世界四大文明とは、現代文明に大きな影響を与えた古代文明のことです。それぞれの文明が起こった位置・年代・特徴について、おさらいしましょう。共通点から見えてくる、文明を発展させた重要な要素についてもくわしく解説します。
世界四大文明とは
世界四大文明とは「メソポタミア文明」「エジプト文明」「インダス文明」「黄河文明」を指します。まずは、場所や年代など、大まかな基礎知識を確認していきましょう。
地図で場所を確認してみよう
世界四大文明は、世界の「大河」と呼ばれる大きな川の周辺で起こったとされています。
・メソポタミア文明:ティグリス・ユーフラテス川流域(アジア大陸西部)
・エジプト文明:ナイル川流域(アフリカ大陸北東部)
・インダス文明:インダス川流域(インド亜大陸)
・黄河文明:黄河・長江流域(中国大陸)
現在の国でいうと、メソポタミア文明は「イラク」、エジプト文明は「エジプト」、インダス文明は「インド」、黄河文明は「中国」の付近に起こりました。
四つのうち三つはユーラシア大陸に、エジプト文明のみがアフリカ大陸に属しています。世界地図を広げてみると、いずれも緯度は日本とほぼ同じか、やや赤道寄りの位置にあることがわかるでしょう。
文明が起こった順番は?
続いて、それぞれの文明が起こった年代を紹介します。
・黄河文明:紀元前5000~2000年頃
・メソポタミア文明:紀元前3000~1900年頃
・エジプト文明:紀元前3000~1000年頃
・インダス文明:紀元前2500~1500年頃
ユーラシア大陸の寒冷化が始まり、それに伴って狩猟民族が南下して文明を築いたといわれています。この四大文明以外にも、世界中のいたるところで人々は暮らしを営んでいました。
それにもかかわらず、この四つが特別に取り上げられるのは「都市化」「農業」「文字」「法律」といった高度な文明が発見されているからにほかなりません。
注)中国文明の時期については諸説あり、見直しの動きもあります。
それぞれの文明の特徴
現代で当たり前のように使われている「文字」は、この世界四大文明の頃に生まれたものです。次はもう少し掘り下げて、遺跡からわかったそれぞれの文明の特徴について紹介します。
メソポタミア文明
メソポタミア文明は、「チグリス川」「ユーフラテス川」の流域に築かれました。現代の「1週間は7日間」や「1時間は60分」といった概念は、この時代に発明された七曜星や60進法の名残です。
人々は日干しレンガを原料とした神殿や住居を建設し、河口付近に畑を耕して暮らしていました。主に作られていたのは「小麦」です。この小麦の生産を管理するために、文字が生まれたといわれています。
有名な「ハンムラビ法典」は、メソポタミア文明の象徴です。本来は「やり返すのはやられた分だけ」という意味で用いられていました。ハンムラビ法典は、当時のハンムラビ王が国を平和に治めるための法律だったのです。
エジプト文明
エジプト文明は、「ナイル川」の流域で起こりました。ピラミッド・スフィンクス・象形文字(ヒエログリフ)などを生み出し、太陽暦や10進法を使いこなしていた形跡から見て、非常に高度な文明だったといえるでしょう。
エジプトを統治していたのは、「ファラオ」と呼ばれる王様です。ギザにある三大ピラミッドは、エジプト文明の頃にファラオの墓として建設されました。
なお、三大ピラミッドとは「クフ王」「カフラー王」「メンカウラー王」の墓であり、最も大きなものはクフ王の墓です。世界遺産でもあるため、覚えておくとよいでしょう。
インダス文明
インダス文明は「インダス川」の中・下流域で発展しました。遺跡からは排水溝・倉庫・道路・大浴場など、計画的に壮大な都市を建設しようとした形跡が発見されています。
しかし、その都市にあるべき宮殿や墓などは未発見のままです。また、当時使われていた「インダス文字」も、いまだ解読されていません。インダス文明は謎に包まれた古代文明といえるでしょう。
なお、有名な巨大都市遺跡はインダス川河口付近の「モヘンジョダロ」、中流域の「ハラッパー」の二つがあり、モヘンジョダロの遺跡群は世界遺産に指定されています。
黄河文明
黄河文明は、「黄河」の中流域に形成された都市の跡です。黄河文明は前期と後期に分けられ、紀元前5000~3000年頃は「仰韶(ヤンシャオ)文化」、紀元前2500~2000頃は「竜山(ロンシャン)文化」と呼ばれます。
黄河文明では、アワやキビといった「雑穀」が主に栽培されていました。この雑穀を貯蔵するために作られた土器が、「彩文土器」です。後期には、黒い色をした薄型の「黒陶(こくとう)」や厚型の「灰陶(かいとう)」などの土器も作られています。
なお、黄河文明の仰韶文化と時を同じくして、長江流域には「長江文明」が栄えていました。現在では、黄河文明と長江文明を合わせて「中国文明」とすることがあります。
四大文明の共通点とは?
