思春期のウソにどう対応する?治療的里親で多くの思春期の子たちと接してきた土井高徳さんに聞く「許していいウソ」と「許してはいけないウソ」

それでなくても、親の言うことを聞かなくなる思春期。ウソだとわかったときに、どのような態度で子どもに向き合えばいいのでしょうか。日本でただ一人の医療的里親で、思春期の子どもの心の専門家でもある土井高徳さんは、家庭のルールが必要だいいます。

許してはいけないウソ・3つのタイプ

ウソは自分を守ろうとする行為。「傷つきたくない」「嫌な問題から逃げたい」というときに、よく人はウソをついてしまいます。
「子どもにはウソをついてほしくない」「ウソをつくような人間になってほしくない」。そう切に願いながら、私たち大人も自分を守るためにウソをつくことがあります。だから親が子どもにいくら「ウソをつくな」と言っても、言葉だけでは説得力に欠けるのです。
私は思春期の子どもがつくウソには、「許していいウソ」と「許してはいけないウソ」があると考えています。「許してはいけないウソ」は、大きく3タイプの内容に分けられます。

1つめは「自傷行為など、自分の心や体を傷つける危険な行為につながるウソ」

2つめは「いじめの現場を見過ごすなど、他人の権利を侵す行為につながるウソ」

3つめは「3度注意しても、同じようなウソを繰り返す場合」

これは、私が日ごろから口にしている、「親が子どもを叱るべき基準」と少し重なります。

各家庭のルールのようなもので、これ以外の項目があってもかまいません。ただ、大人が一方的に決めたルールを急に子どもに理解させようとしても、無理が生じるだけでしょう。日ごろから「わが家ではこの3つのルールを破ったら、叱るからね」と、あらかじめ子どもたちに話し聞かせておくことが大事です。

「怒る」と「叱る」は、まったく違う行為です

何かと親に反抗したがる思春期から取り入れても、決して遅くはありません。ただし、ルールは子どもだけが守るのではなく、親が一緒に守ることが大前提。「お父さんは叱る係、お母さんはフォローする係」とご夫婦で役割分担をなさってもいいかもしれません。
また、「怒る」と「叱る」は、まったく違う行為なのだと、今一度改めて自覚しておきましょう。「怒る」とは感情的になって怒りを相手にぶつけること。「叱る」とは、その子のためのしつけの一環として責任をもって注意を促すことです。子どもがウソをついた、ちっともあやまろうとしない。出口が見えないやり取りの中でイライラしてしまい、「あやまりなさい!」と雷を落とすのは、間違いなく「怒る」行為です。

私たち親が身につけたいのは、「叱る力」。本当に必要なときだけ、毅然とした態度で子どもの過ちを叱り、道を正してあげられる、真の優しさです。

思春期に入った子どもは、自分の世界をつくり始めます。一日のなかで重要なのは、家族と過ごす時間から、友達と過ごす時間へと変化しますし、友人関係や恋愛の話、遊びの計画など、親には知られたくない話題も増えてくるでしょう。友達との秘密や約束を守るためなら親にウソをつくことも平気になるかもしれません。

ウソを責めるのではなく、ウソの背景にある子どもの心の変化を思いやる

そんなわが子を見ていると、自分の手元を離れていくようで寂しいという、親の気持ちもわかります。けれども、思春期の子どもの世界に土足でズカズカと入るのは、たとえ親とはいってもデリカシーに欠けるというもの。何といっても思春期は大人と子どもの狭間で揺れ動き、精神的にも不安定な時期。それでも荒波を乗り越えて何とか自己を確立しようと懸命なのです。何より、自分の行動を規制しようとする親に対しては、全力で反発しようとするのも仕方ありません。

親は親で、子どもの反発を恐れるあまり怒りを顕わにして威嚇し、彼らを制圧しようとするかもしれません。けれども、それは逆効果。もっとも避けたいのは、ウソを暴こうとして子どもを精神的に追い詰めてしまうケースです。逃げ場がなくなった子どもは「今さら何を話しても聞いてもらえない」と思い込み、ますます素直な言葉を発せなくなってしまいます。私たち親が意識したいのは、ウソの背景にある子どもの心の変化。ウソそのものを暴くことが目的ではないはずです。

