文明開化で日本はどう変わった? 伝統的な日本文化から急速に近代化へ【親子で歴史を学ぶ】

文明開化の象徴である「擬洋風建築」で知られる、旧開智学校(長野県松本市)

 

明治時代前半、「文明開化」によって、日本人の生活スタイルは西洋文化を取り入れたものへと大きく変化しました。当時の人々はどのように向き合い、受け入れていったのでしょうか。文明開化で起こった変化や人々の反応について解説します。

文明開化とは?

文明開化は、明治時代前半に、日本が近代化する過程で起こった社会現象を表す言葉です。言葉の由来や、当時の人々がどのようなニュアンスで使っていたのかを詳しく見ていきましょう。

西洋の文化が広まったこと

「明治維新」によって、諸外国との交流を始めた日本には、当時の最先端技術や流行の風俗が続々と入ってくるようになります。特に、アメリカやヨーロッパから入ってくる西洋文化は、国を強くし、日本人の生活を豊かにしてくれるものでした。

西洋文化を広めることが近代化への近道と考えた明治政府は、洋風の建物を造ったり、メディアを使ったりして、国民に向けて宣伝します。

こうして日本中が西洋文化に興味を示し、積極的に取り入れていこうとする文明開化が始まりました。

福沢諭吉が使った言葉

文明開化という言葉は、福沢諭吉(ゆきち)の著書「西洋事情」に初登場します。

中国の古い書物に出てくる「文明」と「開化」を合成した造語で、英語の「civilization(文明)」の訳語として使われました。

「文明」は徳や教養がある様子を、「開化」は進歩を意味する言葉です。西洋の文化を学んで進歩を目指す「日本の近代化」を象徴する最適な言葉といえるでしょう。

お札の顔ともなっている福沢諭吉は、文明開化を思想的にもけん引した

明治維新との違い

文明開化と明治維新は同じ時期に起こっているため、混同している人も少なくありません。明治維新は「政治的な改革」、文明開化は「生活の変化」と考えると分かりやすいでしょう。

明治維新の主な出来事には、廃藩置県(はいはんちけん)による中央集権国家への変貌や、徴兵令・地租改正といった富国強兵策などがあります。

一方の文明開化は、服装や食生活、時間や曜日の概念などが変化した様子を表しています。

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文明開化による変化  街並み編

文明開化で何がどのように変わったのかを、具体的に見ていきましょう。まずは建物や道路などの、街並みの変化を紹介します。

鹿鳴館が代表的「洋風建築」

幕末には、主要な港町に西洋人の居留地が設けられ、洋風建築の住宅や店舗が立ち並ぶようになりました。エキゾチックな街並みは、日本人の興味を惹(ひ)き、真似(まね)する人も増えていきます。

エキゾチックな街並みを見せる「北野異人館街」(兵庫県神戸市)

 

また、明治政府は近代化を進めるために、洋式工場の建設にも力を入れました。

この時期に完成したのが、2014年にユネスコの世界文化遺産に登録された、日本初の工場「富岡製糸場(とみおかせいしじょう)」です。

外国から建築士を呼んで日本人に技術を学ばせたこともあり、学校や役所などの公共施設、銀行や企業なども洋風建築を取り入れるようになります。

なかでも、外国の要人をもてなすための社交場「鹿鳴館(ろくめいかん)」は、文明開化がもたらした洋風建築の代表的な存在として知られています。

三菱一号館美術館。同館は、丸の内最初の洋風貸事務所建築として、1894年(明治27)に竣工していたものを復元(東京都千代田区)

夜間に灯りが「ガス・電灯」

文明開化は、都会の夜の風景も大きく変えました。

道路の両脇にはガス灯が設置され、家庭にはランプが普及します。おかげで夜道は明るくなり、遅い時間まで活動できるようになったのです。

夕方になると、ガス灯に火を灯(とも)す「点灯夫(てんとうふ)」の仕事も、当時大変な人気だったとされています。

間もなく発電・送電の技術が進歩したため、ガス灯は電灯に代わり、夜はさらに明るくなりました。

庶民にも大人気「人力車」

人力車(じんりきしゃ)は、西洋の馬車を参考に考案された、日本独自の乗り物です。馬車よりも小回りが利き、料金も安かったため、庶民の足として大ヒットします。

人力車を発案したのは、元筑前(ちくぜん)福岡藩士の「和泉要助(いずみようすけ)」です。彼は仕事を通じて知り合った八百屋と、腕のよい車大工を誘って試作品を造り、東京府に人力車の製造と営業の許可を取り付けます。