似たような時代に繁栄した四つの文明はまったく別の地域で発展したにもかかわらず、いくつかの共通点を持っています。ここでは、その共通点のうち主な二つについて紹介します。
大きな川のほとりで発展
古代の四大文明はいずれも「大きな川のほとり」で発展していました。一方で、都市があった場所は雨のあまり降らない場所です。これは、古代の人々がこの時代に狩猟から農耕へ切りかわっていった証といえます。
上流で雨が降れば、川は大量の水とともに栄養をたっぷりと含んだ土壌を運んできてくれたでしょう。しかし、農業に長雨は不向きであるため、雨が少なく川の恵みを利用できる位置に定着したのです。
川の水を利用するためには、水路を人工的に形成しなければいけません。かんがい農業を行うための水路作りから、周到な計画でもって都市が形作られていったと考えられています。
独自の文字の存在
もう一つの共通点は、どの文明でも独自の「文字」が発明されていたことです。メソポタミア文明のハンムラビ法典は「くさび形文字」で書かれており、エジプト文明で紙として使われていたパピルスには「象形文字」が見られます。
先ほども紹介しましたが、インダス文明では現在も未解読の「インダス文字」が使われていた形跡が残されているのです。
また、黄河文明から初期王朝へ移り変わった中国文明では、殷(いん)の時代に「漢字」が生まれました。ご存じの通り、脈々と受け継がれた漢字は現在も日本・中国を中心に広く使用されています。
実は世界六大文明だった?
現代文明の基礎となった古代文明を世界四大文明とするのは、もはや時代遅れとなるかもしれません。世界にはほかにも、高度な文明の痕跡がいくつも発見されています。最後に、これまで紹介してきた四つの文明以外の古代文明について二つ紹介しましょう。
古代アメリカに存在した2つの文明
実は、古代アメリカにも「メソアメリカ文明」「アンデス文明」と呼ばれる高度な文明が存在していました。
メソアメリカ文明とは、大きな石に人の顔が彫られた巨石人頭像で知られる「オルメカ文明」や、マヤ文字・20進法などが発達した「マヤ文明」などの総称です。
アンデス文明は、別名「南アメリカ文明」とも呼ばれます。有名な「インカ帝国」を築いた文明であり、都市遺跡「マチュ・ピチュ」は世界遺産です。
長江文明と黄河文明を合わせて中国文明に
世界四大文明のうち三つは時代とともに滅亡してしまいましたが、黄河文明だけは国の形は変わっても長い間同じ場所で繁栄し続けてきました。
初期王朝となる殷や幻の王朝といわれる夏(か)も、黄河流域にあったとされています。その後も、黄河流域はずっと中国王朝の中心地だったのです。
また、長らく長江流域で栄えていたのは黄河文明から派生したものとされてきましたが、近年では独自の稲作を中心とした長江文明を築いていたと考察されています。現在では、この二つの文明が中国の基礎となったとして、合わせて「中国文明」と呼ばれるようになりました。
歴史には新しい発見がいっぱい
世界四大文明を築いた古代の人々は、不安定な狩猟生活よりも畑を耕して暮らすことを選びました。豊かな水をたたえる川の流域は、温暖で飢えることのない理想の土地だったのでしょう。
「暮らしを便利にしたい」「安定した生活を送りたい」という願いは、いつどのような場所にあっても変わりません。現代の目覚ましい発展の背景には、はるか昔から続く人々の努力があったのです。
古代文明には、まだ解明されていない点も数多く残されています。その謎に思い巡らせてみると、味気ない勉強が一気にロマンあふれるものになるかもしれませんね。
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社会ワールド第2弾のこの「古代文明のひみつ」は、古代文明遺跡のカラーグラフからはじまって、古代文明のなりたち、特徴、各地の古代文明間の交流、気候変動や環境問題が古代文明に与えた影響など、様々なテーマをわかりやすく解説します。いままで教科書で扱ってきた世界4大文明のほかに、中南米で栄えた古代文明や日本の古代文明など、新しい視点もとりあげます。
構成・文/HugKum編集部