「失われた30年」とは
日本の経済の今を語る上で無視できない言葉の1つとして、「失われた30年」が挙げられます。「失われた30年」とは何を指すのか、言葉の意味を解説します。日本の今を知る手がかりを手に入れましょう。
バブル崩壊をきっかけに始まった経済の停滞
「失われた30年」とは、バブル経済の終わりとともに始まった不景気を指す言葉です。バブル経済とは、実態よりも経済が過熱した状態のことです。経済がバブルに突入すると、株・土地・建物などの値段が爆発的に上昇します。日本では1980年代後半から1990年代初頭までの時期がバブルに当たります。
日本におけるバブル経済は、金利の引き上げや土地取引に関する規制の実施により、1991年に崩壊したとされています。それまで上昇を続けていた株価や地価は、バブル崩壊とともに一気に下落したのです。
参考:バブル景気(ばぶるけいき) | 証券用語集 | 東海東京証券株式会社
「失われた30年」の歴史
1990年代の日本は、円高の進行により、輸出で収益を上げていた企業が打撃を受けました。証券会社や銀行が次々と経営破綻したのもこの頃です。
2000年代の日本は、金融緩和(社会に出回るお金の量を増やすことで景気を刺激する政策)や財政出動(景気を上向かせるために行う政策)を実施するも、効果が出ずにいました。そうした状況下で「アメリカ同時多発テロ」「リーマンショック(リーマン・ブラザーズの経営破綻によって引き起こされた金融危機)」「東日本大震災」などの出来事が相次いだことにより、日本経済は大きな打撃を受けました。
2010年代に入った頃には、いわゆる「アベノミクス(第2次安倍政権で実施された経済政策)」によって株価の上昇が起きたものの、景気はそれほど回復しませんでした。2020年には新型コロナウイルスの世界的な大流行により、日本経済は大きなダメージを受けました。
参考:日経平均株価の振り返り…過去70年の歴史をチャート付きで解説|わらしべ瓦版(かわらばん)
▼「バブル経済」についてはこちら

「失われた30年」が生まれた背景

なぜ日本は「失われた30年」に突入してしまったのでしょうか。「失われた30年」が生まれた背景を解説します。日本経済がピンチに陥った理由を知りましょう。
不良債権の処理が進まなかったから
「失われた30年」を引き起こしたきっかけの1つといわれているのが、不良債権の処理が思うように進まなかったことです。不良債権とは、金融機関が行った融資のうち、企業の倒産や赤字によって回収ができなくなった債権(お金や品物を返してもらうように請求できる権利)を指します。
バブルの崩壊により、企業が返済困難に陥り、債権は次々と不良債権となりました。しかし、金融機関は「いずれ株価や地価は持ち直すだろう」と考え、問題を先送りにしたのです。
大量の不良債権を抱えた金融機関では、経営破綻や合併・統合が相次ぎ、長期にわたって融資に消極的にならざるを得ませんでした。資金調達が難しくなった社会では、企業の活動が鈍くなるため、経済の停滞が起こります。
生産年齢人口が減少しはじめたから
生産年齢人口の減少も「失われた30年」を生んだ要因の1つといわれています。生産年齢人口とは、商品やサービスを作り出す活動を中心的に行う人の数のことです。15~64歳の人の数を指します。日本の生産年齢人口は、1995年を頂点にして以降、減少が続いています。
生産年齢人口の減少は、経済成長の足を引っ張る要素の1つです。働く人1人あたりの生産性が同じであれば、生産年齢人口の減少は、そのまま国全体の生産力低下につながります。
また、生産年齢人口の減少が続くことに対する不安が広がっていることも、経済を冷え込ませる要因の1つです。今後も生産年齢人口が減り、需要が縮小していく社会では、企業の投資意欲は高まりにくいでしょう。
デジタル革命の波に乗り遅れたから
世界で起こったデジタル革命に乗り遅れてしまったことも、「失われた30年」を引き起こした要因の1つといわれています。
1980年代までの日本は、電化製品や音響機器などの分野で高い評価を受けていました。1986年には、日系のメーカーが半導体の分野で世界シェア1位を獲得しています。日本は「世界の工場」といわれていた時期もあったのです。
しかし、日本の快進撃は1990年代に終わりを迎えます。日本経済がバブル崩壊で下降線をたどっている間に、アメリカ企業がデジタルの分野で大きく台頭するに至ったのです。デジタル分野でのアメリカ企業の影響力を象徴しているのが「GAFA(Google・Amazon・Meta(旧Facebook)・Apple)」の存在といえます。
デジタル化の波に乗り遅れた結果、日本経済を支えてきた製造業が大きな打撃を受けることになりました。
参考:1986年日本半導体シェアは米国を抜き世界の第一供給者となった|日本半導体歴史館
賃金の下落が続いているから
「失われた30年」が生まれてしまった背景には、日本で働く人が受け取る賃金の下落も隠れています。主要な国々で賃金が上昇している中、日本の名目賃金(税金や社会保険料を差し引く前の賃金)は1990年代後半以降、減少傾向が続いています。
賃金が上昇しなければ、家庭における消費支出が上昇することもありません。家計が支出する消費の額は、名目国内総生産(GDP:国の経済力を測る際に用いられる経済指標)の約50%を占めるため、消費が落ち込むとGDPも減少するとされています。
賃金が下落すると、消費を控える人が増え、社会全体の需要が減少します。商品やサービスを求める人が少なくなれば、必然的にモノやサービスの値段が下がるため、デフレ(物価が下がり続ける現象)に拍車がかかってしまうのです。
参考:令和5年版 労働経済の分析 -持続的な賃上げに向けて-|厚生労働省
「失われた30年」が日本社会に与えた影響

