世界にはちゃんと「不戦条約」がある? 戦争違法化に向けての流れと、条約締結後の世界の動き【親子で学ぶ現代社会】

国際ニュースを見ていると、時折「不戦条約」という言葉を見聞きするはずです。その字面から「戦争に関わる条約なのかな?」とイメージできても、条約の内容まで詳細に説明できる人は少ないでしょう。不戦条約とは何なのかを解説します。

不戦条約とは

世界史や国際ニュースに興味がある人でなければ、「不戦条約なんて言葉、今まで聞いたこともない」という人もいるかもしれません。不戦条約とはどのような条約なのか、日本とはどのような関係があるのかなどを解説します。

戦争を違法とする条約

不戦条約とは、国と国との間で起こった紛争を解決するために、戦争を行わないと取り決めた国際条約のことです。国際的なもめ事が起こった際には、戦争という暴力に訴えるのではなく、平和的な手段によって解決することを締約国に義務付けました。

1928年8月にフランス・パリで調印されたことから「パリ不戦条約」と呼ぶ場合もあります。また、条約を成立させた中心人物フランク・ケロッグ(当時のアメリカの国務長官)とアリスティード・ブリアン(当時のフランスの外務大臣)の名前を取って、「ケロッグ・ブリアン協定」とも呼ばれます。

不戦条約は当初、アメリカ・イギリス・フランスなど15カ国が加盟しました。現在では63カ国が加盟する条約となっています。

不戦条約の問題点

不戦条約はさまざまな問題点を抱えているといわれています。その一つが不戦条約が定める「戦争の定義」の曖昧さです。

不戦条約内では「戦争」を否定しているものの、「何をもって戦争とするのか」が明記されていません。そのため「この戦いは戦争ではない」と紛争当事国が主張すれば、不戦条約違反とはならない可能性があるのです。

また、「自衛」と「侵略」の定義がはっきりしていないのも問題だといわれています。不戦条約では「自衛による攻撃」は容認されています。ただし「何が侵略で何が自衛なのか」が明記されていないので、「この戦争は自衛のための戦いだ」と主張されれば、不戦条約は手も足も出ないのです。

上記のような問題点をはらむ不戦条約は、結果として第2次世界大戦を防ぐことはできませんでした。

不戦条約と日本の関係

不戦条約は、1929年に「戰爭抛棄ニ關スル條約」として日本でも批准されました。

批准に関して物議を醸したのが、不戦条約の第1条に書かれている「人民の名において」という文言でした。「天皇主権を明記した明治憲法に反するのではないか」と指摘され、帝国議会で議論されたのです。当時の内閣は「この一文は日本には適用されない」と宣言し、条約を批准しました。

不戦条約を批准したにもかかわらず、日本は条約を順守することなく、批准から2年後の1931年に「満州事変」を起こします。当時の政府は、宣戦布告をせずに始まった満州事変について「戦争ではなくあくまでも『事変(異常な出来事)』である」と主張していました。

出典:昭和3年(1928)8月|不戦条約が調印される:日本のあゆみ
第2部 満洲事変と2.26事件 | デジタル版展示『知識人の自己形成(二) ─ 丸山眞男・加藤周一と戦争』 | 図書館について | 立命館大学図書館

不戦条約が発効された当時の世界と日本


不戦条約の基本を理解した後は、不戦条約が結ばれた当時の世界情勢を見ていきましょう。当時の世界と日本は、異なるベクトルで世界を見ていたといえます。不戦条約が発効された時代の世界と日本の姿を解説します。

第1次世界大戦の終結により平和を求める声が高まる

不戦条約が成立した時代の世界には、ドイツを中心とした同盟国とイギリス・フランス・アメリカなどが参加した連合国との間で起こった「第1次世界大戦」(1914~1918年)の影響が色濃く残っていました。

第1次世界大戦に参加した国々は、自国の総力を結集して戦いに挑んだとされています。国と国とが全力でぶつかり合った結果、第1次世界大戦は世界に大きな爪痕を残したのです。

世界規模の戦いと甚大な被害を目の当たりにした人々は、「戦争のない世界」を望みました。人々の願いが一つの形となったのが、不戦条約といえるでしょう。

出典:不戦条約はなぜ戦争を止められなかったのか|All About
第一次世界大戦|国史大辞典・世界大百科事典|ジャパンナレッジ

日本では戦後の不況により軍国主義が強まる

不戦条約が締結される前の日本は、第1次世界大戦に乗じて輸出を大きく伸ばし、好景気に沸いていました。また、欧米諸国が第1次世界大戦に参戦している隙に、中国進出の足場を築いていたのもこの頃です。

しかし第1次世界大戦が終結すると、日本経済は下降線をたどります。終戦により他国が復興し始めたことで、日本による「一人勝ち状態」が維持できなくなったためです。

経済が停滞する中で力を持つようになったのが軍人たちです。「不況を打破して欧米にも負けない国力を身に付けるには、中国大陸に進出するべきだ」とし、軍国主義的な考え方が強まっていきました。この流れを止められないまま、日本は第2次世界大戦へと突き進んでいくことになります。

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不戦条約成立までの戦争違法化の流れ


戦争を違法とする流れは、不戦条約の成立により突然始まったわけではありません。さまざまな戦争違法化の動きを受け、その集大成として成立したのが不戦条約です。不戦条約が成立する前に起こっていた戦争違法化に向けた動きを解説します。

戦争にもルールが必要と説いた「戦争と平和の法」

戦争違法化の流れを作ったのは、「国際法の父」と呼ばれるオランダの法学者フーゴー・グロティウスによって書かれた書物「戦争と平和の法」とされています。

ドイツを中心に起こっていた三十年戦争により、「戦争の悲惨さ」を痛感したグロティウスは、戦争を「正当な戦争」と「不当な戦争」とに分ける立場を取っていました。その上で、「正当な戦争」については国家間の争いを解決するための一つの手段として認めつつも、戦争を行うにも一定のルールが必要だと説いたのです。

