「叱るのはかわいそう」という風潮に待った!「叱らない」が実は子どもを苦しめる?思い通りにいかない経験が「こころの成熟」に必要なわけとは

現在、不登校の子どもは小中学校合わせて約30万人といわれています。「無理せず休ませる」というサポートが主流ですが、それだけでは改善しない事例も増えていると、現役のスクールカウンセラー薮下遊さんは警鐘を鳴らします。「叱ること」「思い通りにならないことを受け入れる」経験をすることの意義について一石を投じている薮下さんの著書『「叱らない」が子どもを苦しめる』(筑摩書房)から、なぜ叱ることが必要なのか、くわしくご紹介します。

「思い通りにならないことを受け容れる」ために必要な経験とは?

1歳までは、親から大切にされることで安心できる実感を育む

子どもが生まれてから1歳くらいまでは、外の世界とあまり積極的に関わることはせず、親子はべったりとした関係性の中で過ごすことになります。この間、子どもは親から大切にされることで基本的信頼感 (世界に対して安心できるという実感)を育むと同時に、子どもの行い一つひとつに親が反応し、対応することで能動的な力の感覚(積極的に世界に働きかけていく力。自信の萌芽でもある)を身に付けていきます。

1歳すぎからは外の世界から押し返される経験をする

1歳すぎから、「外の世界」と本格的に関わり始める

子どもが1歳を過ぎるころには、歩けるようになるなどの身体的発達が見られるようになります。こうした身体的発達に、基本的信頼感や能動性の高まりが加わることで、 「安全な親から離れて、外の世界に働きかけても大丈夫」という安心感をもって「外の世界」と関わるようになります。

このように1歳を過ぎたあたりから、子どもは「外の世界」と本格的に関わり始めるわけですが、まだまだ分別がつかない子どもですから、やってはいけないことをたくさんやってしまいます。回っている扇風機に指を突っ込もうとしたり、階段から落ちそうになったり、高いところに登ろうとしたり、とにかく親がハラハラしたり、びっくりするようなことを平気でします。

こういうことを子どもがやりそうになったときに、親を中心とした「外の世界」に求められるのは、子どもの行動に対して適切に「押し返す」ということです。この「世界から押し返される」とは簡単に言えば、叱られる、止められる、諫められるといったことになります。

「世界からの押し返し」は子どものこころの成熟にプラス

母親は、子どもに対して100%上手く反応できないくらいでちょうどいい?

子どもを叱るのはかわいそうという現代の風潮

現代の世の中には「自由にさせてあげた方が良い」「叱るのはかわいそう」という風潮が あることは承知していますが、適切に叱られる、止められる、諫められることによってもたらされる「子どものこころの成熟」も理解しておいてほしいと切に願います。

子どもが社会的な存在として成熟していくためには、こうした「世界からの押し返し」を経て、現実に合わせて自分を調整するという経験が絶対に必要なのです。

完璧である必要はない!実は、「ほど良い母親」がちょうどいい

心理学の世界では、乳幼児を育てるときの母親の在り方として「ほど良い母親: Good enough mother」が重要とされています。この「ほど良い」とは、子どもに対して100%上手く反応できていなくても大丈夫、ほどほどで良いんだよ、という意味です。

乳幼児期の子どもは泣くことで色んな不快を訴えてきます。でも言葉をしゃべることができないので何が不快なのかわかりません。親は、こうした子どもの泣きに対して、 「お腹すいたのかな?」「オムツが気持ち悪いのかな?」などアタリをつけて対応していくことになります。この予測が当たることもあれば、当然、外れてしまって余計泣いてしまうということもありますよね。

乳幼児期の子どもを育てる親に伝えたいのは、こういった「子どもの気持ちを推し量ろうとして、でも間違ってしまう」という体験は「あった方が良い」ということです (「あっても良い」のではなく「あった方が良い」ということが大切ですよ)。一生懸命、子どものためにやろうとしたけど子どもの思いとズレてしまうことは、絶対に無くすことはできないですし、そういう体験があった方が「子どものこころの成熟」にプラスになる面が大きいのです。

