北米大陸と南米大陸の間にある、カリブ海に浮かぶイスパニョーラ島。この島は2つの国で構成されていて、東側はドミニカ共和国で、西側がハイチです。スペインとフランスに植民地とされた歴史があり、1804年に独立しました。そんなハイチが、どんな国なのかさっそく見ていきましょう。
ハイチ基本情報
まずはハイチの首都と面積、人口、通貨などの基本情報をご紹介します。
国名
ハイチ共和国
首都
ポルトープランス
場所
ハイチがあるのは、北米大陸と南米大陸の間にあるカリブ海。2番目に大きなイスパニョーラという島があり、ハイチはこの島の西側に位置しています。また、カリブ海にあるラ・トルチュ島という島もハイチの領土です。
日本との時差
13時間
日本のほうがハイチより13時間進んでいます。
面積
27,750㎢
鹿児島県(約9188㎢)、山形県(約9232㎢)の3倍ほど、北海道(約83424㎢)の3分の1ほどの大きさにあたります。
エリア
ハイチには10の県があり、首都ポルトープランスがあるのは西県です。ハイチでは地方自治権はなく、各行政区は中央政府の執行機関として機能しています。
人口
1158万人
東京都の人口が約1400万人ですから、ハイチの人口は東京都の人口の約8割です。
言語・公用語
フランス語、ハイチ・クレオール語(共に公用語)
通貨
ハイチ・グールド
1 ハイチ・グールド=0.83円(2024年7月14日現在)
宗教
キリスト教(カトリック、プロテスタント等)、ブードゥー教等
歴史
現在のハイチがあるイスパニョーラ島が発見されたのは1492年、コロンブスによるものでした。そして島全体をスペインが支配しました。しかしその後フランス人もイスパニョーラ島の西側を入植してきたことから、島の西側はフランス領となったのです。
アフリカ人が奴隷としてこの島に送られ、砂糖やコーヒーのプランテーションで労働させられたことから、18世紀には世界トップクラスの砂糖生産地になりました。しかし、1795年にフランスとスペイン間で仏西戦争が勃発。その結果、イスパニョーラ島の全島がフランス領となりました。
ただその後も、黒人奴隷などを中心にフランス人に対する反乱が起こりました。一度はフランス軍によって制圧されましたが、最終的には1804年にハイチがフランスから独立することとなったのです。
しかし、独立後もハイチは厳しい歴史をたどっていくことになります。その理由のひとつは、ハイチの独立にともなって生まれた、フランスに対する巨額の賠償金の支払いです。砂糖の貿易で発展する兆しも見えましたが、賠償金の支払いがハイチの経済発展を阻みました。そして1915年には、アメリカがフランスへの賠償金支払いを肩代わりする代わりにハイチを占領。それが1934年まで続きました。
1957年に就任したデュバリエ大統領は、やがて独裁的な政治を行い、ますます国は厳しい状況に追い込まれていきました。1991年には民主的な選挙で初めてアリスティッド大統領が就任しましたが、その直後には軍事クーデターが起きるなど、不安定な状況が続いています。
1994年には多国籍軍がハイチで展開しましたが、2010年にはハイチ大地震が起きるなど自然災害に見舞われました。2024年末には首都ポルトープランスでギャングがおよそ180人を殺害したニュースも報じられ、いまだに経済状況・政情ともに不安定な状態が続いています。
天気・気候
ハイチは赤道近くにあり、熱帯海洋性気候に属します。1年を通して、蒸し暑い気候の日が続きます。季節は、4月から10月頃の雨季と、11月から3月頃の乾季に分かれます。雨季には短時間で激しい雨が降り、とくに6月から11月ころはハリケーンシーズンにあたります。
ハイチの治安・住みやすさ
ハイチの治安はどうでしょうか?
