公開されるや、「重度の自閉症児支援」という重いテーマながら、静かに観客の輪を広げているフランス映画『スペシャルズ!~~政府が潰そうとした自閉症ケア施設を守った男たちの実話』。自らも発達障害児のための支援施設「ルーチェ」を主宰している藤原美保さんに、日本における施設や支援のあり方を踏まえてご紹介いただきます。
目次
型にはめられた支援では対応しきれない。真摯に描かれている「障害者支援」
精神科医の本田秀夫さんが字幕監修
最近では「発達障害」と名称も社会に随分浸透してきました。
一般の方々でもこの言葉を耳にする機会も増えていると思います。「あの人発達障害らしい」という話なども 自分の周辺で 聞かれるようになった のではないでしょうか? この『スペシャルズ!』は 実在している 発達障害の中でも 重度の ASD (自閉スペクトラム症)の子たち を受け入れている無認可の施設を運営する その支援者 達 を描いています。
字幕監修には精神科医の本田秀夫先生(信州大学医学部・子どものこころの発達医学教室・教授)が携わっているため、ASDの特性がうまく表現されており、よく知らない方が見ても解りやすいのではないでしょうか。
実は最初この映画のサブタイトル「政府が潰そうとした自閉症ケア施設を守った男たちの実話 」を聞いたとき政府と施設の対立を描いたものかと思いました。
日本でも、福祉は 行政 の 決められたルール の中で運営しなくてはいけません。 障害者支援 について 人員配置、資格、 面積の 広さ、収容人数等が事細かく 福祉法によって 決められています。
一応、質を守る為に自治体が決めるものなのですが、中には現場に沿っていない、 利用者に 寄り添っていない 理不尽なことも 現場では沢山あります。ですから、現場の人間は利用者の言うことを聞いてあげたいと思う気持ちと、行政のルールの狭間で苦しむことがあります。そんな内容なのかと思っていました。
知識と技術が伴わない無骨な支援。けれど、寄り添う気持ちが伝わってくる
しかし、実際見てみると この 映画は 行政と施設ではなく 、行政と 強度行動障害のある子の保護者との戦い のように思いました。
映画の中でヴァンサン・カッセル演じるブリュノが度々発する「何とかする」と言うセリフ がありましたが、 障害者支援は型にはめられたものでは対応しきれません。行政のやり方だけでは「なんともできない」事を認めさせたということを表したいのではと思いました。
この映画に出てくる障害児たちは「強度行動障害」と言われる二次的な障害の為、 他害、自傷、物損 等の 問題行動が 激し くなって いる子達です 。身体が大きく他者に危害を加える 場合、対応する人手が必要になるため 引き受けられる施設が限られ てしまいます。 病院が描かれていましたが、暴れた場合 3 人がかりで押さえつけ、薬で覚醒を下げる事しかできないのが現状です。 人手も専門性も必要になるため受け入れが中々難しいのですが この施設はその 受け入れ先のない 子達を受け入れています。
しかし、支援者は無資格で社会からドロップアウトした若者たちです。ストーリーの中で出てくるディラン(ブライアン・ミヤルンダマ)もその一人です。
重度の障害のあるバレンティン(マルコ・ロカッティ)にST(言語聴覚士)が絵カードを使い「要求を伝える」練習をさせている場面で、STはバレンティンに「水」を欲しいという要求を出させたいのですが、バレンティンは応じません。STが席を外した隙に、ディランが水を捨ててコーラをカップに入れてバレンティンに渡すと、今度はすんなり飲んでしまうシーンがあります。
ディランはバレンティンと過ごす事で、彼が何が好き(好子)で何が嫌い(嫌子)なのかを理解し、無意識に支援に使ったわけです。支援技術のABAや認知行動療法等を知らない為、支援の仕方はとても雑で無骨です。しかし、ディランがバレンティンに寄り添おうとしている気持ちは伝わってきます。
確かに、支援は技術も必要で「気持ち」だけではうまく行かない事も多いのですが、人を巻き込む支援の仕方というのも大切です。ラストシーンでバレンティンがヘッドギアを外しているのは「寄り添う気持ち」の支援も大切だと言いたかったのではないでしょうか。
見所は、実際の自閉症者の自然な演技。丁寧な映画作りの裏付けがここに
この映画の見どころの一つは 実際の 自閉症の ベンジャミンをジョセフとして 起用して いること 。
