人気モデル・小泉里子が本音をさらけ出す!妊活、高齢出産…不安や悩みを乗り越えて

PR

女性ファッション誌『Oggi』(オッジ・小学館)、『CLASSY.』(クラッシィ・光文社)、『Domani』(ドマーニ・小学館)と、数々の女性誌でレギュラーやカバーを担い、常にモデルとして第一線で活躍し続けてきたモデルの小泉里子さん。40歳という節目の年を迎え、今までとこれからの思いを本音で綴った本が発売され、話題になっています。

トップモデル・小泉里子がすべてをさらけ出す

モデル活動を始めて25年。数々の雑誌の表紙を飾り、”働くかっこいい女性”の象徴である里子さん。プライベートでは、離婚と再婚、妊活を経て、昨年2月に第一子となる男の子を出産しました。2月に発売された著書では、これまでの里子さんの半生や仕事論、家族への思いなどが赤裸々に語られています。

本の前半では、​​撮影の裏側からお金事情まで、人気ファッションモデルの知られざる秘密が明らかに。後半は自身のプライベートに関するお話をリアルに書き綴っています。

今回は著書の中から結婚生活や妊活についての話を一部抜粋してご紹介します。トップモデルの彼女も、同世代女性と同じように悩んだり苦しんだりしながら、力強く人生を歩む姿は共感せずにはいられません。

キャリアと出産リミット

人気モデルとして、順調にキャリアを築いていた25歳のとき、5年間お付き合いしていた方と結婚した里子さん。環境も心境もあまり変化することなく、夫婦ともに仕事中心の生活が10年ほど続いていました。

 とにかく、仕事に夢中でした。キャリアもそれなりに積んで、モデルとして自分の殻を破り、新しい自分に出会えることも多く、仕事が面白くて楽しくて。そんな毎日ですから、夫婦としてこれから先のプランなど考えもしなかった。

そんな怒涛の日々を送るうち、気がつけば年を重ね、35歳になったときに初めて、とてつもない不安に襲われたんです。

周りの友達は妊娠・出産して、着実に「家庭」をつくり上げているのに…。結婚前と変わらない生活に急に焦りと不安を感じるように。キャリア優先で子供を持つのはまだいいかと思っているうちに、気が付けば高齢出産と言われる年齢に差し掛かっていたのです。

 不安の理由はただひとつ。私は強く、子供が欲しいと思ったのです。

私自身、大家族で育ったこともあって、子供は大好きです。「いつか私も」と、当然のように母になると思っていました。ただ、子供ができにくい体だということはわかっていたので、欲しいと思ってもすぐにできるわけじゃないという認識はありました。なのに、妊活のタイミングを逃してしまって焦りました。

今まで仕事に夢中で「家庭」について話してこなかった夫婦。時間を取り戻すかのように話し合いを始めました。

でも、時すでに遅し、でした。付き合っていた恋人時代のまま、自由気ままに生活してきた私たちは、一度ズレた歯車を合わせることはもうできなくなっていました。

離婚を経て気づけた「頼ること」の大切さ

35歳のときに離婚を経験。若いころから仕事をしているためか、自身のことを経済的にも精神的にも自立している「強い女性」だという里子さん。弱音を吐けない、頼れない、しっかり者で仕切り屋な部分は、一見かっこよく見えますが、これこそが自分の欠点だということに気がつきます。

そして離婚から1年が経ったとき、今の夫になる方との出会いが…。

 彼と出会ったとき「理想の人だ」と感じました。「こんな人と出会えたらいいな」と思っていたら、本当に出会ってしまって、こっちが面喰ったほど。穏やかで、静かな強さがあって、人を心から大切にする人です。何より、彼もお墓参りをよくする人でした。自分のルーツを大切にして、感謝できる人。お墓参りは、私たちの共通の趣味みたいな部分もありました(笑)。お互い5人きょうだい、共に大家族で育ったこともあって、育ってきた環境、物事の捉え方など共感できるところが多くて、ご縁を感じることが多くて。
運命の出会いのような二人でも、同棲を始めた途端に衝突することが増えていったそう。
私に足りないのはやっぱり「頼る」ということ。なんでもかんでも、自分がやらなくちゃ、と思うことをやめなければ、同じことの繰り返しです。本当は頼りたいのにそれが言えない。いや、本当は頼りたいという気持ちに気づいていなかったのか、見て見ぬふりをして、蓋をしていたのか。
強がってしまって本音が言えない、人に頼れない…同じような思いを抱えている女性は多いのではないでしょうか。
「私は、あなたに頼りたい」
簡単なようで、とても勇気のいる言葉ですが素直に相手に伝えることは、これからの長い人生を共にするパートナーとの関係で欠かせないのことなんだと里子さんの話からも実感できます。
もちろん、結婚までの3年間は楽しいことばかりではなく、短い時間でいくつもの試練がありましたが、今となっては、いろいろなことを一緒に乗り越えてきたことが大きな支えと絆になっています。
安田美沙子さん「体外受精への挑戦を思い出すと今でも涙が…」アラフォーとして、メンテナンスの極意も
不妊治療を乗り越えられたのは 結婚して妊活を始めたけれど、なかなか子どもを授かることができなかったという安田美沙子さん。 現在は5歳...