治安はとても悪い
ハイチはとても治安が悪く、外務省「海外安全ホームページ」では全土にわたり「退避してください、渡航はやめてください」のレベル4を発令しています。
ハイチでは長く政情不安が続いていて、武装集団(ギャング)による暴力行為や襲撃が相次いでいます。2021年7月には、大統領の暗殺事件が勃発。さらに2021年8月のハイチ南西部での大地震やハリケーンなどの自然災害、2024年末の首都でのギャングによる虐殺事件などが起きたことで、社会的な混乱が続いています。
国連主導の治安維持部隊がいるものの、銃撃戦が繰り広げられたり、武装集団が政府機関や国際空港を襲撃して飛行機が欠航となったり、主要幹線道路を占拠して物流が滞ったりと、危険な状態が続いています。
外務省では「ハイチへの渡航は、どのような目的であれ止めてください」と強く危険を呼び掛けています。
住みやすさは×
ハイチは世界でも最貧国のひとつといわれています。それは長く続く政情不安に加えて、地震やハリケーンなどの自然災害によって大きな打撃を受けてきたことが関係しています。そのため失業率が高く、医療水準は低く、多くの人々が貧しい生活を送っています。世界的に治安情勢が悪いことも考えると、ハイチは住みやすい国とはいえないでしょう。
ハイチの見どころ・観光
現在、ハイチへの渡航は難しいですが、ハイチの見どころとしてカリブ海を見渡す浜辺のほか、首都ポルトープランス、ラミエール国立歴史公園などが挙げられます。
ポルトープランス
ポルトープランスは、ハイチの首都です。フランス語で「王子の港」を意味します。フランスの植民地時代の面影を残しており、カラフルな建物が連立し、独特の雰囲気があります。
ラミエール国立歴史公園
シタデル(要塞)とサン=スーシ城とがあるラミエール国立歴史公園は、世界遺産としてユネスコに登録されています。シタデルは、ハイチ国王アンリ1世となるアンリ・クリストフが、独立まもないハイチを再び支配下に置こうと、旧宗主国のフランス軍の侵攻にそなえてつくらせた要塞。アンリ1世の居城だったサン=スーシ城とあわせて歴史公園の見どころとなっています。
ハイチの特徴・有名なもの
ハイチで有名な物事をいくつかご紹介しましょう。
地震
これまでもたびたび、地震やハリケーンなどの自然災害に見舞われてきたハイチ。その中でも大きな被害をもたらしたのが、2010年に起きたハイチ地震です。
2010年1月12日にマグニチュード7の大地震が発生。死者は31万人以上にのぼり、倒壊した住宅は10万戸、損壊した住宅は20万戸以上となりました。世界各国が支援を行っていますが、その後もハリケーンや地震が相次ぎ、ハイチの復興や経済発展の道が阻まれてしまっているのです。
砂糖・コーヒー
ハイチは1800年代、砂糖生産において世界でもトップクラスの存在でした。これは植民地時代に、プランテーションで多くの人々が砂糖の生産に携わっていたためです。アフリカから奴隷が多く送りこまれて労働を強制され、ハイチはたくさんの砂糖を多く生産していたのです。
ハイチが独立した後も砂糖の生産は続きましたが、現在はその生産量は減少しています。同様に、ハイチではコーヒーの生産が盛んに行われてきた歴史があります。
カーニバル
ハイチといえばカーニバルも有名です。3月5日の「マルディ・グラ」というキリスト教の祝日を祝って、カーニバルの衣装をつけた人々で数週間ものあいだ賑わいます。
ペンキを全身に塗ったり仮面を付けたりといった風俗は、フランス、アフリカの文化が混ざりあったカリブ独特のクレオール文化であり、100年以上続いてきた伝統としてこの国の象徴ともなっています。
世界でも貧しく治安が不安な国ハイチ
ハイチは美しいカリブ海に浮かぶ島国です。カリブ海と聞くときれいなリゾート地を想像するかもしれませんが、残念ながらハイチは治安が悪く、私たちが安全に訪れることができる場所ではありません。植民地化されてきたうえ、その後もクーデターなどの反乱が続いています。その厳しい歴史を知ることで、理由が見えてくるでしょう。
また地震やハリケーンなど自然災害によって大きな被害を受けているという点では、地震大国・日本でも内情がよく理解できるのではないでしょうか。そんなハイチの存在に、親子で目を向けるきっかけにしてみてください。
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文・構成/HugKum編集部