子どもの要求に完璧に応えない方が、現実認識が高まり、こころの成熟につながる

親が子どもの要求にすべて完璧に応えられてしまうことがあってしまうと、子どもにはいつまでたっても「自分の欲求」と「環境が与えてくれること」の差によっておこる欲求不満に耐える力が身につきません。こうした差を適度に体験することが、「子どものこころの成熟」を促し、むしろ子どもの現実認識(現実を現実として適切に捉える力)を高めてくれます。

こうした「自分の思い」と「環境が与えてくれること」の差は、言わば「子どもの思い通りにならない」という体験なわけですが、こうした体験を経験することの重要性も含めて「ほど良い母親: Good enough mother」 であることが大切と言われているわけですね。

思い通りにならない体験をしない場合のリスク

こうした「ほど良い母親: Good enough mother」 概念や、叱られる、止められる、諫められるといった体験によって、子どもたちは「思い通りにならない」という体験を積んでいきます。 この体験が無いと、外の世界に出るために必要だったはずの能動的な力の感覚が肥大化して、外の世界に対する「思い通りになるのは当然」という万能的な感覚へと変質してしまうリスクが生じます。

「世界からの押し返し」が少ない子どもは不適応になりやすい

「押し返し」の経験が不足すると、学校という場の「不自由さ」に過剰な不快感・不満を覚える可能性も

学校は多くの子どもたちにとって「思い通りにならない場所」です。自分たちの行動は校則で制限されますし、同年代の子ども達の中で好き勝手ばかりはできませんし、定められた学習をすることになります。こうした学校の在り方こそが不登校の原因であると考える人もいるようですが、まだまだ幼い子どもたちは、学校という「思い通りにならない場所」での体験を通して、不快感を納め、環境との調和を経験していくという面も忘れてはなりません。

子どもが「社会的な存在として成長する」ということを目指すのであれば、家庭や学校で経験する「思い通りにならない経験」の価値も理解しておく必要があります。

「無理せず休ませる」だけでは解決しない、不登校・不適応へのカウンセリング事例を多数紹介

筑摩書房 定価1,012円

『「叱らない」が子どもを苦しめる』(著/藪下遊・高坂康雅、筑摩書房)

現代の子どもたちの不適応や不登校に多いしくみを描き出した『「叱らない」が子どもを苦しめる』。本書では、子どもを褒めて伸ばしているつもりの子育てが、「いつの間にか“子どもの問題を指摘しない」「ネガティブなところを示さない」という形に変質してしまっていることがあると著者はいいます。

従来の考え方やアプローチとは異なるところもありながら、現役スクールカウンセラーである著者自身のカウンセリング経験にもどづいた事例が多数紹介されています。「叱る」こと、「押し返す」ことの意義をいまいちど考えることのできる一冊です。

『「叱らない」が子どもを苦しめる』詳しくはこちら>>

※こちらの記事は、『「叱らない」が子どもを苦しめる』の内容の一部を抜粋し、再編集したものです。

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著者

  藪下遊|臨床心理士・公認心理士・スクールカウンセラー
藪下 遊(やぶした・ゆう):1982年生まれ。仁愛大学大学院人間学研究科修了。東亜大学大学院総合学術研究科中退。博士(臨床心理学)。仁愛大学人間学部助手、東亜大学大学院人間学研究科准教授等を経て、現在は福井県スクールカウンセラーおよび石川県スクールカウンセラー、各市でのいじめ第三者委員会等を務める。

著者

  髙坂康雅|和光大学現代人間学部教授
髙坂 康雅(こうさか・やすまさ):1977年生まれ。筑波大学大学院人間総合科学研究科心理学専攻修了。現在は和光大学現代人間学部教授。主な著書に『恋愛心理学特論――恋愛する青年/しない青年の読み解き方』(福村出版)『深掘り!関係行政論 教育分野 公認心理師必携』(北大路書房)『公認心理試験対策総ざらい 実力はかる5肢選択問題360』(福村出版)『本番さながら!公認心理師試験予想問題 厳選200』(メディカ出版)等がある。

取材・文/HugKum編集部

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