです。
しかし、民衆は自分たちの力では、どうにもならないことが分かっていました。そこで「ええじゃないか」という囃(はや)し言葉に、「世の中がよくなってほしい」と願いや期待を込めたとされます。
例えば、淡路(あわじ)の囃し言葉には「今年は世直りええじゃないか」、阿波(あわ)では「日本国の世直りええじゃないか」といったものが見られます。
「ええじゃないか」の背景を見直してみよう
「ええじゃないか」は短期間のうちに民衆に広まり、日本各地で熱狂の渦を巻き起こしました。1年足らずで終息したものの、歴史にしっかり残っています。
しかし、「ええじゃないか」は単なるお祭り騒ぎではありません。背景には民衆の不満や不安、未来への期待が込められていました。「ええじゃないか」が起こった理由や内容を、伊勢信仰とのかかわりなどとあわせて見直して、当時の民衆の生活に思いを馳(は)せてみてはいかがでしょうか。
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構成・文/HugKum編集部