目次
フランスで目にした「生きる喜び」が凝縮されたワインのある風景

──早稲田大学を中退してアメリカでワイン醸造を学ばれていますが、実はその前の高校時代にもアメリカへ単身で留学されていたそうですね。
斎藤まゆさん(以下、斎藤さん):外の文化にふれるのがすごく好きで、外に出たい気持ちが強かったんです。制服とか集団行動とか、みんなと同じ感じが苦手だったのもあって。日本の大学の付属高校がアメリカで運営されていると聞いて、行ってみたいと思いました。
──ご家族はなんと言っていたのですか。
斎藤さん:わが家は、とくに母が「自分で自分の道は見つけていけ」という教育方針だったんです。そのかわり、見つけたものは全力で応援してくれる。やりたいと言えば習いごとは全部やらせてくれて、練習も強制しない。よくいえば自主性に任せてくれていたわけですが、今思うと、少しは練習を促してもらったほうが上達したものもあったかもしれません(笑)。
ただ、ありがたかったのは、辞めたいと言えばいつでも辞めさせてくれたこと。友だちにつられて塾に通い、1日で辞めたこともあります。
──その後、帰国して早稲田大学に進学。在学中にワイン醸造に出合うわけですが、きっかけは何だったのでしょう?
斎藤さん:大学生のとき、フランスへブドウの収穫体験に行ったことです。ワインのある風景に、生きる喜びみたいなものが凝縮されている気がしました。乾杯で友情や恋が深まったり、一緒に飲んで人生のドラマが始まったり。ワイナリーで働く人たちが本当にかっこよくて、こんな大人になりたいという憧れも大きかったです。
──最終的に早稲田大学を中退し、カリフォルニア州立大学のワイン醸造学科を卒業されています。かなり思い切った決断だったのでは?
斎藤さん:中退すると宣言したのは大学2年のときなんですけど、実際に辞めたのは4年生になってから。その間にアルバイトでお金を貯め、ダブルスクールで調理師免許も取りました。海外で醸造家になれなくても、日本食レストランで働かせてもらえるかもしれないと思って。ちゃんと布石を打つタイプなんです(笑)。
チャンスは自分でつかむ。失敗しても、踏み出せたこと自体が素晴らしい

──やみくもに走り出すのではなく、夢をかなえるための道筋を具体的に描くのですね。醸造家になってからも、世界最優秀ソムリエのジェラール・バッセ氏にワインを絶賛されたり、国際線ファーストクラスに採用されたり、ここぞという場面でチャンスをつかんできましたよね。
斎藤さん:待っているだけでなく、チャンスだと思ったら自分から動くことは意識しました。世界最優秀ソムリエのバッセ氏が来日された際、食事をご一緒できる機会をいただいて。これは逃せないと、英語とフランス語のあいさつを猛練習してのぞみました。私たちのワインをお出ししたら「おいしい」と絶賛してくださって。記念写真をお願いしたら「僕は高いよ」なんて冗談を言うので、「私たちのワインも高いんですよ」って言い返したんです(笑)。その後、SNSで世界に向けて私たちのワインを紹介してくださり、抱えていた在庫が一晩で飛ぶように売れました。
国際線ファーストクラスへの採用も、何年も落選が続き、やっと決まったと思ったら、今度はコロナ禍でフライトが減ってしまって。オンライン販売をすることになり、航空会社の方からは控えめな本数を提案されたんですけど、私、勝手にその何倍もボトリングしたんです(笑)。発売日の夜に知人へ営業メールを送ったら、即完売。担当者さんも驚いて追加オーダーをくださり、用意した分はすべて売り切れました。
──すごい行動力ですよね。怖くはないんですか。
斎藤さん:いえ、いつもすごく迷っていますよ。ただ、完全に正しい答えなんて、この世の中に一つもないですよね。失敗しても、それは一歩を踏み出せたから失敗したのであって、踏み出せたこと自体が素晴らしいと思うようにしています。
「好きでたまらない人は、辞めない」育てることのおもしろさ