人力車は、明治時代の中頃には、全国で21万台以上も走っていたとされ、昭和初期に市電やタクシーが普及するまで活躍しました。

人々の生活を支える交通手段を発明した功績から、和泉要助は「人力車の父」と呼ばれています。

蔵造りの店先に、人力車

文明開化による変化  服装・髪型編

文明開化では、人々のファッションもガラリと変わりました。ただし、建築や道路と違い、人の個性は容易に変えられません。

洋風のスタイルを定着させるために、明治政府も努力したようです。服装や髪型の変遷について見ていきましょう。

皇室や軍から移行「洋装」

日本人が洋服を着るようになったのは、皇室や軍隊が始まりです。同じ頃、政府高官の正装が洋服と決まり、警察官・駅員・郵便局員などの制服にも採用されていきます。

鹿鳴館の時代に、華族や政府高官が外交の場に夫人を同伴するようになると、女性の間にも洋服が広まります。教師や看護師として働く女性の制服にも、洋服が取り入れられました。

ただし、当時の洋服は大変高価で、普段着として定着するまでには時間がかかります。その間に、着物にコートを合わせたり、袴(はかま)にブーツを履いたりする和洋折衷(せっちゅう)のスタイルが流行していきます。

ちょんまげから変化「散切頭」

「散切頭(ざんぎりあたま)」とは、「ちょんまげ」を切って短く整えた髪型のことです。

明治政府は1871年(明治4)に「断髪令(だんぱつれい)」を出して、国民に、ちょんまげをやめるように促します。明治天皇や政府高官も次々に断髪し、散切頭をはやらせました。

政府がそこまでして国民の髪型を変えさせたかったのは、ちょんまげが西洋人の目に野蛮(やばん)な風習として映っていたためです。日本が近代国家を目指していることをアピールするためにも、ちょんまげの廃止は重要な政策でした。

とはいえ、慣れ親しんだ髪型を急に変えるのは、今でも大変勇気がいるものです。当時も抵抗する人が多く、「脳を守るため」といった理由を付けて、ちょんまげ廃止の法令を出した自治体もあったほどです。

当時は旧弊の象徴とされた「ちょんまげ」
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文明開化による変化  食べ物編

日本の洋食文化は、外国人居留地や、兵士の体力強化のために洋食を取り入れた軍隊から広まります。日本人の好みに合うように改良された料理も、たくさん登場しました。

文明開化当時の食べ物事情を見ていきましょう。

牛鍋など「牛肉」

牛鍋(ぎゅうなべ)は、ぶつ切りにした牛肉とネギを味噌(みそ)で煮込んだ鍋料理です。「すき焼き」とも呼ばれていたようですが、現在の「すき焼き」とは作り方がかなり異なります。

牛鍋は、早くから外国人居留地では食されており、肉食を取り入れていた横浜で誕生しました。

日本人には牛肉を食べる習慣はありませんでしたが、明治天皇が滋養のために食べたことが伝わり、人気が出たとされています。しかし、牛肉は高級食材で、一般庶民の口には、なかなか入らなかったようです。昔も今も「すき焼き」がごちそうであることに変わりはないといえます。

一般にも普及した「牛乳」

牛肉と異なり、牛乳は一般にも広く普及しました。幕末の1863年に、オランダ人から搾乳(さくにゅう)技術を学んだ「前田留吉(とめきち)」という人物が、横浜で外国人を相手に牛乳の製造販売を始めます。

明治時代に入ると富国強兵策の一環として、牛乳の摂取が奨励されました。

政府が北海道を開拓する際に、酪農を導入したことも後押しとなり、日本人にも急速に普及していったのです。

酪農を導入した開拓村の牧場(北海道)

今では定番「洋食メニュー」

ハヤシライスやオムライスなど、今ではおなじみの「洋食メニュー」の多くも、文明開化の時期に生まれたものです。

肉料理を受け入れた日本人も、主食はご飯にこだわっていて、パンやパスタはあまり食べたがりませんでした。そこで、西洋の料理をご飯に合うようにアレンジした、日本オリジナルの洋食メニューが開発されたのです。

カツレツやコロッケなどのおかずも、日本独自の進化を遂げ、ご飯と一緒に食べられています。

文明開化についてもっと知りたい方に

当時の人々の視線で文明開化をとらえ直し、身近なものとして感じてみるのも面白いのではないでしょうか。以下におすすめの参考図書をご紹介します。

日本史探偵コナン 11 「明治時代 機械仕掛けの記念碑」


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小学館版少年少女日本の歴史 「明治時代」


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小学館版学習まんが人物館 「渋沢栄一」

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文明開化が叫ばれていた期間は、長い歴史から見ると、ほんの一瞬でしかありません。しかし、近代化を目指して進む当時の日本人にとっては、とても濃い時代だったと想像できるでしょう。

構成・文/HugKum編集部

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