ローマ字に複数の表記があるのはなぜ?
ローマ字の代表的な表記は「ヘボン式」と「訓令式」です。2種類の表記が同時に使われているのは、ヘボン式・訓令式の成り立ちが関係しています。ローマ字とは何か、なぜ2種類の表記があるのか説明します。
ローマ字は日本語のアルファベット表記
ローマ字表記は英語ではなく、アルファベットを使って日本語を表す方法です。もともとは古代ローマの人が使用していた文字なので「ローマ字(ラテン文字)」と呼びます。
日本語をローマ字で表記する方法を最初に導入したのは、16世紀後半に来日したポルトガルの宣教師たちだといわれています。そのときは、日本語を学ぶために一部の人が使っていただけでした。
ローマ字表記にすれば、アルファベットを使う国の人たちにも日本語の発音が理解しやすくなります。現在は外国人旅行者などに向けて、駅名や地名の標識にローマ字表記が併記されるようになりました。

ヘボン式が使われるようになった理由
鎖国などによってローマ字の使用はいったん下火になりますが、幕末の開国で欧米との交流が活発になると再び注目を浴びます。
アメリカの宣教師であり医師でもあった、ジェームス・カーティス・ヘボンは幕末に来日し、医療や教育に力を入れた人物です。
日本語の習得にも熱心で、1867(慶応3)年には、日本初といわれる本格的な和英辞典『和英語林集成』を完成させました。この辞書は質の高さから明治期を通して出版され、ローマ字を広める役割を果たします。
ヘボン式ローマ字は、『和英語林集成』の第3版が元になっており、「ヘボン」は辞書の編集者からとられた名前です。

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訓令式が使われるようになった理由
「ヘボン式ローマ字」は日本に広まりましたが、英語の発音がベースになっているため日本人にとってルールが分かりにくいという問題がありました。
たとえば、子音を「t」で表記する「た行」で、「ち」「つ」が「ti」「tu」ではなく「chi」「tsu」と表記されたり、「は行」では「ふ」だけが「hu」ではなく「fu」と表記されるなどの変則性が、日本人には馴染みにくかったのです。
そこで1885(明治18)年、物理学者の田中館愛橘(たなかだてあいきつ)が五十音の各行の子音をそろえた「日本式ローマ字」を提唱します(次章画像参照)。
これを基にしてできたのが「訓令式ローマ字」です。「日本式」から一部「ぢ」「づ」などの表記を変えて整理しました。「訓令式」という呼称は、1937(昭和12)年に内閣訓令で定められたためで、これをもって日本の正式なローマ字表記と定められました。
しかし、外国人に通じやすいヘボン式は、パスポートの名前や国際的な学術論文において現在も推奨され、地名・駅名ではローマ字表記の基準として使われています。

戦後の1954(昭和29)年に内閣訓令として出された「ローマ字のつづり方」では、表1に訓令式、表2にヘボン式をあげ、「一般に国語を書き表す場合は、第1表に掲げたつづり方によるものとする」「国際的関係その他従来の慣例をにわかに改めがたい事情にある場合に限り、第2表に掲げたつづり方によってもさしつかえない」として、実際にはふたつの記載法を認めています。
ヘボン式と訓令式の違いとは?
ヘボン式と訓令式にはさまざまな違いがあります。その違いは、発音やつづりのルールが英語寄りか、それとも日本語寄りかという点から来ています。それぞれの特徴と、メリット・デメリットを見ていきましょう。

ヘボン式の特徴とメリット・デメリット
ヘボン式ローマ字は、発音やつづりのルールが英語寄りなので、英語を知っている人には使いやすい表記になっています。
たとえば、タ行の「タチツテト」は「ta、chi、tsu、te、to」のように途中から子音の表記が変化します。これは「チ」「ツ」の音が英語の「chi」「tsu」に似ているからです。
またヘボン式では、長音や促音(っ)、撥音(ん)の表記も英語式です。「大野」の場合、パスポートなどの実務では「Ono」とされ、長音が区別されませんが、出版物などでは「Ōno」とマクロン付きで表記されることもあります。撥音(ん)は通常「n」で表しますが、「b・m・p」の前では「m」と表記します。
日本語とルールが違うので、初めて学ぶ日本人は戸惑いやすいでしょう。英語圏ではない外国人にも読みやすいとは限りません。
訓令式の特徴とメリット・デメリット
訓令式ローマ字は、日本語の発音体系やつづりに従って体系化されているため、日本人には覚えやすいのが特徴です。たとえばタ行も「ta、ti、tu、te、to」となり、母音と子音に統一感があります。
長音は、母音を重ねて表すか、場合によっては記号(マクロン)を付けて区別します。「ン」もすべて「n」で表すなど、ルールが日本的です。
訓令式は、国際標準化機構によって国際基準(ISO 3602)に定められていますが、日本語を知らない人にとっては発音しにくいかもしれません。
結局どちらを使えばよいの?

ヘボン式と訓令式のどちらを使えばよいのか迷う人もいるでしょう。使い分けの基準はどこにあるのか見ていきます。また、約70年ぶりに変わろうとしているローマ字表記の国内基準についてもチェックします。
国内外どちらに向けた情報かで使い分ける
ヘボン式と訓令式の両方とも、使いやすさに一長一短があります。大切なのは、発信する情報が誰にあてたものかという点です。英語は世界的に広く使用されている言語の一つなので、外国人旅行客や国外向けの情報ならヘボン式が適しています。
逆に、国内の公的書類などでは、現時点では訓令式が正式な書き方のため、それに従う方が適切です。ただし、パスポートや地名などではヘボン式を使用するという例外もあります。
また、今後、国の基準が改定された場合にはそれに従う必要があります。どちらを使うにしても表記を統一し、情報を伝えたい相手に合った表記を選ぶ必要があるでしょう。
国はローマ字表記の基準をヘボン式に変える方針
日本の正式なローマ字表記は、現在の訓令式からヘボン式に変化しようとしています。2021年から、文化庁の文化審議会国語分科会では、小学校教育におけるローマ字表記の見直しが審議されてきました。
2025年6月の文化審議会国語分科会では、ヘボン式のほうが現状に合っているとの審議まとめ(案)が公表されました。
ただし、完全にヘボン式に移行するわけではありません。ヘボン式を基本にしつつも、長音の区別や「ン」の表記などは訓令式に従い、より使いやすい表記を目指す方針です。
出典:ローマ字のつづり方に関する今期の審議のまとめ(案)PDF11~19|文化庁
まとめ:国際的なローマ字表記はヘボン式
日本では長い間、ヘボン式と訓令式の2種類のローマ字が同時に使われてきました。国が正式な基準として採用しているのは訓令式で、小学校の国語の時間に習うのも訓令式です(2025年9月現在)。
一方で、国際的な場や外国人向けの情報を発信する場所では、ヘボン式を使用するのが一般的です。パスポートの氏名や地名・駅名をはじめ、実際の生活で目にするローマ字はヘボン式の方が多いかもしれません。
このような状況から、日本の正式なローマ字表記の基準がヘボン式に変更されようとしています。小学校で学ぶローマ字についても、今後ヘボン式に移行する可能性が検討されています。
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構成・文/HugKum編集部