目次
散切り頭とは
社会科の授業などで出てくる「散切り頭(ざんぎりあたま)」という言葉。これには、どんな意味があるのでしょうか?
どんな髪型?
「散切り」を辞書で調べると、以下のような意味が書かれています。
髪を切り乱して結ばずにそのままにしておくこと。また、その髪形。散らし髪。
出典:デジタル大辞泉(小学館)
つまり、散切り頭は髪の毛を切り、結ばないで、そのままにした髪のことをいいます。
明治時代の散切り頭
また散切り頭の説明には、以下の意味も掲載されています。
ちょんまげを切り落として、刈り込んだ髪型。明治初期に流行し、文明開化の象徴とされた。散切り頭。斬髪(ざんぱつ) 。
出典:デジタル大辞泉(小学館)
江戸時代、男性は「ちょんまげ」を結った髪型をしていました。ちょんまげとは、おでこから頭頂部にかけた範囲の髪を剃り、それ以外の髪の毛を長くのばして、後ろで束ねて前へ曲げて結ったスタイルです。武士も町人も、ちょんまげを結っていましたが、結び方にはいくつかのパターンがありました。
しかし、明治維新で武士の時代が終わり、ちょんまげが時代遅れになってきたときに、ちょんまげを切り落として、西洋風に短く切った男性の髪型が「散切り頭」と呼ばれるようになったのです。
散切り頭は、文明開化のシンボル
散切り頭は、ちょんまげのヘアスタイルが一般的だった時代から、ちょんまげを結わなくなった時代に変わる過渡期に生まれました。いわゆる「文明開化」の時代です。
文明開化とは
文明開化とは、明治時代初期に西洋文化が入り込み、日本の習慣が大きく変化したことをいいます。江戸時代、幕府は海外への渡航や諸外国との貿易を大きく制限し、鎖国していました。海外との交流は厳しく制限されていたのです。
しかし明治時代になり、諸外国との交流を始めると、日本には、アメリカやヨーロッパなどの西洋文化が入ってきました。服装が和装から洋装になり、食事にはパンや牛乳などの西洋料理が取り入れられ、ハヤシライスやオムライスなどの洋食メニューも生まれていきました。
そんな文明開化の象徴のひとつが、髪型の変化です。男性のヘアスタイルが、ちょんまげから現代にもつながる髪型に変わったのも、この文明開化の時代でした。
散髪脱刀令とは
幕末から明治時代初期にかけて、ちょんまげを結わずに、散切り頭にする風潮が広がっていきました。そして、これをさらに加速させたのが、明治政府による「散髪脱刀令(さんぱつだっとうれい)」です。
これは1871年(明治4年)に明治政府が出したもので、ちょんまげを切り、武士も刀を差さなくても良いという内容でした。それまでは、ちょんまげを結い、刀を差すことが身分を表していましたが、ちょんまげを切って自由な髪型にし、刀を持つ必要もないと政府が明言したのです。
散髪脱刀令が出された背景には、西洋人から見ると、ちょんまげが野蛮な風習と見えたことがあったようです。日本が諸外国との交流を活発化させ、近代国家を目指すためには、ちょんまげの廃止が必要だったようです。しかし、ちょんまげをなくすことに抵抗があった人も、少なくなかったといわれています。
散切り頭にしていたのは、どんな人たち?
明治時代初期、散切り頭にした有名人といえば、明治天皇です。
1871年の「散髪脱刀令」から2年後の1873年(明治6年)に明治天皇が断髪し、庶民の間でも、ちょんまげ離れが進んでいったといわれています。それ以外にも、ちょんまげから散切り頭に変えた人には、福沢諭吉(ふくざわゆきち)、伊藤博文、大隈重信(おおくましげのぶ)などがいます。
女性の髪型は、どうだったの?
