応仁の乱はどうして起きたの? 長い戦の原因は?【親子で歴史を学ぶ】

応仁の乱は、「戦国時代の幕開け」といわれる室町時代の戦です。幕府の存亡をかけた大きな戦として有名ですが、始まりはお世継ぎ問題でした。応仁の乱は、なぜ幕府を巻き込む戦へと激化したのでしょうか。戦の始まりと大きな流れについて学びましょう。

なぜ応仁の乱は起こったの?

応仁の乱は、室町時代元年から文明9年までの約11年間に渡って起こった戦です。1467年に発生したことから「ひとよむなしい」と語呂合わせで覚えることで知られています。なぜ応仁の乱は起こったのでしょうか?  その原因は「お世継ぎ問題」と「家督争い」にありました。詳しく見ていきましょう。

きっかけはお世継ぎ問題

室町幕府8代目将軍・足利義正とその正室・日野富子は、子宝に恵まれないという問題を抱えていました。後継者となるお世継ぎがいなければ、室町幕府は滅亡してしまいます。そこで義正は、出家していた弟・義視(よしみ)を養子として迎え、後継者にすることを決めました。

しかし、寛正6年(1465年)に義正と富子の間に息子・義尚(よしひさ)が生まれたことで事態は一変します。富子は、息子である義尚に跡継ぎを譲ることを望み、義正も「義尚を9代目将軍とする」とお世継ぎの変更を申し出ます。もちろん、これまで跡継ぎとされていた義視はこれに反対します。そして、将軍家は「義視派」と「義尚派」の2派に分かれ、応仁の乱へと発展するのです。

大名の対立と家督争いも原因に

応仁の乱が約11年もの期間続いたのは、「有名大名の対立」と「家督争い」が関係したからといわれています。富子は「山名宗全(やまなそうぜん)」、義視は「細川勝元」とそれぞれ守護大名を味方につけました。宗全と勝元は、最初は協力関係にありましたが、応仁の乱が発生する前に敵対関係になったそうです。この2人の衝突も応仁の乱を長引かせた一因といわれています。

また、有名大名である「畠山家(はたけやまけ)」の家督争いも関係しているそうです。畠山家も足利将軍家と同じくお世継ぎに恵まれず、養子・持富(もちとみ)を迎えたところ実子・義就(よしなり)が生まれました。同じく家督争いが発生したことで、持富が「義視派」、義就が「義尚派」に加わり、応仁の乱が激化していったといわれています。

1467年、ついに応仁の乱が勃発

1467年、応仁の乱が始まりました。元は将軍家や大名家の家督争いから始まった争いでしたが、さまざまな思惑が絡み合い寝返りも生じて、国を2分する大きな争いになったそうです。応仁の乱は、どのように展開されたのでしょうか。争いの実情について見ていきましょう。

西軍と東軍に分かれて対決

応仁の乱は、足利義尚・畠山義就・山名宗全の「西軍」、足利義視・畠山政長(畠山持富の子)・細川勝元の「東軍」に分かれています。

争いのきっかけは、足利家のお世継ぎ問題ですが、争いの中心(大将)は宗全と勝元です。足利家や守護大名がそれぞれ争うだけであれば、応仁の乱は、約11年もの争いにならなかったと考えられています。最初は将軍家が後ろ盾についた東軍が優勢でしたが、新たに守護大名・大内政弘が西軍に参戦したことで、さらに争いが激化したそうです。大内氏は家督争いとは関係のない、瀬戸内海の制海権を理由に戦いへと参加します。

このように争いに参加する人が増えたことで、次第に争いの原因がうやむやになり、当事者たちもなぜ争っているのか分からないまま長期化してしまったともいわれています。

京都のお寺や建物の多くが焼失

応仁の乱は、京都が主戦場となり起こった争いでした。激化する争いの中で、京都のお寺や建物の多くは消失してしまいます。有名どころでいえば、金閣寺・伏見稲荷大社・清水寺・仁和寺などは、応仁の乱の争いで全焼してしまったそうです。現在のお寺や建物は、再建されたものになります。ほかにも文化的な価値のある史書や歌集も燃えてしまったと考えられているそうです。また、争いの影響により、京の街で暮らす人々は、物資不足や疫病などに苦しんでいたといわれています。応仁の乱が激化しなければ、今も文化的な建物や書物が残り、民衆の暮らしも違うものだったのかもしれません。

応仁の乱の終わりは?

長きに続く応仁の乱も、ついに終わりを迎えるときが訪れます。果たしてどのような結末を迎えたのでしょうか。その理由と結末を見ていきましょう。

息子の将軍就任と大将の相次ぐ死

応仁の乱の始まりから7年経った文明5年(1473年)、義尚が9歳で元服し、第9代将軍に就任しました。富子の念願がかない、足利家のお世継ぎ問題は収束を迎えます。さらに、両軍の大将である宗全と勝元が相次いでこの世を去ってしまいました。将軍就任と大将の死により、応仁の乱は終わりを迎えたかのように思えます。

しかし、西軍に参加した大内は、目立つ成果もなく退散しては自分の地位が危ぶまれると思い、争いを続行することを望みます。これにより終わりを迎えたかのように見えた応仁の乱は、大義名分も分からぬまま続いてしまったのです。

結局、決着がつかずに終わる

応仁の乱は、文明9年(1477年)に終幕を迎えます。富子の働きかけにより義尚と義視が和睦したことで、決着がつかずに終わりを迎えました。つまり結果としては「引き分け」といえるのです。

この時代の争いといえば、勝者が領地を手に入れたり、地位が上がったりするものです。しかし、応仁の乱では大きな得をしたものは現れなかったといえます。加えて、応仁の乱の影響で室町幕府の信頼は地に落ちてしまいます。これにより長きに渡る戦国時代が幕を開け、武田信玄・上杉謙信・斎藤道三といった武将たちが頭角を現していくのです。

そもそもの原因は日野富子だった?