知らずに見る人は、彼が自閉症の役をとても上手く演じている上手い役者だと思うかもしれません。それほど名優ヴァンサン・カッセルとやりとりする時の表情や仕草、つまり「自閉症らしさ」が自然なのです。しかも この映画ではかなりのボリュームで登場し てい るので 撮影クルーは 恐ら く 長い 長い時間と労力を必要としたと思います。彼の 表情や、やり取りが自然に 表現されている部分は見所です。
ASDは学習スタイルが独特で、感覚情報の処理が定型発達の人とは違う場合があります。映画のストーリーの中でもそれを表している場面があります。
バレンティンがホテルの部屋から脱走し、街中をさまよっている際に映像が揺れたりゆがんだりと、バレンティンの視覚情報の取り方が表現されています。ASDの人達はこのような感覚情報処理にゆがみや偏りがある事を伝えたかったのでしょう。
ですから、この映画の撮影の際にカメラ等の撮影機材に対しての立ち位置や距離、役の名前一つ慣れさせるのも、ライトに当たる事も、大勢の中で話すことに慣れさせるのも本当に時間がかかっただろう想像できます。
世界共通で解決されていない障害児の親の悩み
もう一つは この 福祉事業の人材について の現実が 描かれている部分です。
過酷な仕事の割には給料も高くない為、人材が集まらない 、定着しないという話は業界でも有名です 。中には「支援が必要な側」の人が支援者として働いているという話も耳にします。
この映画の中の支援者たちの 支援の仕方については 残念ながら 褒められたものではありません でしたが、限られた人員の中で自分の時間を削って支援している様子は フランスも日本も変わらない 「業界あるある」です。
親は、我が子の「障害」が嫌なのではなく「障害」によって社会から排除されてしまうことが辛く悲しい
そのような障害児と長時間過ごす家族の負担は大きく ヴァンサン・カッセルが保護者のケアをする場面など 包括的な支援の必要さも描かれています。
ジョセフの母のエレーヌが行政の役人に対して言った「私が死んだらこの子はどうなるの」と言うのは、私たちもよく耳にする言葉です。
障害児の親の悩みは世界共通で解決されていないのだと思わずにはいられません。
親は「障害」が嫌なのではなく「障害」によって我が子が社会から排除されてしまうことが辛く悲しい事なのです。
知ってほしい、個人の「想い」で成り立っている部分が大きい障害者支援の現実
「人としての尊厳や権利」と言う言葉の無意味さを一番肌で感じているのは障害児(者)の親なのかもしれません。
今後、経済が苦しくなると福祉支援の予算は削られていくと思われ、その中で彼らの行き場をどう確保するのか?障害者支援は、まだまだ個人の「想い」で成り立っている部分が多いと言うことを感じます。
社会の動向と支援の在り方を考えながら見ていただきたい映画です。
【STORY】 ブリュノは今日も朝から大忙し。自閉症児をケアする施設〈正義の声〉を経営しているのだが、どんな問題を抱えていても断らないために、各所で見放された子供たちでいっぱいなのだ。〈正義の声〉で働くのは、ブリュノの友人のマリクに教育されたドロップアウトした若者たち。どこから見てもコワモテのふたりだが、社会からはじかれた子供たちを、まとめて救おうとしているのだ。その成果は現れ、最悪の問題児だったディランと、最も重症のヴァランタンの間に、絆が芽生えようとしていた。だが、無認可・赤字経営の〈正義の声〉に監査が入ることになり、閉鎖の危機に迫られる。さらに、ディランが目を離した隙にヴァランタンが失踪するという事件が起き──。ヴァランタンはどこへ消えたのか? そして施設はこのまま閉鎖に追い込まれるのか? 救いの手が必要な子供たちの未来は──?
映画『スペシャルズ!~政府が潰そうとした自閉症ケア施設を守った男たちの実話』公式サイト
TOHOシネマズ シャンテ他全国順次公開中 配給:ギャガ
© 2019 ADNP – TEN CINÉMA – GAUMONT – TF1 FILMS PRODUCTION – BELGA PRODUCTIONS – QUAD+TEN
記事監修
発達障害のお子さんの運動指導の担当をきっかけに、彼らの身体使いの不器用さを目の当たりにし、何か手助けができないかと、感覚統合やコーディネーショントレーニングを学ぶ。その後、親の会から姿勢矯正指導を依頼され、定期的にクラスを開催。周囲の助けを受け、放課後等デイサービス施設「ルーチェ」を愛知県名古屋市に立ち上げ現在に至る。著書に『発達障害の女の子のお母さんが、早めにしっておきたい47のルール』(健康ジャーナル社)『発達障害の女の子の「自立」のために親としてできること』(PHP研究所)がある。