孫文とはどんな人物? 実は日本とも関わりが深かった…!【親子で歴史を学ぶ】

孫文(そんぶん)は、近代中国の歴史を学ぶときに欠かせない、大変重要な人物です。日本に住んでいたこともあり、日本の政治家や著名人とも深い関わりを持っていたことが知られています。

孫文の人物像や経歴について、分かりやすく解説します。

孫文は何をした人?

孫文は中国の政治家であり、革命家です。政治家としての資質や革命の思想を育んだ孫文の生い立ちや、生涯、唱え続けた理念を見ていきましょう。

中国で革命を起こした政治家

孫文は、辛亥革命(しんがいかくめい)を起こして清(しん)王朝を倒し、中華民国を建国した人物です。28歳で清の打倒を掲げてから58歳で亡くなるまで、生涯の大半を革命に捧げました。

1866年に中国の広東(かんとん)省で生まれた孫文は、12歳のときに華僑(かきょう)の兄を頼ってハワイに渡り、西洋の教育を受けます。

1892年には、香港(ほんこん)の大学で中国人初の医学博士になるなど、最先端の学問と国際的な視野を身に付けた青年に成長します。

香港の孫文記念館にある銅像(香港中山紀念公園)

 

ハワイや香港での体験が、母国の古い体制を憂慮し、「倒そう」と考える原動力になったといえるでしょう。

三民主義を唱えた

孫文は、革命のスローガンとして「三民主義」を提唱したことでも有名です。

三民主義とは「民族主義」「民権主義」「民生主義」の三原則のことで、辛亥革命以降は、中華民国の政治理念として用いられました。

西洋の民主主義をふまえつつ、長年続いた封建体制や、列強による半植民地支配から脱して、新しい中国を建設するための考え方です。

台湾の孫文記念館

孫文の革命運動の歴史

高い理想を掲げて革命に身を投じた孫文ですが、その道のりは厳しかったようです。孫文の革命運動の歴史を見ていきましょう。

ハワイやロンドンで活動を行う

孫文の革命運動は、1894年(明治27)にハワイで「興中会(こうちゅうかい)」を結成したときからスタートします。

翌年には武装蜂起のために清国に渡りますが、計画が事前に漏れたため失敗し、日本に亡命。アメリカをへてイギリスに渡ります。

1896年にロンドンで清国公使館に捕まり監禁されますが、イギリス政府の働きかけによって無事に釈放されました。

当時の様子を著した「倫敦被難記(ロンドン遭難記)」によって、革命家・孫文の名は広く知れわたります。また、三民主義のヒントは、ロンドンでの活動中に得たともいわれています。

辛亥革命を起こす

釈放後、孫文は、日本で革命の準備を再スタートさせます。

1905年(明治38)に東京で「中国同盟会」を結成した孫文は、1911年に湖北(こほく)省の武昌(ぶしょう)でついに武装蜂起を決行しました。この事件が、歴史上有名な「辛亥革命」です。

孫文の蜂起をきっかけに16の省が続々と清国に反旗をひるがえし、翌12年には南京(なんきん)に臨時政府「中華民国」が建国されます。孫文は中華民国の臨時大統領に就任し、革命は成功しました。

しかし、当時の臨時政府には清王朝を完全に滅ぼすほどの軍事力はなく、まもなく孫文は大統領の地位を「袁世凱(えんせいがい)」に譲ることになります。

袁世凱は清王朝に仕える軍人でしたが、反乱軍の鎮圧を命じられると、孫文と交渉し、清の皇帝を退位させる代わりに自分を大統領にすると約束させました。

首尾よく大統領になった袁世凱は本性を現し、革命勢力を弾圧して専制政治を始めるようになったのです。失望した孫文は再び革命を起こすも、袁世凱の軍事力の前に敗れて日本に再亡命します。

「革命未だ成らず」という遺言を残す

1914年(大正3)、孫文は東京で「中国国民党」の前身、「中華革命党」を結成しました。

その後は中国に戻り、今度は北京(ぺきん)政府を倒す準備を進めます。しかし1924年に北京に到着後、翌年には末期がんで世を去ってしまいました。

孫文は死の直前に、「革命未だ成らず」という遺言を残しています。最後まで革命の志を持ち続けていた孫文は、どのような思いで旅立ったのでしょうか。

孫文の銅像(台湾台北市)
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孫文と日本の関わり

清王朝や中国政府から常に追われる身だった孫文は、さまざまな国を渡り歩いています。特に日本とは深い関わりがあり、何度も訪れていたようです。

孫文の日本での様子や、革命を支援した日本人を紹介します。

日本への亡命

ロンドンの清国公使館から釈放されたあと、孫文はひそかに日本を訪れます。このとき孫文を支援したのが、熊本出身の思想家「宮崎滔天(みやざきとうてん)」です。

滔天は資金を用立てたり、犬養毅(いぬかいつよし)などの有力な政治家に引き合わせたりして、孫文の活動を後押ししました。滔天のおかげで孫文は「中国同盟会」を結成でき、辛亥革命へのスタートを切ったといわれています。

また、孫文は日本滞在中に、近所で見かけた「中山」と書いてある表札を気に入り、「中山樵(なかやまきこり)」と名乗っていた時期もありました。

中国でも「孫中山(そんちゅうざん)」の名を使っていたことから、台湾や中国では孫文よりも「孫中山」のほうが有名です。

東京で結婚

孫文が生涯の伴侶を得たのも日本でした。袁世凱に敗れて亡命していた時期に、「宋慶齡(そうけいれい)」という中国人女性と、東京の「梅屋庄吉(うめやしょうきち)」の自宅で結婚しています。

梅屋庄吉は長崎県出身の実業家です。孫文とは1895年(明治28)に香港で出会って以来、親交を深め、生涯にわたり革命を支援しました。

孫文記念館と明石海峡大橋(兵庫県神戸市垂水区舞子公園)

この時代をもっと深く知るために

孫文が活躍した時代背景について詳しく知りたい方のために、おすすめの本をご紹介します。

中央公論新社 世界の歴史19 「中華帝国の危機」


19世紀、アヘン戦争から列強の覇権競争、太平天国運動など国内の大動乱に直面し、辛亥革命に至るまでの中国の波乱の時代を解説しています。「中華帝国」の苦闘の歩みは、そのまま近代アジア史の光と影を浮き彫りにします。

集英社版学習漫画 世界の歴史 全面新版19 「アジア・アフリカ独立の時代」


政治家や学者、冒険家に芸術家など傑出した人物たちの活躍により形成されてきた歴史を人間ドラマを通して紹介する「人物世界史」。
この19巻では、アジアやアフリカの近代史に登場した歴史的人物について学べます。

孫文への理解を深めよう

失敗と挫折を繰り返しながらも理想のために戦い続けた孫文は、中国で「革命の父」として敬われています。辛亥革命が実現できたのも、孫文の革命への情熱が、日本人をはじめ多くの人の心を動かしたからでしょう。

孫文の足跡をたどると、中国や日本を取り巻く当時の世界情勢もよく分かります。革命家・孫文への理解を深め、歴史の学習に役立てましょう。

構成・文/HugKum編集部

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