再婚そして長い妊活を経て、妊娠。コロナ禍での出産

39歳の春、妊娠が判明。長い妊活生活を経ていたため、不安の方が大きくて喜ぶタイミングを逃し、安定期になってやっとホッとできたそう。ただでさえ不安なことの多い妊娠期間をコロナ禍で過ごすというのは、どれだけ妊婦さんにとって負担だったことでしょう。
妊活は2年半にわたりました。なかなか妊娠できずに悩んでいたので、環境を変えるため、2年間の東京での同棲を終え、ふたりで一緒に実家に引っ越すことにしました。実家に越してからわずか半年で授かったのですが、コロナ禍ということもあり、妊娠と同時に仕事はしばらくお休みすることにしました。
 15歳からモデルをはじめ、ずっと休みなく走り続けてきた里子さんにとって、人生初の長いお休み期間。出産前は実家近くに引っ越して、貴重な夫婦ふたりの時間を過ごしていたそうです。
そして2021年の2月、無事に男の子を出産!
 離婚のずっと前から望んで望んで、望んでいたわが子。一時は諦めなきゃダメかなと思ったときもあったけど、こうして私たち夫婦のところにきて来てくれました。初めての出産はコロナ禍ということも重なり、不安もあったけど、陣痛が始まってしまえば、もうなんでもよく、とにかく無事に生まれてきてと願うばかり。
 分娩室に入り、日付も変わり、朝の7時ごろ、私は初めて息子の顔を見ることができました。全身で力一杯泣くわが子は、愛おしく愛おしく、たまらなく愛おしく。この人生で味わったことのないほどの、胸の痛みと共に涙がこぼれました。息子が誕生したその日、それは私たち夫婦にとって初めての結婚記念日でもありました。
息子さんの誕生は、ご夫婦にとって何よりもうれしい結婚記念日のプレゼントですね。
現在、里子さん家族はご主人の仕事の関係でアラブ首長国連邦のドバイで生活中。驚きだらけの移住生活の話も著書に書かれています。

小泉里子さんからのメッセージ

実は、この本に掲載する写真を撮ったのは2019年末。コロナ禍に陥る前でした。
その後、妊娠がわかり、出産し、海外移住を決めました。
目まぐるしい人生の変化とともに、この本の内容もガラリと変えることに。
出産前には『あとがき』まで書き上げていたんですから(笑)。
そうしてここに、「今」の私も、「これまで」の私も、「これから」の私も、
ありのままを全部さらけ出しました。
「素」の私、小泉里子を楽しんでください。
これまでの人生で経験したうれしかったこと、悲しかったこと、悔しかったこと…すべてさらけ出して本音で語られる言葉からはすべての女性にたくさん気づきを与えてくれます。ぜひ手に取ってみてくださいね!
著/小泉里子|1540円(税込)

モデル小泉里子が人気ファッション誌の表紙を飾り続けられた理由、秘密を明かします。「個性がなくてもいいじゃない」という考えをベースに、「与えられた場所で結果を出し、長く細く必要とされる人」を自負する彼女の仕事論・生き方論は、個性偏重の現代に生きるすべての人にヒントを与えます。

不妊治療で娘2人を授かりました。3人目が欲しくて夫を説得するも前に踏み出せません【愛子先生の子育てお悩み相談室】
不妊治療で2人の娘を授かりました。3人目が欲しいのですが。。。 3人目を作ろうか悩んでいます。上の子たち2人は不妊治療で授かり...

【プロフィール】

小泉里子

1981年、鹿児島県生まれ。神奈川県横浜市で育ち、15歳でモデルデビュー。『CanCam』専属モデルを経て、2004年~2007年に『Oggi』表紙モデル、2010年~2017年に『CLASSY.』表紙モデル、2017年末から『Domani』表紙モデルを務めた。プライベートでは、2020年に再婚し、翌年の2021年に長男を出産。その3か月後にドバイへ移住し、現地での生活をスタートしている。

撮影/YUJI TAKEUCHI(BALLPARK) 文・構成/HugKum編集部

編集部おすすめ

関連記事