“古民家好き”がマッチして出会った夫婦が「限界集落」に見出した理想の子育て環境~石川県・加賀東谷【私たち地方移住して子育てしてます!】

近藤裕佑(ゆうすけ)さん(43歳)は千葉県習志野市在住で、市川市の中学校教諭でしたが、その仕事を辞めて、2023年4月、妻のなぎ沙さん(32歳)、長男・一武樹(いぶき)くん(3歳)とともに石川県加賀市にある「加賀東谷」地区の4集落の一つ、わずか10世帯の限界集落「今立町」へ移住しました。今年2月には次男・湊杜(みなと)くんが生まれ、現在は親子4人で暮らしています。この地で新たな命が生まれたのは、じつに35年ぶりのことで、地元の新聞やテレビで報道され話題になりました。今回は、そんな近藤一家の移住するまでの道のりと現在の生活、さらに今後の抱負について伺いました。写真は、来年のオープンを目指す農家民宿「古民家ゆうなぎ」前での近藤一家。

”人の暮らしの原点”を感じながら子育てをしたかった

おもちゃも自然のものをというこだわりが。学童保育に勤務経験があり、おもちゃコンサルタントと木育インストラクターの資格を持つ妻・なぎ沙さんのセレクトした木のおもちゃコレクション

大学生のころからボランティアで4年間子どものキャンプをサポートする仕事をしていた関係で、就活のとき、アウトドア関連の仕事に就くか、教育者になるかで迷いました。昔から歴史や文化に興味があり、大学では社会科教諭の免許も取得していましたが、アウトドアの方面への就職を決意して、新卒で長野で自然体験の指導者としての仕事に就き、15年間勤務していました。ただ、教師になるという夢もずっと頭の片隅にあったので、アウトドアの仕事に一区切りついたところで転職して、千葉県で中学校の社会科教師になりました。結婚はその直後にしまして、移住するまでの4年間は教師をしていました。

充実した子供たちとの毎日を送っていた中学校教師を辞めてこの地に家族で移住したのは、「子どもが3歳になるまでに、旅という形ではなく日常的に自然に触れさせて、自然や文化のある環境で育てたかったから」です。いわゆる‶人の暮らしの原点”のようなものを感じながら育ってほしかったのです。

 環境変化の大きいこの先の時代を生き抜いていくためには、子どもに過去の人々の暮らしというものをしっかり体験してもらい、人間としての生き方のベースを身につけさせておくことが大事だと考えていました。普遍的な環境への適応力を身につけてほしかったのです。それで、自然の豊かな場所へ移住しようと決意しました。長男が1歳の時に移住計画を考え始め、当初の目標通り3歳になる前に、ここ加賀東谷にたどり着きました。

夫婦で決めた3つの移住先の条件

加賀東谷地区は、藩政期より製炭業で栄えた。明治前期から昭和30年代までに建てられた、赤瓦の屋根に煙出しを設けた農家が、周辺の田畑や豊かな自然環境とともに残り、山林に包まれた静かで美しい山村の風景を保っている。文化財的価値が認められ、2011(平成23)年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された。「ほっと石川旅ねっと」 より。

移住をする場所を探すうえで、妻と決めたのは3つの条件。

 ①家の周囲に渓流魚の棲むきれいな川があって、ある程度の標高がある山があり、シュノーケリングができるくらい美しい海がある。冬には雪が降り、雪を使ったある程度の遊びができる。

②近くに自分たちで農作業ができる土地があり、地域のコミュニティがある。

③家からさほど遠くない距離に、病院、学校がある、生活インフラが整っている。

これらを満たすことを条件にして、移住地を探しました。日常的に自然に触れながら、寒さ暑さを感じつつ、畑で食べ物ができるということがわかる、人の暮らしの営みの原点を感じられる場所であり、最低限のインフラが整っている場所というのを探したかったのです。

夫婦で古民家好き。見つけた理想の地は石川県加賀市の‶限界集落〟だった

僕も彼女も実家が千葉県でしたので、当初は実家から近い千葉県内から移住する場所を探したのです。けれども、千葉は雪があまり降らない場所。近県の群馬や長野も探したのですが、その2県には海がありません。試行錯誤の末、最終的に候補になったのは石川県加賀市の「加賀東谷」地区にある集落、今立町。山中温泉の奥に位置する、住民が10世帯14人といういわゆる「限界集落」でした。山と海の距離が程よく近くて、家の周りには川が流れていて、雪も適度に降る、僕らにとって自然環境がベストな土地だったのです。「お試し移住」を経て移住を決意しました。

病院へは車で20分程度、学校、スーパーやコンビニへも車で15分前後で行けます。アマゾンや楽天などのインターネット通販なども使えるので、「限界集落」と言えど、僕ら夫婦の感覚では、インフラの整った便利な場所だと思っています。

 

ここは明治時代までは炭焼きで栄えていた地域でした。比較的豊かに暮らしていた住民が多かったので、梁が太くて造りが立派な古民家の空き屋がたくさんあります。そのクオリティは国の「重要伝統的建築物群保存地区」に認定されるほどでした。

移住当初は賃貸住宅に住もうと考えていたのですが、実際に移住しようとしたときに、ちょうど良い空き家物件が出たので、住まいを購入しました。現在は、そこをリノベーションして暮らしています。

 じつは、僕と妻はマッチングアプリで知り合ったのですが、そのマッチした条件が‶古民家好き〟という部分だったんです(笑)。だから、2人にとっては願ってもない物件でした。

 地元の企業で仕事が決まり補助金を活用して移住を着々と準備

 移住するには教師を辞めなければならないため、生活費をどうやって確保するかが課題でした。

 ところが「お試し移住」をした際に、移住コーディネーターの方に紹介されたTさんがとても魅力的な方で、意気投合しまして、その方が運営している撚糸工場で働かせてもらえることが決まったのです。これは大きな移住決意の後押しになりました。

 Tさんは地域おこしをしたいという想いを抱いて多彩な事業を展開している方で、キャンプ場「イトノモリ」も営んでいました。もともと自然体験の指導員だった経験を活かし、工場で働くかたわら「イトノモリ」でアルバイトもさせてもらうことになったのです。

キャンプ | イトノモリ Camping Field | 加賀市 (itonomori.net)

 住む場所も仕事もあっという間に決まり、移住の準備は着々と進みました。

 僕らが移住を決行した当時は、加賀市の行政方針も移住にかなり積極的に取り組んでいましたので、移住補助金として90万円が支給されました。それを活用して、引っ越し費用や購入した古民家のリフォーム代の一部に当てることができました。

 また、購入した古民家に住むために、トイレとふろを新しくして、さらに浄化槽を入れたのですが、浄化槽の設置には、市からさらに補助金44万円を支給してもらえました。

後半の記事では、次男が生まれてからの暮らしぶりを紹介しています

【地方移住子育て】石川県加賀市の限界集落で、35年ぶりの赤ちゃん誕生となり話題に!千葉から移住したファミリーは、充実した子育て支援に助けられ農家民宿経営を目指す
前半の記事はこちら 35年ぶりの赤ちゃんの到来が話題に。子育て支援の充実ぶりに助けられています 移住してから生まれた次男...

加賀市移住促進サイト/加賀市 (city.kaga.ishikawa.jp)

取材・構成/山津京子

編集部おすすめ

関連記事