ウソをつく罪悪感に子どもが悩んでいる場合も。親が味方になり許す寛大さも時には大切です

しかも、誰だって叱られた瞬間は頭の中がパニックになるものです。頭の中の情報が整理できないから、つい口から出任せのウソをついてしまうことだってよくあります。ですから、ウソを察してもすぐに叱らず、子ども自身に考える時間を与えてあげてはいかがでしょう。

覚えておいてほしい「ハングリー=アングリー」

たとえば、おなかがすいているときには、子どもを叱らないようにするとか。「ハングリー=アングリー」と言われるほど、空腹時には人間は怒りっぽくなるもの。「この子、ウソをついてるわね」と感じても、おなかがすいていたら話し合いは後回しに。いちど食事を摂るなどしておなかを満たして、ゆったりとした気持ちになれば、ウソをつくほうもつかれたほうもムキにならず、穏やかに話し合いができるというものです。

許せるウソなら「大丈夫、よく話してくれたね」とほめて許す

ウソをつくことは決してほめられた行為とはいえません。けれども、ウソを許せる寛容さもときには大事です。
たとえば、自分の子どもがどうしてもウソをつかざるを得なかったような状況にあったとします。その子はもしかしたら、誰よりも罪悪感に悩まされているかもしれません。そういうときに、自分の味方だと思っていた親から追い討ちをかけられるように責められたら、どう感じるでしょう。

ウソをついたことがバレて親に叱られている時、子どもが精神的に萎縮してしまい「自分の素直な気持ちを表現できなくなってるな」と感じたら、それ以上詰問せず、そっとしておいてあげるべきです。改めてゆっくりと話を聞く機会を設けて、許せるウソなら「大丈夫、よく話してくれたね」とほめて許してあげましょう。

親は子どもにとって「安心の港」です。親の理解と賞賛はいくつになっても子どもにとって最大の報酬なのです。親がわかってくれた、ほめてくれた。その手ごたえが大きな喜びとなり、不安がいっぱいで荒んでいた思春期に子の心も安定し、次第に生活態度も落ち着きを取り戻したというケースは山ほどあります。不安が取り除かれたら子ども自身も気づかなかった「ありがとう」という親への感謝の気持ちが、そして「ごめんなさい」という素直な言葉も出てくるんですよ。

親の教えはいつか必ず子どもたちの良心になります

思春期は確かに親の手元から子どもが巣立つ時期。けれども、精神的に大人になる分だけ、ゆっくり時間をかけて話をすれば、ちゃんと大人からのメッセージを受け取ることができる年ごろでもあるのです。だから、親を煙たがる時期ではあるけれど、親として「あなたのことを見守ってるよ」「困ったときは言ってきなさい」というメッセージは、どんどん発信してあげてほしい。
私はこう思うんですよ。親の教えはいつか必ず子どもたちの良心になるのだ、と。「どうしてウソはいけないのか」。その答えは、子どもたちが大きく成長したころ、自分を支えていてくれる親から受け継いだ良心が示してくれるのかもしれません。そのためにも、アクセル(ほめる)とブレーキ(叱る)の両方を使いながら、子どもを前進させてあげましょう。

土井高徳さんの記事、こちらもおすすめ

47年間で200 人以上の子どもと暮らした治療的里親・土井高徳さん「愛着障害をもった15歳の少年、浩太とは7年かけて家族になった」
心に大きな痛手を抱えた子どもたちに家族として寄り添う。わが家は「里親家族」 福岡県北九州市で里親をやっているわが家には、思春期の多感な子ど...
土井高徳さん|一般社団法人おかえり基金(土井ホーム)理事長
里親。学術博士。保護司。医師や臨床心理士などと連携して、国内では唯一の「治療的里親」として子どもたちのケアに当たっている。福岡県北九州市で心に傷を抱えた子どもを養育する「土井ホーム」を運営。2008年11月、ソロプチミスト日本財団から社会ボランティア賞を、2023年11月、「治療的里親」としての長年の貢献から「守屋賞」を受賞。著書に『思春期の子に、本当に手を焼いたときの処方箋33』『怒鳴り親 止まらない怒りの原因としずめ方』(共に小学館新書)などがある。

構成/HugKum編集部 写真/繁延あづさ

編集部おすすめ

関連記事