男性がちょんまげを切り、散切り頭に変わっていった時代、女性の髪型はどうだったのでしょうか。
女性は長くのばした黒髪を、男性のちょんまげと同じように、頭の高い位置で束ねた「日本髪」のスタイルでした。髪の毛には、鬢付け(びんづけ)油をぬり、一度結った日本髪は、何週間もそのままで持たせていました。
しかし、明治時代になって西洋文化が入ってくると、女性の間でも西洋風のヘアスタイルをする風潮が生まれはじめ、日本髪より簡単に結べるアレンジが少しずつ誕生していきました。
散切り頭に至るまでのプロセス
当時の男性たちにとっては、ちょんまげが当たり前だったことから、ちょんまげを切り、散切り頭に変えることは、大きな勇気が必要だったのかもしれません。
ちょんまげから散切り頭に変わるまでには、いくつかのプロセスを経ています。
半髪頭
半髪頭(はんぱつあたま)とは、いわゆる、ちょんまげのこと。前頭部から頭頂部の髪を剃り上げた部分を「月代(さかやき)」と呼びますが、この月代がある髪の結い方を指します。
総髪頭
総髪頭(そうはつあたま)は、月代を剃らずに、前髪は後ろ側になでつけるようにして、後ろ髪と一緒に結ぶヘアスタイルです。戦国時代の武士たちは月代を剃っており、この習慣が江戸時代でも庶民の間に定着していましたが、若者や医者、学者などの間では総髪頭の人が多かったようです。
散切り頭
月代も剃らず、長くのばして結っていた後ろ髪を短く切りそろえたのが、散切り頭です。明治政府から「散髪脱刀令」が出されても、なかなか庶民たちには広まらず、ちょんまげ廃止の法令を出した自治体もありました。
ちょんまげを切ることに、強い抵抗感があった当時の人々は、半髪頭から総髪頭、やがて散切り頭……というように、段階を踏んでヘアスタイルを変えていったようです。
「散切り頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」
散切り頭という言葉を使ったフレーズに「 散切り頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」というものがあります。これはどのような歌で、どんな意味があったのでしょうか?
どんな歌?
これは、明治時代初期に流行(はや)った歌の一節です。歌の全文は次のとおりです。
「半髪頭をたたいてみれば、因循姑息(いんじゅんこそく)な音がする。総髪頭をたたいてみれば、王政復古の音がする。散切り頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」
意味は、半髪頭の人は古いしきたりに固執していて、総髪頭の人は半髪頭の人よりはましだけれど、旧体制の復活を望むような古い考えがある。しかし、散切り頭の人は近代文化を取り入れて流行にのっている、というもの。
散切り頭は時代の最先端をいく髪型で、前向きに受け止めようという意味が込められていたようです。
初出はいつ?
この歌は、1871年の『新聞雑誌』に掲載されたもので、人々の間で流行しました。現代では「散切り頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」という最後のフレーズしか知られていませんが、本当は、ちょんまげスタイルについても触れている、長いフレーズの歌だったのです。
時代背景をもっと深く知るための参考図書
小学館版 少年少女学習まんが 日本の歴史17「明治維新」
新しく近代国家として生まれ変わろうとしていた明治日本。急激な近代化はどのように行われ、人々の生活がどのように変わったか、明治の文明開化の様子をまんがでリアルに感じとることができます。
河出書房新社 明治まるごと歴史図鑑1
「文明開化で日本はこんなに変わった!」文明開化で変わりゆく社会風俗・文化を、たっぷりのイラストをまじえて紹介する歴史図鑑。大人がパラパラめくっても楽しめる内容です。
小学館「明治時代館」
2000点を超える色鮮やかな写真・イラスト・図表で、明治の社会変革の様子を概観できる一冊。本記事でとりあげた新しい社会風俗はもちろん、政治体制や経済改革など、テーマ別にわかりやすく解説しています。
散切り頭は時代の転換点
侍はちょんまげを結い、刀を差している……。そんな日本の伝統的なスタイルから、服装も髪型もライフスタイルも変えることは、当時の人々にとって一大事だったはず。
そのなかで「散切り頭」にすることは、人々の意識とムードを変える、ひとつの転換点となったのではないでしょうか。
構成・文/HugKum編集部