「戦争と平和の法」は、国際法の発展に大きく貢献した書物として知られ、日本では坂本龍馬や勝海舟にも影響を与えたといわれています。

債務回収のための武力行使を禁止「ポーター条約」

ポーター条約とは、1907年に第2回ハーグ平和会議で署名された多国間条約です。日本では1912年に「契約上ノ債務回収ノ為ニスル兵力使用ノ制限ニ関スル条約」として公布されました。

ポーター条約では、債務の回収を目的に戦争を行うことを制限しました。条約が署名された背景には、イギリスやドイツなどが行っていた債務不履行を理由とした海上封鎖を、「間違った行為」として位置づける目的があったといわれています。

ポーター条約は、国家間の紛争を解決するため、武力に訴えることを制限した初めての条約です。対象を特殊な状況で行われる戦争に限定しているものの、その後の「戦争違法化」の流れを形成した最初の条約といわれています。

世界初の国際平和維持機関「国際連盟」

国際連盟とは、国際社会の平和を維持する目的で1920年に設立された国際機関です。第1次世界大戦後に高まった「国際平和維持機関を求める声」を受けて設立されました。

国際連盟の目的は世界の平和維持です。国際連盟の基本文書である「国際連盟憲章」では、国家間で紛争が起こった際には、戦争以外の平和的な手段で解決すべきと規定しました。加えてルールに違反した国に対しては、他の加盟国によって制裁措置を加えることも明記しています。

国際連盟には、第1次世界大戦の戦勝国と中立国を中心に、42カ国が加盟しました。しかしアメリカが不参加となったことで、国際連盟の平和維持機関としての影響力は、限定的なものであったといわれています。

国際連盟は、第2次世界大戦の開戦を受けて機能を果たさなくなります。1946年に活動を取りやめ、その役割は「国際連合」へと引き継がれました。

出典:武力行使禁止原則 | 時事用語事典 | 情報・知識&オピニオン imidas – イミダス
契約上ノ債務回収ノ為ニスル兵力使用ノ制限ニ関スル条約|日本法令索引
国際連盟|世界大百科事典・日本大百科全書・日本国語大辞典|ジャパンナレッジ

不戦条約締結以後の戦争違法化の動き


第2次世界大戦を経験した世界では、次々に戦争違法化をはじめとする平和主義的な理想を掲げる国際法や憲法が生まれています。不戦条約の締結後に見られた、戦争違法化に関する特徴的な動きを解説します。

武力行使の禁止を明文化「国連憲章」

国連憲章(国際連合憲章)とは、国際連盟に代わって世界の平和維持機関として発足した「国際連合」の目的や精神などを規定する国際法です。1945年6月に連合国50カ国によって調印され、1945年10月に発効されました。

前文と19章111条からなる条文では、国際連合に加盟する国々に認められた権利と果たすべき義務、国際連合の主要機関や手続きについてまとめています。戦争違法化に関しては、武力の行使や武力の行使をちらつかせた威嚇行為を禁止しています。

しかし国連憲章の中でも、個別的または集団的な自衛権については禁じられていません。武力行使の禁止を規定する国連憲章であっても、自衛を目的として掲げる紛争は止められないのです。

戦争の放棄を定めた「日本国憲法」

1946年11月3日に公布され、翌年5月3日に施行された「日本国憲法」では、9条において「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」を規定しています。

日本国憲法9条1項における「戦争の放棄」に関する記述は、不戦条約の条文から強い影響を受けているといわれています。また前文において、下記のような記述をもって高い理想を掲げているのも日本国憲法の特徴です。

「(前略)政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」
出典:日本国憲法|衆議院

しかし現在では、70年以上手が加えられていないことなどを理由に「憲法を改正しよう」との案が持ち上がっています。9条については、「自衛権を規定した上で自衛隊を保持すること」を明記すべきとしています。

常備軍の廃止を明記した「コスタリカ平和憲法」

「コスタリカ平和憲法」とは、中米にあるコスタリカで1949年に制定された平和憲法です。約2,000人が命を落とした内戦をきっかけに制定された憲法で、日本国憲法と同じく「軍隊を持たないこと」を規定しています。

コスタリカ平和憲法では、常設機関としての軍隊は否定するものの、自衛のための戦争は容認しています。国を守る目的で軍隊を再編することも可能です。この点が日本国憲法との大きな違いといえるでしょう。

また、コスタリカ平和憲法では軍隊の再編成を行うとき、国民を「予備役」として集めることも可能としています。実際に1955年には、旧体制派が隣国ニカラグアの支援を受けて侵入してきたとき、予備役が集められたことがあります。

出典:国連憲章テキスト | 国連広報センター
「平和主義」コスタリカに本当に軍隊はないのか?(THE PAGE) – Yahoo!ニュース
コスタリカ平和憲法(こすたりかへいわけんぽう)とは? 意味や使い方 – コトバンク

不戦条約があっても戦争は後を絶たない

不戦条約は戦争違法化の動きを象徴する大切な条約です。現在でもその効力を有しています。しかし、不戦条約が国際ルールとして「国家政策の手段としての戦争を放棄する」と規定し、「戦争は違法である」と掲げても、何かと理由を付けて戦争が行われているのは紛れもない事実です。

紛争解決の手段として戦争に訴えた国に対しては、国際社会全体としてその行動を非難し、経済制裁を加えるのが精いっぱいといわざるを得ません。

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構成・文/HugKum編集部

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