メーデーとは
メーデー、英語でMay Dayは直訳すると「5月の日」。もともとヨーロッパでは「夏の訪れを祝う日」とされてきましたが、19世紀の終わり頃から、労働者がその権利を求めてデモや集会を行う「労働者の日」となりました。
2018年には、フランスでメーデーのデモ参加者の一部が暴徒化し、200人近くが逮捕されるなどのニュースにもなりました。
5月1日はメーデー
5月1日はメーデー、「労働者の日」として世界の多くの国で祝日になっています。日本ではメーデーは休日になっていませんが、会社によってはデモや集会に参加するために休みにしているところもあります。また、5月1日はゴールデンウィークの谷間だったため、休日にしてゴールデンウィークを長い連休にしようという動きもありましたが、最近ではその動きは小さくなっているようです。
メーデーは何をする日?
メーデーは「労働者の日」として、労働者がデモや集会を行い、その権利を主張する日です。日本でも、代表的な労働者団体である日本労働組合総連合会(連合)が、東京で中央大会を、各地で地方大会を開いています。
メーデーを簡単に言うと? 子どもに説明しよう
子どもに「メーデーって何?」「どうしてたくさんの人が集まっているの?」と聞かれると、答えるのはなかなか難しいかもしれません。子どもにわかりやすく説明するなら、例えば次のような説明はいかがでしょうか。
「メーデーは、働く人たちが、ずっと元気にお仕事ができるように、みんなで協力しあうことを確かめる日」
「お仕事をしているママやパパが、嫌な思いをしたり我慢してお仕事をしていると悲しいでしょう? だから、働く人たちが健康で楽しくお仕事ができるように、みんなで協力していこうねっていう日だよ」
などと伝えてあげてください。
メーデーの歴史
もともとは「夏の訪れを祝う日」だったメーデーが、なぜ「労働者の日」となったのか。ここではもう少し詳しく、その歴史を見ていきましょう。
夏の訪れを祝う、五月祭
5月1日のメーデーは、ヨーロッパでは夏の到来を祝う「五月祭」の日でした。ちょうどこの季節は、春に芽を出した植物が夏に向けて勢いよく育ち始める時期。ローマ時代には豊穣の女神マイアを祭り、供え物をして、夏の実りを願ったと言われています。
イギリスでは、五月祭にはメイポールと呼ばれる柱を立て、そのまわりで踊ったり(メイポールダンス)、お祭りの女王(メイクイーン)を選んだりするのだとか。じゃがいもの品種「メイクイーン」は、この五月祭のメイクイーンからつけられたという説もあります。
アメリカでの労働者のストライキがきっかけ
五月祭の日である5月1日、メーデーが「労働者の日」になったのは、19世紀末の1886年にさかのぼります。1886年、日本では明治19年にあたりますが、この時代はイギリスで始まった産業革命がアメリカにも伝わり、産業が大きく発展していました。
そうした時代の中で当時、労働者は1日12時間〜14時間の長時間労働が当たり前になっていましたが、1886年5月1日、合衆国カナダ職能労働組合連盟が「8時間労働」を求めてストライキを行いました。これが「労働者の日」としてのメーデーのきっかけとなりました。
そのときのスローガンは、「1つ目の8時間は仕事のために、2つ目の8時間は休息のために、そして最後の3つ目の8時間は好きなことのために」というものだったそうです。
労働者が求める8時間労働は簡単には実現せず、その後も5月1日のストライキは続きました。1890年には、アメリカでのストライキに合わせてヨーロッパなどでもストライキが行われ、これが第1回国際メーデーとなりました。
メーデーの意味は他にもある
実はメーデーには、他の意味もあります。飛行機好きの方ならご存じかもしれませんが、万一の緊急事態が起きたときに、パイロットは「メーデー、メーデー、メーデー」と3回繰り返して無線で緊急事態を管制官などに伝えます。飛行機だけでなく、船や車でも使われます。
緊急信号の意味での「メーデー」
なぜ、緊急事態を知らせる言葉が「メーデー」なのでしょうか。これは、実はフランス語の「ヴネ・メデ(venez m’aider)」、日本語にすると「助けに来て」が語源になりました。
1923年、ロンドンにある空港の無線技師が「緊急時に誰もがすぐ理解できる合図」として発案したそうです。当時はイギリス~フランス間を結ぶ飛行機が多かったので、フランス語の「ヴネ・メデ」のメデ(venez m’aider)からメーデー(May Day)を発案したとされています。
日本のメーデー
1886年、アメリカでのストライキがきっかけで始まり、1890年に第1回国際メーデーが行われ、「労働者の日」として世界に広がっていったメーデー。では、日本でのメーデーとはどのようなものなのでしょうか。
いつから始まった?
日本では1920年5月2日、上野公園で第1回メーデーが開催されました。当時、1万人程度の人が参加したと言われています。次の年からは5月1日に開かれるようになり、その後、1935年の第16回メーデーまで開かれました。しかし、1936年、2・26事件が起きて東京に戒厳令が出されたことにより開催は禁止され、以降、戦争が終わるまで開かれることはありませんでした。
第2次世界大戦後の1946年(昭和21年)、第17回メーデーが11年ぶりに開催されました。このときのスローガンは「働けるだけ喰わせろ」でした。現在からはなかなか想像できませんが、戦後の厳しい状況を反映しており、別名「食糧メーデー」とも呼ばれます。参加者は全国で100万人、東京の皇居前広場には50万人が集まったと言われます。
戦争からの復興を遂げた高度経済成長期以降は、複数の労働組合が共同で「統一メーデー」として開催を続けてきました。しかし、日本が経済的に豊かになったこともあり、労働組合の活動に積極的に参加する人が減ってきました。さらに5月1日はゴールデンウィークの谷間にあることから、メーデーの参加者も少なくなり、1989年(平成元年)以降、統一メーデーは開かれていません。
メーデーと連合(日本労働組合総連合会)の関係
現在では、日本最大規模の労働組合の全国組織である「日本労働組合総連合会(連合)」は、ゴールデンウィークを避けて4月の最後の土曜日や昭和の日(4月29日)にメーデーを開催しています。また、非連合系とも呼ばれる全国労働組合総連合(全労連)や全国労働組合連合協議会(全労協)は5月1日の開催を続けています。
連合によると、近年でも全国500以上の会場でメーデーが開催され、東京で行われる中央大会には4万人が集まったとのこと。そしてその内容も、労働者の権利を主張するものから、ショーや子供向けイベントまでが行われ、家族で楽しめる催事へと変化しています。
春闘とメーデーの違い
メーデーと似た労働組合の取り組みに「春闘」があります。これは毎年春に賃金の引き上げや労働環境の改善などを求めて、労働組合が会社側と交渉することを言います。
日本では労働組合は各企業ごとに作られることが主流になっています。1つひとつの組合が単独で交渉するよりも、企業を超えて団結し、同じ時期に会社側と交渉することで大きな成果を得ることが春闘の狙いです。
春闘が実質的な成果を得るための取り組みだとすれば、メーデーは労働組合の活動を象徴する取り組みと言えるでしょう。
夏を祝うお祭り日からメーデー(労働者の日)へ
ヨーロッパで夏の到来を祝うお祭り「五月祭」の日だった5月1日「メーデー」は、19世紀末のアメリカでのストライキをきっかけに「労働者の日」となり、日本でもゴールデンウィークに行われる行事として、大きな注目を集めてきました。メーデーには、「メーデーとは何か」を子どもに説明しながら、ママやパパの労働環境についても家族で話してみるいい機会かもしれません。
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文・構成/HugKum編集部