ファッションを通じて子どもの五感を育てたい。ファッションデザイナー・ 飛田正浩さん【子どもの暮らしを紡ぐ人を訪ねて】

町田「しぜんの国保育園smallvillage」の齋藤美和園長が会いに行ったのは…

東京・町田にある「小さな村」をテーマにした、町田の認可保育園「しぜんの国保育園smallvillage」。この村には子どもとの生活を中心に、さまざまなアーティストや、職人たちが集まります。映像作家、音楽家、ファッションデザイナー、イラストレーター、写真家、ガーデナー、家具職人……。そんな、しぜんの国を取り囲む大人たちのストーリーを、園長の齋藤美和が聞いて描く連載です。

今回は、ファッションブランド・spoken words project主宰の飛田正浩さんのお話をうかがいました。spoken words projectは、手作業を活かした染めやプリントを施した服作りが人気で、現在、アーティストのライブ衣装や舞台美術、テキスタイルデザインも手掛けると共に、宮崎県の県立図書館「mallmall(まるまる)」にあるFashion Lab.の監修など、ファッションの領域を越えての活動に注目が集まっています。

また、今年度から町田しぜんの国保育園と、渋谷東しぜんの国こども園で、園児たちと共にファッションのワークショップを行い、シルクスクリーンを使った自分だけの洋服づくりを継続的なプロジェクトとして展開しているところです。

 

子どもも保育者も楽しい「自分だけの洋服作り」。ファッションは年齢の垣根を越える!

–もともと、私はspoken words project(以下spoken)が好きだったので、今回ワークショップが渋谷でやることが決まり、その後町田でもやりますか?というご提案をいただいたので、単純にとってもうれしかったです。

ありがとうございます。渋谷のインテリアや、家具を担当しているimaの小林さんと旧知の仲で、その縁でしぜんの国を知って。すごくおもしろい場があるから、見に行ったほうがいいということでレセプションにお邪魔した時に、紘良さん(社会福祉法人 東香会理事長)と出会って。で、紘良さんと話していると、3分に1回くらい、えっ!っておもしろい話が出てくるので、これはご一緒したいと思いました。

—子どもたちの中でも、布で洋服を作ったり、おままごとをしたりするのがとても盛り上がっていた時だったので、どんなことができるかなとまだ未知の世界でしたが、楽しくなりそうな予感はしていました。それで、まずは大人が楽しんでみようと、最初は保育士全員で、シルクスクリーンのワークショップを受けさせてもらいました。みんな、自分が着るものをすごい楽しく作って、お互い褒めあったり、教えあったりして。年度が始まったばかりの時だったんですが、あの時間とても貴重だったなと思います。一緒に何かをみんなで作るって、大人にとっても緩やかな一体感が生まれるんだなと思いました。普段、物作りをしない職員も、「かわいいのができた!」とうれしそうで、ファッションって年齢の垣根を軽々越えるな…とこっそり思っていました。

 すごく盛り上がりましたよね。子どもが途中、ドア越しに覗きに来ても、『ちょっと待って!今ちょっといいの作っているから!』と保育者も真剣に楽しんでいて(笑)その感じもいいなと思いました。子どもたちのワークショップの初回も、すぐに手が動いて、自分のを作った後に、自分のためだけに作るのではなくて、家族や他者のために作るという姿が多いなと思ったのが印象的でしたね。あと「爆笑の服を作りたい!」という風に言っている男の子がいて、その独創的な表現がいいなあと思いました。

 

少年時代「西城秀樹になりたい!」を叶えてくれた洋裁上手な母

—飛田さんが、ファッションに興味も持ったのはどんなきっかけだったんですか?

出身が埼玉で、そこで野球少年だったんです。中学生の時は、ピッチャーで4番。でも、ファッションは好きで、坊主頭で原宿にも通っていました。ファッション雑誌も好きでね。メンズのものも、レディースのものも両方読んでいました。そのきっかけは、今考えると母が文化服装学院を卒業していて、よく洋服を作ってくれていたんですね

—わあ、身近で見られていたんですね。

そうなんです。で、僕が西城秀樹になりたいと言ったら、衣装もカツラもサングラスも準備してくれる、そんな母だったんです。

—ええ!

とても自由な人で。それで学校に行ったりしていたんですよ。カッコつけて。なので、小学校の卒業文集で、すでに将来の夢は、ファッションデザイナーになりたいと書いていたんです。

—そんな早くから、考えていらっしゃったんですね。それにしも、そのお母様の受け入れる姿勢と、手作りの技術と行動力、すごいですね。でも、そのファッションと野球という組み合わせが、とても珍しいなと思って。

そうなんですよね。高校野球で有名な学校からスカウトも来るくらいでしたから、野球が強いところに行こうと思っていました。

—それが、ファッションとどうつながっていくんですか?

実は、高校3年生の時に交通事故にあってしまって、肘が使えなくなってしまったんです。

—そうだったんですか……。

でもね、心の中で、ちょっとうれしかったんですよ

—うれしい?

そう。野球をしていると、家族一丸となって支えていて、絶対に勝てないなと思う相手に出会うんです。それで、自分はそれを越えられない、無理だなと内心思っていても、周りで盛り上がっている大人には言えなくて。それで事故にあった時、ホッとしたんです。これで、野球を辞められる、ファッションの道に行ける、って。親はとてもショックを受けていましたね。それで、急遽受験勉強に取り組むわけなんですけど、その時点で受験勉強が間に合わなくて、第一希望も第二希望も落ちて、第3希望の学校に進むことになったんです。

—それで、ふてくされたりはしなかったんですか?

しなかったですね。その学校が、住んでいるところから電車で往復2時間くらいかかる所だったんですが、定期もあるし、東京にも近くなったので(笑)。原宿に足を伸ばしたり、それはそれで楽しんでいました。

ーまたファッションに近づいたんですね。それで、その後の進路はどんな風に考えて行ったんですか?

頭の固い父親で、デザイン科のある進路を目指したと話した時に、駄目だと言われたんです。でも、東京芸大ならいいと言われて(笑)。もちろん盾はついたんですけどね(笑)。それで母の助言もあって、まずは芸大を目指して、美術の予備校に通ったんですけど、最終4浪までしても受からなくて。それで、ふと思い出して、今まで芸大を目指して来たけど、ファッションがやりたかったんだと思って、テキスタイル科のある多摩美術大学に進学をしました。

—飛田さんがファッションの道に行くまでの道のり、さまざまな心模様があったんですね。

めちゃくちゃ遠回りしていますよね。でも、この時期、本当に楽しかったですよ。美大での生活が始まり、バンドやったり、イベントやったりして。その時に、自分のプロジェクトの名前をspoken words projectに決めました。名前があった方がかっこいいかな、と思って。それで、周りにモデルや、写真家、染色家などいろんなジャンルのアーティストと出会って、コツコツ作って来た洋服を発表しようという流れで、ギャラリーでファッションショーを始めました。それが、今の活動の原点ですね。

次のページは▶▶子ども達の発想や感覚は、すでに「ファッション」の本質を知っている

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