そもそも日野富子が実子を将軍にしようと画策しなければ、応仁の乱は激化しなかったとも考えられます。歴史上は「日本3大悪女」の1人に数えられる日野富子ですが、息子を心から愛していた人物でもありました。どのような人物だったのか詳しく見ていきましょう。

我が子を溺愛する母

富子は、義尚が生まれる前に男児を出産していましたが、数時間後に亡くすという経験をしています。このとき富子は、息子が亡くなったのは側室のせいだと訴え島流しにしています。それでも怒りが収まらなかったのか、最終的に側室は、富子が送った刺客に殺されてしまったそうです。加えて、ほかの側室も全員追放したといわれています。

その後、富子は女児を2人産みますが、この時代は女の子では跡継ぎになれません。諦めて養子を迎え入れたところ、義尚が誕生します。念願の男児の誕生は、富子にとってさぞかしうれしいことだったのでしょう。そして、溺愛する息子を何としても将軍にしようと野望が芽生え、奔走する中で応仁の乱を招いてしまったと考えられます。

応仁の乱のその後

富子は、息子を将軍にする野望を見事かなえてみせました。さらに、東軍・西軍の大名に金の貸し付けや米の投資を行うことで、莫大な富を得たともいわれています。夢をかなえ、富まで手に入れた富子は、さぞ幸せに満ちあふれた余生を送ったと思うかもしれません。ところが義尚が富子を遠ざけるようになり、愛した我が子は25歳で亡くなってしまいます。その上、後に続くように夫の義政も亡くなってしまうのです。

しかしここで諦めないのが富子です。晩年には、対立した義視の息子・義材(よしき)※を10代将軍にしたり、義材を追いやり足利義澄(よしずみ)という人物を11代目将軍にしたりと、大騒動を起こし続けたといわれています。

※後の義稙(よしたね)

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もっと詳しく知りたいときに読む本

長く続いた応仁の乱は、さまざまな人の思惑や野望、争いが入り乱れています。もっと詳しく知りたいという人は、分かりやすくまとめられている漫画や図鑑がおすすめです。小学生の子どもと一緒に楽しめるおすすめの本を紹介します。

小学館版 学習まんが 「はじめての日本の歴史 (6) 室町幕府と民衆(室町時代) 」

全15巻の新・日本史学習まんがシリーズ。応仁の乱は6巻です。なぜ「応仁の乱」は10年も続いてしまったのか? 知れば知るほど日本の歴史に興味がわくエピソードが満載です。

総監修の東京大学史料編纂所教授の山本博文先生、テレビでもおなじみの本郷和人先生(東京大学史料編纂所教授)の精密な監修で、歴史の真実を楽しく読めるおすすめの一冊です。

漫画で楽しく学ぶ「学習まんが 日本の歴史(9) 応仁の乱」

応仁の乱の始まりから室町幕府の滅亡までを漫画で学べます。人物の相関図など、分かりづらい部分も漫画なら理解しやすく、子どもでも楽しく学べるでしょう。

さらに、ただ歴史や知識を並べるのではなく、「なぜそうなったのか」「どうしてなのか」と謎を追求してくれるため、理解も深めやすい1冊です。

    民衆にもスポットをあてた「学習まんが NEW日本の歴史05 室町幕府と立ち上がる民衆」

    約11年に続いた応仁の乱は、争いの原因や流れに注目した本が目立ちます。しかし、その背景には、必ずその地で暮らした民衆の姿があったはずです。

    応仁の乱についてはもちろんのこと、争いの中を生きた民衆についても触れられています。オールカラーで読みやすく、まるでドラマを見ている感覚で学べるでしょう。

    年表付きで深く学べる「図解 応仁の乱」

    応仁の乱は一つの争いではなく、160を超える数の争いが重なっています。この図鑑は、全ての争いをテキストに加えて、年表や地図、家系図とともに詳しく記載されていることが魅力です。

    また応仁の乱の経緯から戦国時代へのつながりについて学べるため、より深く知識を身に付けたいという人に向いています。

    泥沼の戦いが続いた応仁の乱

    応仁の乱は、登場人物が多く、大人でも分かりにくい歴史の一つかもしれません。子どもと一緒に学ぶときは、登場人物1人1人の背景から学ぶと、争いのイメージを掴みやすくなるでしょう。また年号の覚え方が「ひとよむなしい」であるように、大きな理由の見えない空しい争いであったともいえます。子どもと学ぶときに「どうして争いが起きたのか」を考えてみると、より応仁の乱の全貌を理解しやすいかもしれません。

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