「失われた30年」の存在は、日本社会に暗い影を落としています。「失われた30年」が日本社会にもたらした影響を解説します。
就職氷河期と少子化
「失われた30年」が与えた影響としてまず挙げられるのが少子化です。日本の「失われた30年」がなければ、30年の間により多くの子どもが生まれていた可能性があるとも指摘されています。
日本が「失われた30年」を過ごす間に少子化が深刻化した理由として挙げられるのが、就職氷河期世代(バブル崩壊後の就職難に直面した世代のこと)を作り出してしまったことです。就職氷河期世代には、貧困に陥っている人が少なからずいるため、「結婚して子どもを設ける」という選択肢を選べずにいます。
経済不安による女性の社会進出の増加も、「失われた30年」の間に少子化が進んだ理由の1つといわれています。バブル崩壊による経済不安で働くことを選択した女性が増加したことで、未婚化・晩婚化が進み、少子化をもたらしたといわれているのです。
格差の拡大
格差の拡大も「失われた30年」が生み出した負の遺産の1つです。バブルの崩壊に伴い、多数の就職氷河期世代を生んでしまったことで、正規雇用で働けずに貧困に陥る人が増加し、結果的に格差が広がったといわれています。
正規雇用からキャリアをスタートできなかった就職氷河期世代は、なかなか正規雇用に恵まれないため、貧困状態から抜け出すことが困難な状況が続いているのです。
日本における相対的貧困率の変化は下記の通りです。
・1985年:12.0%
・2018年:15.4%(新基準なら15.7%)
現代の日本では、約6人に1人が貧困状態にあるといえるでしょう。
国際競争力の低下
「失われた30年」は、日本の国際競争力の低下をも引き起こしているといわれています。国際競争力とは、国際的な取引における産業や企業の競争力を指します。
「IMD(国際経営開発研究所)」が発表している「世界競争力年鑑」に見る、日本の国際競争力の推移(一部抜粋)は以下の通りです。
・1989年~1992年:1位
・1997年:17位
・2019年:30位
・2024年:38位
日本の国際競争力が低迷する要因の1つが、ビジネスの効率の悪さです。古くから日本に根付いている非効率なビジネス習慣が、競争力向上の足を引っ張っているといわれています。
参考:IMD「世界競争力年鑑2024」からみる日本の競争力| エコノミックインサイト | MRI 三菱総合研究所
日本は「失われた30年」を脱却できるのか
日本が「失われた30年」から抜け出せるかどうかは、今もなお不透明です。「失われた30年」から脱却し、経済成長を遂げられるとする見方もあれば、このままでは「失われた40年」に突入しかねないと心配する意見もあります。一般市民は、今後の日本経済の動向を注視する必要があるでしょう。
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構成・文/HugKum編集部