──今、仕事で楽しいのはどんなときですか。
斎藤さん:後継者の育成です。人を育てるのは大変ですが、40代半ばになって、若い世代が育っていくのが何よりうれしいです。完璧な大人になってから子育てを始める人がいないのと同じで、自分が大成してから後継者を育てるのでは遅いと思って、30代後半からは意識して若い人に仕事を任せてきました。
基本的には、気づくまで言わずに待つスタイルです。ワインを好きな気持ちを失ってほしくないから。好きでたまらない人って、辞めなくなるんですよ。私もそうなんですけど(笑)。自分で気づいて好きなことを見つけなさいという、母の教育の影響もある気がします。若手の育成は、子育てにも似ていると思いますね。
今年3月には、山梨県のリゾートホテル・リゾナーレ八ヶ岳のレストラン「OTTO SETTE」と一緒にメーカーズディナーイベントを実施し、約9年間育ててきた醸造家の川上黎(れい)に醸造責任者を任せることを発表しました。
実はリゾナーレ八ヶ岳は、子どもが小さいころから毎年通っているんです。子連れにすごく優しくて、私たち親子にとっては、1年頑張ったご褒美のような特別な場所。そんな個人的にも思い入れのあるリゾートで、地元の生産者やその想いを大切に伝えようというパッションを持った方たちと、ワイナリーの大事な節目となるイベントを作り上げられたことが、本当にうれしかったですね。

──これからは醸造総指揮という立場になるそうですが、今後醸造家としてやってみたいことはありますか。
斎藤さん:ワインそのものだけでなく、音楽や言葉など、さまざまな入り口からワインに親しむきっかけをつくれたらと思っています。ワインって、なじみのない人にはまだまだ知られていないし、飲まれていないと思うので。最近は、ワインをテーマにした曲をつくって配信したり、本を書いたりもしています。
生後2か月からの保育園──醸造家のスタートと同時に始まった、シングルマザーの道

──息子さんは今、中学生。シングルマザーとして育てながら、ずっとお仕事を続けてこられたんですよね。どうやって仕事と育児を両立してきたんですか。
斎藤さん:両立などできていません(笑)。お惣菜も買いますし、洗濯も数日分まとめてするなど、手を抜きながら家事をしています。そもそも、醸造家として走り出したのと、シングルマザーとしての子育てのスタートが同時だったんです。保育園は生後2か月から。長いときで朝7時半から夜7時まで預けていました。朝ごはんをちゃんと食べてくれず不安に思っていたとき、保育園の先生をしているママ友が「うちもそうだよ」と言ってくれて、すごくほっとしたのを覚えています。
実は最近まで、うまくやっている自分を見せたくて、こういうしんどさは隠してきたんです。でも、もう正直に言うようにしています。本当はもっと人に甘えたいのに甘えきれない。そういう葛藤は、今もありますね。
──本当に大変な子育てだったと思うのですが、お子さんと接するうえで、これだけは大切にしてきたことはありますか。
斎藤さん:だっこをせがまれたときは、何をしていてもいったんストップして、気が済むまでだっこする。これだけは決めていました。だから家の中は本当にぐちゃぐちゃ(笑)。出張のとき子どもの面倒を見に来てくれた両親には、「こんなに汚い家で子育てできるの!?」ってよく怒られましたね。
あとは、子どもがやりたいことは全力で応援すること。小さいころはショベルカーなど重機が好きだったので、本やミニカーを集めたり、近所の農家の方に見せてもらいに行ったりして、私自身も興味を持つように努力しました。自分の母と違うのは、つい一歩踏み込んでしまうこと。スイミングを辞めたいと言われたときは、「あの帽子の色になるまで頑張ってみようか」と励ましてしまいました。結局、別のスポーツがやりたくて辞めてしまったんですけど。
結局、迷わずに進める道なんてないじゃないですか。それでも、迷いながら進んでいくしかない。人生には、いいことも悪いことも、自分ではどうしようもないこともある。そんな葛藤を抱えた人がつくるワインは、明るい道だけをまっすぐ歩んできた人のものより、もっと多くの人に届くんじゃないか。そんなふうに思うんです。
写真提供:斎藤まゆ、リゾナーレ八ヶ岳(メーカーズディナーの写真)
こちらの記事もおすすめ
お話を聞いたのは
1974年生まれ。早稲田大学在学中に日本でのワイン造りを目指し、同大学を中退。カリフォルニア州立大学でワイン醸造学科卒業後、成績優秀により同校ワイナリーの醸造アシスタントに抜擢。現地学生の指導にあたる。その後はドメーヌ・ジャン・コレ、ドメーヌ・ティエリ・リシュー(いずれも仏ブルゴーニュ)などで研鑽を積み、平成25年よりKisvinワイナリー醸造責任者。近年では『ワインの真実』(ジョナサン・ノシター著)「訳者あとがきにかえて」執筆など。
この記事を書いたのは
通信会社に約6年間勤務した後、ライターに転身。旅行、IT、インタビューなどを中心に執筆。一児の母で、子どもとのおでかけや子連れ旅行の経験も記事づくりに生かしています。出身地・山梨県の「やまなし大使」。現在は川崎市在住。
