天平文化は、何時代に栄えた?
「天平(てんぴょう)文化」の天平とは、何のことなのでしょうか? 天平は、奈良時代に使われていた元号で、天平文化とは「天平年間に栄えた文化」を指します。仏教の影響を受けて生み出された華やかな天平文化について、詳しく見ていきましょう。
奈良時代の貴族文化
天平文化とは、奈良時代の天平年間(729~749年)を中心にして栄えた文化です。「奈良の大仏」を建立したことでも知られる、聖武(しょうむ)天皇が在位した期間が最盛期とされています。
天平文化は、貴族を中心とした文化であり、仏教の影響を強く受けているのが大きな特徴です。また、中国の王朝・唐(とう)からの影響を受けた国際色豊かな文化でもありました。
唐文化は、インドやペルシアといった、海外の文化を広く取り入れていたのがポイントです。そのため天平文化は、唐文化を通じて海外のエッセンスを取り入れることとなりました。
天平文化に関わる代表的な人物
「鑑真(がんじん)」は中国の高僧で、仏法を広めるために日本に渡来した人物です。当時の船旅は、非常に危険なものでしたが、失敗を繰り返しながら命懸けで日本にたどり着きました。
鑑真は、戒律を学ぶ場所として「唐招提寺(とうしょうだいじ)」を創建したことでも有名です。僧侶に戒(かい)を授ける儀式を行う戒壇を作った人物でもあり、仏教を広めるために大きな役割を果たしました。
「玄昉(げんぼう)」は、実際に唐に渡って法相宗を学んだ僧侶です。大仏や国分寺の造立はもちろん、聖武天皇が「東大寺(とうだいじ)」を建立するにあたって進言をした人物だといわれています。
天平文化の特徴と作品「文学」
天平文化では、優れた文学がたくさん生まれました。天平文化における文学の特徴や、有名な作品をチェックしましょう。
万葉集
天平時代の貴族の間では、教養として漢詩や漢文に触れる人も数多く存在しました。そのような時代に作られた「万葉集(まんようしゅう)」は、日本最古の歌集としても有名です。
万葉集には、日頃から和歌に親しんでいた天皇や貴族だけでなく、農民や防人(さきもり:辺境を警備していた兵士)などの庶民が詠んだ歌も収録されています。全部で4,536首もの和歌が収められた、全20巻からなる大作です。
万葉集の編纂(へんさん)には多くの人が関わったと考えられており、なかでも大伴家持(おおとものやかもち)は代表的な編者の一人とされています。7世紀後半から8世紀後半にかけて、日本全国から和歌を集めているのも特徴です。
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古事記・日本書紀
天平文化の間にまとめられた歴史書としては、「古事記(こじき)」と「日本書紀(にほんしょき)」の二つが挙げられます。これらの歴史書は、どちらも天武(てんむ)天皇が編纂を命じて作らせたことがポイントです。
古事記の編纂は、比較的短い時間で行われ、稗田阿礼(ひえだのあれ)が伝承した内容を太安万侶(おおのやすまろ)が記録しました。全3巻の中に100首以上の和歌が収録されており、日本語を漢字に当てはめた和化漢文で記された書物です。
日本書紀は、全30巻と系図1巻で、およそ40年もの長い年月をかけて編纂されました。古事記には、神代(かみよ)のエピソードが多く盛り込まれている一方、日本書紀は海外の文献も引用するなど、正式な歴史が記録されているのが特徴です。
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風土記
「風土記(ふどき)」は、天平文化の時代にまとめられた地誌です。1冊の本の形をとっているわけではなく、日本各地で作られた報告書をまとめて風土記と呼んでいます。
風土記とは、その地域にどのような動植物や資源があるかなど、特徴を調査して記録したものです。ほかにも地域の歴史や、その土地の伝承などが記されており、文化的な記録でもあります。
現在の島根県にあたる出雲(いずも)国の風土記は、写本が現在まで残っていることで有名です。後の時代に、風土記を再提出するよう命令が出たため、天平時代の記録は「古風土記」とも呼ばれています。
天平文化の特徴と作品「仏教美術」
仏教の色濃い影響が感じられる天平文化では、多くの仏像が造られました。現存している作品に触れながら、天平文化の美術作品を見ていきましょう。
興福寺「八部衆立像」
天平文化で造られた仏像には、乾漆造(かんしつぞう)という技法が使われています。高級な漆(うるし)を利用することで、丁寧に造り込まれた写実的な仏像ができるのがメリットです。
「興福寺(こうふくじ)」にある八部衆立像(はちぶしゅうりゅうぞう)は「脱活乾漆造」で造られており、粘土でできた型に布を貼った後に、漆を塗って細かい部分を仕上げています。仏法を守護する八部衆をかたどった、8体で一組の立像です。
八部衆は、もともとインドに伝わる神々でしたが、仏教では釈迦(しゃか)の眷属(けんぞく:家来)とされています。衣服のシワや柄、武装している姿が丁寧に造り込まれた、厳しい表情が印象的な作品です。
東大寺「日光菩薩像」「月光菩薩像」
原型に漆を塗って固めて造る乾漆像に対して、粘土で造られた像を塑像(そぞう)といいます。2体の仏像が対になった日光(にっこう)・月光(がっこう)菩薩像は、天平文化を代表する塑像です。
日光・月光菩薩像は、三月堂とも呼ばれる仏堂・東大寺法華堂(ほっけどう)にあった仏像で、現在は東大寺ミュージアムにあります。かつては法華堂の本尊である不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)立像の両脇を挟むように置かれていました。
両手を合わせて祈りを捧げるポーズは、優雅な雰囲気を感じさせてくれるでしょう。
天平文化の特徴と作品「建築」
仏教色の強い天平文化では、仏堂や寺院などの建物が多く造られました。天平文化の建築物に見られる特徴と、代表的な建物をチェックしましょう。
正倉院
天平文化の建築物には、柱を支える基礎部分となる礎石や瓦(かわら)などが使われるようになりました。東大寺法華堂や唐招提寺金堂など、美しい寺院が建立されたのも特徴です。
天平文化における建築の中でも有名なのが、「正倉院(しょうそういん)」でしょう。正倉院は仏具や文書などの宝物を収納する倉庫(正倉)であり、聖武天皇の遺品が収められていた建物です。
正倉院の北倉と南倉は、「校倉造(あぜくらづくり)」と呼ばれる建築様式が用いられており、柱を使わずに三角形の木材をいくつも積み上げて造られています。高床式(たかゆかしき)の倉庫なので、通気性がよいのも特徴です。
1,000年以上前の天平文化が残した作品を知ろう
天平文化は、仏教の影響を受けて奈良時代に栄えた文化です。インドやペルシアとも交流していた唐の文化から強い影響を受けていたため、自然と国際色豊かな文化が生まれました。
天平文化が最も栄えたのは聖武天皇の時代です。唐から渡来した鑑真や、唐に渡って仏教を学んだ玄昉などの僧侶が、寺院や大仏の建立に大きな役割を果たします。
仏像が造られたのはもちろん、美しい建築物や、万葉集や古事記といった歌集や歴史書などの文学作品も多く生まれています。それらの1,000年以上前に作られた作品は、現在にも残されているので、気になったものを親子で読んだり見に行ったりするのもよいかもしれません。
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構成・文/HugKum編集部